それからの今の話
「か、可愛すぎますね。目に砂が入りませんようにですか?」
品子へお茶を渡しながら、つぐみは尋ねる。
「そうそう、あの頃のヒイラギは本当にピュアだったよ。そうだね、あとは真面目な顔をして私の所に来たと思ったら『品ちゃん、どうして靴下は靴より上に履くのに靴下なの?』とか聞いてきちゃったりして〜」
お昼前のひととき。
リビングでお茶を一口ごくりと飲むと、品子は目を細める。
「わぁ、可愛すぎますよ! 素晴らしすぎますよ! もう学会で発表しようレベルですよ!」
「……おい」
はっとしてつぐみと品子は後ろを振り返る。
先程までの話題の主が、頬をひくひくとさせて二人を睨んでいる。
「あ、あの。ひ、ヒイラギ君は体調とご機嫌はいかがでしょうか?」
ヒイラギの表情を見たつぐみは、震え声で問いかける。
「おかげさまで、体調は問題ない。だが、ご機嫌は誰かさん達のせいで最悪だよ」
「いやぁ、さすが若い子は回復が早いねぇ。退院してまだ日が浅いというのに! よし分かった! ご機嫌直しに私がいっちょ手料理でも振る舞うとしよう!」
「「「いや、それは結構です」」」
つぐみとヒイラギも含めた三つの声が同時に響く。
驚いて残りの一人の声のした方をつぐみが見れば。
リビングの入口にはシヤが立っていた。
「えっ、なにこれ? っていうかシヤ、いつからいたの?」
品子もシヤの登場は予想外だったようだ。
きょとんとした顔で問いかけている。
「兄さんと廊下までは一緒に。リビングからの声を聞いて兄さんが一足先にそちらに飛び込んでいったので、私は廊下で見てました」
いつもどおりの冷静なシヤの報告を聞きながら、つぐみはちらりとヒイラギを見る。
下を向いたままの彼の肩がふるふると揺れている。
怒りのせいでありませんように。
叶わぬ願いとはいえ、つぐみはそう祈らずにはいられない。
「何だ、ヒイラギ? せっかくだから昔のように、ほれ」
品子が満面の笑みで、ヒイラギに向かって手を差し伸べている。
笑顔で品子に向かってゆっくりと、ヒイラギは歩いていく。
……さて、お昼の準備をしよう。
つぐみは振り返ることなくに台所へと向かう。
リビングの方からは品子の絶叫が聞こえてくる。
(うん。でも私、ご飯を作らなきゃいけないし)
「つぐみさん、手伝います」
「ありがとうシヤちゃん。じゃあお味噌、取ってくれる?」
まだ絶叫は続いている。
「つぐみさんもだいぶこの家に慣れてきましたね」
「えへへ、そうかなぁ。……あ。先生の声、止まったね」
少しして台所に両手をぶらぶらとさせながら、ヒイラギがやって来た。
手をゆっくりと伸ばしながら、二人に声を掛けてくる。
「……ふぅ、俺は何をすればいいんだ」
「だったら、お味噌汁の味見をお願いしていいかな? その後でいいから、先生の生存確認もお願いしたいなぁ」
「あれは駄目だ、もう手遅れだからな」
「仕方ありませんね。ご飯ができるまで、品子姉さんは放っておきましょう」
「はは、二人共、手厳しいね」
笑ってはいけない。
理解はしているのだが、こみ上げる笑いをつぐみはこらえることが出来ない。
そして静かに願うのだ。
幸せだな。
ここにいられるって幸せだなぁ。
できる事ならば、ずっとこうして皆と一緒に笑っていたいな。
◇◇◇◇◇
台所からとてもにぎやかな声がする。
ヒイラギからの攻撃を受け、大の字で寝ころがっている品子は目を閉じてその声を聞く。
楽しそうな声、穏やかな声、とても優しくて、温かい声。
(……私の大切な子達の声)
はっきりとは言ってくれないが、どうやらシヤは新しい発動を手に入れたようだ。
おそらく、つぐみとの間で何かきっかけがあったのだろうと品子は理解している。
あの子達は本当にしっかりと、そして確実に成長を続けている。
「……では、私は?」
どうしたら、新たな発動を自分のものに出来るだろう?
かつて惟之は念いを強く持ち、発動と視力を取り戻したと言っていた。
念いを、願いを強く持つ、か。
大人として、人として、彼らを守りたい。
視野を広げ、正しく動く。
「清乃様が言っていたことを、私はどうしたら行うことが出来るのだろう?」
今は周りに誰もいない。
「……試してみるか」
閉じていた目を開き、仰向けの体勢のままで上に向けて両手を伸ばし集中する。
天井と自分の両手の間に蜃気楼のような歪みがじわり、と現れる。
さらに集中力を高め、小さく揺らめくような形をイメージしそっと手のひらで包むように……。
きぃんと耳の奥で音がすると同時に歪みは消え失せ、品子に息苦しさが襲う。
(くそ、また失敗か!)
「が、ぐぅっ……」
体が仰け反り、片手で喉をもう一方の手で胸を押さえる。
途切れそうな意識を何とかつなぎ、呼吸をしようとする。
このまま息が止まってしまうのではないか?
そう思わせるほどに、普段あたり前に出来ているはずの吸って吐くという単純な動作がままならない。
こんな姿を彼らに見せるわけにはいかない。
「はぁ、……落ち着け!」
……一回、二回と数えながら呼吸を促していく。
ようやく人並みな呼吸が出来るようになり、品子は体を起こす。
軽い頭痛が残っているものの、どうやら体の自由がきくようになってきたようだ。
台所からは、まだにぎやかな声が聞こえてくる。
気付かれなかったことにほっとすると同時に、また失敗してしまったという無念さが襲う。
じりじりと何とも歯がゆい思いばかりが、品子の心に積み重なっていく。
自分にはまだ時間と努力が必要なようだ。
両手をじっと見つめる。
悔しいが今は、届かない。
でも必ず、掴んで見せる。
「せんせーい! 生きてますかー? もうすぐお昼ですよー」
台所の方から、声が掛けられる。
その声に、笑みがこぼれるのを感じながら品子は台所へ向かう。
「聞いておくれよぅ、冬野君! 従姉を虐待するひどい男が居るんだよ~」
そう言いながらつぐみに抱き着く。
にこにこと笑いながら、彼女は品子の背中をさすってくれている。
温かい。
彼女は体も心も全部、温かいのだ。
それとは対照的に、冷たい目と冷静な態度でいるヒイラギ達。
まぁ、そこがまた可愛い所ではあるのだけれど。
つぐみを強く抱きしめながら、品子は思うのだ。
この子達の為ならば。
この場所と時間を守るためならば、自分はもっと強くなれるはずだ。
何度だって失敗してやるさ。
成功するまで絶対にあきらめない。
あきらめないこと、これならば自分にも出来るのだ。
この子達がそばで笑っていてくれる限り。
どんなことがあっても絶対にあきらめない。
……必ず成功させてみせる。
お読みいただきありがとうございます。
この話にて第二章は完となります。
なので次回はお久しぶりの登場人物紹介その2を投稿させて頂きます。




