10年前の昔話 その9
「品子ちゃん! あぁ、無事なのね?」
品子達は一条の管理地を離れてからも、人目に付かないようにと惟之の発動の力を使い家に戻る。
玄関の扉を開けると、ずっとそこで待っていたであろう女性が。
品子の母が、その姿を見るやいなや、そのまま抱き着いてきた。
「お、かあさん……」
品子は、母の背中にそっと腕を回した。
手のひらから、彼女の体の震えが伝わってくる。
母の体に触れ、ようやく品子にも帰ってこれたのだという実感が押し寄せてきた。
「お母さん、ごめんね。ごめんなさい……」
品子の視界がにじむ。
ぼやけた世界の先で、三条の人達がばたばたと動き回っている。
自分が帰ってきたことを本部に伝えにいったのだ。
頬を流れていく品子の涙が、母の服をぬらしていく。
母はそっと品子から離れると、頬の涙を優しく拭ってくれた。
温かくて柔らかい手と、見つめるその目は品子と同様に涙でうるんでいる。
品子の後ろを覗き込むと、彼女は惟之へと声を掛けた。
「こーちゃん、あなたがこの子を助けてくれたということかしら?」
惟之がサングラスを外そうとするのを、動きに気付いた品子の母が制する。
「あ、そのまま外さないで。明るいと痛みを感じるということは聞いているから。ここは本部ではないのだから、今の私には礼を尽くす必要なんてないのよ」
その言葉を聞き、惟之は手を下ろす。
「ではこのままで続けます。今からお話することは私の独断で行ったものです。二条は関わっておりません」
惟之はかいつまんで、今までの出来事を説明する。
「そう、それは確かに上の者同士が話すことになりそうね。……事情はわかりました。あなたはこのまま本部の部屋に戻って、そのまま待機をしていてちょうだい」
「はい、では私は失礼します」
惟之は深々と一礼し、品子の方をちらりと見る。
何かを言いかけたが、再び礼をするとそのまま玄関から出て行った。
扉が閉まる音と共に訪れるしんとした静寂の後、母が品子へと呟く。
「品子ちゃん。とりあえずは着替えてくる? 落ち着いたら改めて私達に話を聞かせてくれるかしら?」
「あ。し、しまっ……」
動揺して泣いている間に、惟之が帰ってしまった。
去り際の彼の行動を、ようやく品子は理解する。
そうだ、これからが始まりだというのに。
一応とはいえ惟之から事情が話されているが、おそらくこの後は……。
「……着替えてくる。出来ればお母さんから先に、色々と言っておいてくれるとありがたいんだけどな」
「そうねぇ、私なりに頑張ってみるけど。……難しいと思うわ、ごめんねぇ。着替えたら私の部屋に来てちょうだいね」
「はい。わかり、……ました」
もうここまで来たら、受け入れるしかない。
品子は自室で着替えを済ませると、母の元へと向かう。
部屋に近づくにつれ、母の興奮気味の声が聞こえてきた。
「私は品子ちゃんの今回の行動は確かに良くない所もあると思う。でも私もきっと同じ行動をしていたと思うの! だから……」
「ははは、お前は甘いねぇ。……お、品子? さてはお前、部屋の前に居るなぁ? さぁ、楽しい反省会をしようじゃないか」
楽しくない、絶対に楽しくない反省会だ。
小さくため息をつき、品子は母の部屋の扉を開けた。
◇◇◇◇◇
「で、どうだった? 昨日は俺はすぐに帰ったから、その後の話を何も知らないんだが」
翌日、惟之の部屋に入った品子は早々に弾んだ声で尋ねられる。
窓から部屋にふわりと入ってくる爽やかな風をうけながら、彼は何だか嬉しそうだ。
「……楽しそうですね。ご機嫌麗しゅうすぎて何よりですよ」
「その話っぷりからすると、相当に絞られたか?」
「えぇ、ぎっちぎちに絞られましたよ。もう涙も何も出ない位までにね!」
絞られた。
それはもうこってりと。
涙もとうに枯れ果てても、それでもなお、品子のための『楽しい反省会』は続けられたのだ。
「そうかそうか、大変だったなぁ。くくく」
「ちょっと! 何でそこ笑うんですか? 私の意識が何度とびかけたことか! そしてそのつど、耳やら頬やらを何度つねられたことか!」
全く楽しくない反省会は、明け方まで続いた。
「手が疲れた。今日は一条との話し合いがあるな。……寝る。部屋に戻れ、品子」
という終了宣言で、ようやく終わることができたのだ。
その後、自室に戻り少しだけの休息をとり、そのまま学校へ向かいようやくこの部屋に来たというのに。
「先輩は笑ってばかりいないで、もう少し私をいたわるべきではないですか?」
ぐるりと部屋を眺めながら、品子は呟く。
部屋は窓が開いているおかげで、ずいぶん風通しも良くなっている。
カーテンを開けているから、部屋の中がしっかり見渡せるほどに明るい。
そんな中、光が眩しいと惟之はサングラス着けてにやにやしているではないか。
品子は鞄をごそごそと探り出す。
「はい! 今日の手土産は私のお気に入りの秘蔵のチョコですよ。二個しかないんですから、一個しかあげませんからね」
鞄から二つのチョコレートを出し、そのうちの一つを惟之へと手渡した。
ベットの横に折り畳みの椅子を持って来て座ると、品子は先に食べ始める。
惟之も包みからチョコを取り出すと、口の中に放り込んだ。
「……お前、少し前にダイエット中だって言ってなかったか?」
「先輩、女の子の気持ちはすぐに変わるものです。それが分からないから、彼女いないんですよ」
「その理論でいけば、お前に彼氏がいないのも十分に納得のできる話だな」
「……言ってくれますね。先輩」
これ以上の会話は、品子の心に多大なダメージが来る予感しかない。
ここは話題を変えるべきだと品子は判断する。
「それで、先輩の方はその後どうなったんですか? 二条の方から何か指示は来たのですか?」
「いや。恐らくは清乃様が動いて収めてくれているのだと思う。何も指示や連絡は来ていない。だから俺は『昨日はこの部屋に一日中いて、何もしていない』ということになるのだと思う。それで、お前の方はどうなんだ?」
「私もまだ、何もわかっていない状態ですね。……清乃様が一条と話を進めていると思うのですが。学校から帰って来てすぐに、ここに来たからまだ話をしていないんですよ。今から三条の管理室に行って、話を聞いて来ようと思っています」
チョコの包装紙をくしゃりと握りしめ、品子は立ち上がる。
「じゃあな、チョコうまかったよ」
「いえいえ、昨日のお礼ですよ。ふんぞり返って言ってくれていいんですよ。また明日も持ってきますから」
「やっぱりお前、ダイエッ……」
「失礼しました~、っていうか先輩の私に対する発言が失礼すぎます~」
かき消すように言葉を被せると、品子は部屋を出て行く。
一歩あるくごとに、昨日までの状況と変わったという事実に、顔がにやけていくのが止められない。
「うん、仕方ないな!」
明日も、秘蔵のチョココレクションの放出をせねば。
そう思いながら品子は三条の管理室へと向かうのだった。
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次話タイトルは「10年前の昔話 その10」です。




