観測者は求める
弾むような観測者の声に室は耳を傾ける。
あの少女が居なくなってまもなく、感じた異質な気配はやはりこいつだったのだ。
とはいえ自分が観測者の『気配』として感じたのは、ほんのわずかなもの。
ここまで気配を消すことに長けている者は、そうはいない。
どこからともなく聞こえる観測者の声に、沙十美はかなり動揺しているようだ。
きょろきょろと見回しているが、おそらく観測者はこの周辺にはいないだろう。
「声がするのに姿が見えないなんて、どういうこと?」
沙十美の戸惑いを含んだ声を聞き、説明をしようと室は口を開きかける。
だが、それよりも先に観測者が嬉しそうに語りだした。
「やぁ、はじめまして。黒蝶のお嬢さん。室さんの言うとおり、私のことは観測者と呼んでくださればいいですよ」
「えぇと、だったら。……観測者、私と話がしたいらしいけど?」
「はい、あなた方にすごく興味が湧いたので!」
視線をさまよわせながら、沙十美が問いかけている。
「な、なんだかずいぶん軽いのね。それで私は、何を話せばいいのかしら?」
「そうですね、あなたに起こった出来事や、その時のあなたの行動などが知りたいです」
「私で答えられるならば話すけど。……つぐみが白日の人と一緒にいない所で話をしたいというのは、難しいのではないのかしら?」
「うーん、胡蝶の夢が使えないとなるとそうなりますよね。……あ! そうだ。千堂さん、やっぱり胡蝶の夢を使って下さい。私の意識を支配しない約束をしてくれるなら、代わりにこちらからある情報をお渡ししましょう。悪くはない条件だと思いますよ。それでどうです?」
観測者の言葉を受け、沙十美は小さく首を横に振った。
「条件も何も、私はあなたの意識を支配するつもりは無いわ。今でもこうして、私の存在を上に伝えずにいてくれているのでしょう?」
「まぁ、そうなんですけど。これは私の個人的な興味もあってですからねぇ。いつもの室さんからすれば『ふざけるな』と言われて、とっくに粛正されている事例ですよね。ふふ」
「……観測者、余計なことは言わなくていい」
とばっちりが来ているように感じ、思わず室は口を挟む。
「おい、千堂。こっちを見てにやにやするな」
「うぷぷっ。あのね、思ったんだけど……」
自分を見つめ、沙十美がにやにやとして話を続けていく。
「胡蝶の夢を使わなくてもつぐみを一人で来てもらうこと。……出来るかもしれない。私達は彼らに貸しがあるの。そのお返しでと言えば、その条件が通ると思う。あなたとしてもその方が心配が少ないでしょう? あ、でもそうするとこの状況をある程度は彼らに話してしまうかも。大丈夫かしら?」
「なるほど。確かに私としてもそちらの方がいいですね。室さんは気を遣って存在を知られたらと配慮してくれましたが、まぁ少々のことならお話しても大丈夫ですよ。とりあえずは白日の彼らに、私の姿を見られなければ問題ないですし」
観測者の言葉に、沙十美が考え込む様子を見せる。
「姿を見られないように。つまりつぐみとあなたが話をするときも、こんな感じで話すと思えばいいのかしら?」
「はい、私はあくまであなた方とお話をしたいだけですから。ですので当然、あなたにも彼女にも、危害を加えるつもりはありませんよ。……そちらから余計なことをしない限りはね」
言葉遣いは穏やかだ。
しかしながら後半からの声色の変化に、沙十美がびくりと肩を震わせる。
「おや、少し驚かせてしまいましたか。それにしても、なんだか私に好意的な条件ばかり出していただいていますね。千堂さんもなかなかのお人好しのようだ。冬野さんの影響ですか?」
観測者の声が柔らかく戻ったことに安堵したようで、沙十美はいつも通りの口調で答えている。
「うーん、どうなのかしら? でも確かにあの子みたいに自分に良くしてくれた人には返したい。そういう気持ちは普通に持ち合わせているわよ」
「ある意味、義に弱いというところですかね。そうそう! 室さんからあなたのことを上に知らせないで欲しいと頼まれた時には、本当に驚きましたよ。なにせ私、初めて彼から『お願い事』をされましたからね。……そう言った意味でも、お二人はとても似ていらっしゃる」
観測者の言葉に、沙十美がまじまじと自分を見てくる。
「……千堂、こちらをいちいち見るな。あくまで俺は、お前と取引をしているからそれを履行しているだけにすぎない。観測者も観測者だ。余計なことは口に出さずともよいだろう」
このじゃじゃ馬と同等扱いは気に入らない。
思わず大きくため息をつき言葉をこぼす。
「一緒にされるのは心外だ」
室の言葉に、沙十美はムッとした表情を浮かべている。
「そうね、それについては私も同意するわ」
「……ふふ、やっぱり仲がいいですね。さて、その件について調整をお願いできますか?」
「わかったわ。あら、でもどうやってあなたとコンタクトを取ればいいの?」
「呼んで下さればいいですよ。なにせ私、観測者ですから」
「え、それって常に見張られているということ?」
「別に悪いことをしていなければ困る話でもないでしょう? ……それでは」
突然に、観測者の気配が消えた。
気配が消えたことに気付かず、まだ周りをきょろきょろと見渡している沙十美へ室は声をかける。
「もう、居ないぞ」
「え? そうなの。観測者の気配って全く分からないわ。来た時も去ったときも……」
戸惑い気味に沙十美が尋ねてくる。
「あの人ってそんなに悪い人ではないの? 胡蝶の夢を使ってもいいとか、私が意識を支配しないってこちらの言葉を信じてくれていたりしていたけど」
「そんなわけないだろう。おそらく何かしらの保険をかけてから来るだろうな。例えば数時間以内に自分の意志や自由が利かないとなった時点でこちらの、あるいはお前の大事な冬野つぐみに何かしら起こるように細工ぐらいは仕込んできそうだ」
「つまり、彼の条件を飲まざるを得ないということなのね」
選択肢がないことを認識した沙十美が、小さくため息をつく。
「ああそうだ。白日とのことはお前が責任をもってやれよ」
「もちろんよ。でも、どちらにしてもあんたがそばに居ないと話にならないわ」
「俺は離れた場所で待機している。あとはお前が話を進めればいい」
「分かった。……えっと、あのね、厄介ごとに巻き込んでごめんね。あと、ありがと。……約束とか、まっ、守ってくれて」
予想外の言葉に沙十美へと視線を向ければ、真っ赤な顔の彼女と目が合う。
「……」
「な、何よ! 私だってちゃんと感謝くらいするわよ。守ってくれていたことを、し、知っていたらもっと早くに……」
「結果的には俺自身を守ることだからしているだけだ。感謝される必要はない」
ソファに座った室は、目を閉じる。
「感謝しているなら、小さい方にもう少し静かにするように言っておけ。……少し休む」
「ん、分かった」
返事とともに彼女は、自分の座っているソファの後ろ側へと回り込んできた。
背もたれに小さな振動が来る。
最近はその場所が気に入っているのか、室がこの部屋に居る時はソファの背面にもたれかかり、じっとしていることが多い。
そんなところに座りこんで何がいいのかは分からないが、自分としても干渉する理由もない。
それもあり、彼女の好きなようにさせている。
そうしているうちに、後ろから規則的なすうすうという寝息が聞こえてくる。
先程までのことなどなかったかのように、よく眠れるものだ。
半ば呆れ、半ば感心しながら、室は隣室からブランケットを運び沙十美の体に掛ける。
時計をちらりと見る。
――今日の『猶予時間』はあと十分程。
室は再びソファに座り、傍らのテーブルに置いてある本を手に取り開く。
ページを繰る指の感触と音が心地よい。
それに合わさるように後ろから聞こえる穏やかな寝息。
それを聞きながら、ただ静かに流れていく世界に室は没頭していくのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトルは「待ち人 驚く事あり」
おみくじでこの文章があると聞いたことがありますが、自分は「待ち人 来たらず」しか見たことないですねぇ。




