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冬野つぐみのオコシカタ  作者: とは
第二章 10年前の昔話

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10年前の昔話 その3

 時計の鐘が六つ鳴り響き、午後六時だと惟之へと伝えてくる。

 両目を覆う包帯をそっと外し、目を開いていく。

 左目だけで見る景色が狭い視界ながら見えていること。

 何より左目に痛みが走らないことに安堵する。

 あの日、室に触れられなかったはずの左目。

 それがここ最近は、わずかな光ですら痛みを感じるようになってきているのだ。

 ベットから降りて、静かに窓を開く。

 昨日の品子もこうして、風が入るようにしていたことをふと思い返す。

 それにより覚えたのは違和感。


「今日は、来なかったのか?」


 自身の時間や都合があるだろうから、頻繁に来なくていいと品子には伝えてはいた。

 だが何かと用事だと言っては昨日までは毎日、来ていたのだ。

 ここ数日の態度で、さすがに彼女も愛想(あいそ)が尽きたのだろう。

 こんな無反応な相手に何度も見舞いに来るなど、自分だったらまっぴらごめんだ。

 窓に手をかけたまま、昨日までの品子との会話を思い返す。


「……そういえば」


 以前に品子が、明るくても痛みが無いように歩けるように出来る秘密道具を、引き出しに入れたと言っていた。

 妙に気になり、引き出しを覗き込む。

 そこには、サングラスと裏返した紙が一枚。

 サングラスを持ち上げ紙をめくれば、「これ見ましたね。責任とって使ってください」と書かれている。


 ため息と共に引き出しを閉め、再び窓際へと向かう。

 幸いにして月の光は痛みを与えることなく穏やかな光で自分を見つめ返し、部屋の中を優しい明るさで包み込んでいる。

 この月明りよりも弱い光でも、痛みが生じる時もあるのだ。

 どんな条件で痛みの有無があるのか、確認していく必要が今後はあるだろう。



 ……いや、今後などあるのか。

 今の自分に、未来へと向かう言葉は必要なのだろうか。



 目を閉じれば、浮かんでくるのはあの日のこと。 


 マキエの名を叫んだ直後、惟之の目の前に唐突に落月の室が現れ、右目にただ()()()

 貫くでもなく、刃物で切りつけるでもない。

 その直後に襲う信じられない痛み。

 耐えられず惟之は叫び声をあげ、のたうち回った。

 それからのことは、もう思い出したくもない。


 再び惟之は目を開く。 

 見渡せる景色は右半分側が自分の鼻を境にぼんやりとした暗闇に覆われている。

 右目は開けようとしても開かない。

 上下の(まぶた)癒着(ゆちゃく)しているようだとは聞いている。

 右目に触れれば、指が瞼に触れた感覚。

 ピンポン玉を柔らかくしたような左の感覚に比べ、右の触感は随分と硬い。

 自分の指先の熱が感じられるのは、皮膚感覚はある程度は機能しているということだろう。


 では発動は使えるのだろうか。

 ベッドに腰掛け、目を閉じ意識を集中させる。

 体が浮かび上がる感覚。

 鷹の目は発動可能のようだ。

 見下ろした先にあるのは自分の姿。

 だが、目に映る景色はやはり左半分のみの切り取られた世界でしかない。


 では次の段階として、発動者の気配の探知は出来るかの確認を。

 あまり大きく使うのはまだ早いだろうし、発動自体を他の人間に気付かれても面倒だ。

 範囲を絞り発動すれば、本部という場所だけに何人かの発動者の気配を認識することが出来る。

 こちらもそれなりに、使えるままのようだ。


 更に次の段階へと進もうとした矢先、扉をノックする音が耳に届いた。

 発動をゆっくりと解除し、反動を起こすことなく左目を開ける。

「どうぞ」と声を掛けると、扉が開き一人の女性が部屋の中に入ってきた。

 見覚えのある三条所属の女性は惟之を見て驚いた様子を見せる。


「あら? 靭様の包帯が、……ってそんなことを言うために来たわけではなかったわ。こちらに品子様はお見えではないですか?」



◇◇◇◇◇



 痛い、というか何だか熱い。

 自分の拳を眺めながら品子は思う。

 人差し指と中指の部分を使い殴るのが正しい殴り方だと聞いたことがある。

 自分はそれが出来ていただろうか。


 周りが騒いでいるのを、品子はぼんやりと眺める。


「え、あの優等生の人出さんが殴ったの?」


 騒ぎを聞いて新たに部屋に入ってきた人が、一部始終を見ていたであろう人達に聞いている。


 それは、自分の前にいるこの人に聞いてほしいな。

 ゆるりと前を見据え、品子は思う。


 座り込み、殴られた頬を押さえながら品子を睨みつけている男。

 だがほんの一瞬、男が笑ったのが目に映る。

 だが今の自分にそんなものは、どうだっていいことだ。


 今日は二ヶ月に一回本部で行われる白日の研修の日で、自分はいつも通りに席に着き始まるのを待っていた。

 そこにこの男が、空席があるにもかかわらず、わざわざそばに来て連れと話を始めたのだ。


 その話の内容がヒイラギとシヤの話であったこと。

 それが聞くに堪えがたい、非常に下らない話であったことが品子の心を揺るがす。

 彼の前に立ち、人の悪口は良くないからその話は止めてほしい自分は頼んだ。

 すると彼は、いや、この男は……。


「俺は人ではなく、ただのどうしようもない兎と犬の話をしているだけだから。だから気にしないでよ」


 そう言って笑ったのだ。

 だから自分も笑いながら、男を殴った。


「悪い。手が、いや拳がすべっちゃったよ。だから、……気にしないでよ」


 普段であれば決してしないであろう行動と言葉が、品子の口から零れていった。

 ただ立ち尽くす品子を、騒ぎを聞き部屋に来た男性が廊下へと連れ出していく。


「いきなり人を殴るとはどういうつもりだ? 説明してもらうぞ」


 品子の手首を掴むと、男性はずんずんと歩いていく。


 どの程度の処罰になるだろう。

 この話がヒイラギ達に伝わらないといいのだが。

 とりとめのない思考を、品子は繰り返す。


 どうやらどこか別の部屋に連れて行かれるようだ。

 引きずられるように歩きながら、品子の心は暗く淀みながら深く沈んでいく。

 周りが自分を見て何か言っているのは見えるが、話している内容は全く頭に入ってこない。


 そんな中、視線を感じて目を向けると、向かう先で里希が自分を見ている。

 彼の顔は品子の行動を心配するでもなく、非難するでもなくただ無表情だ。

 ……きっと今の自分は、里希と同じ顔をしているのだろう。

 何だかおかしくなり、彼の目をみたまま品子はくすくすと笑いはじめた。

 品子の様子に、里希は怪訝な表情を浮かべていく。

 彼の前まで来た時、腕を引く男性に逆らい、品子は強引に立ち止まった。


「ねぇ、里希。君と私は一緒だね」


 品子を連れて行こうとした男性は口を開きかけるが、相手が一条の長の息子であると知ると一瞬、躊躇(ちゅうちょ)する様子を見せる。

 里希は相変わらず無表情のまま、品子を見つめるのみ。

 こんな発言をされて、彼は怒ったのだろうか。

 確かに騒ぎを起こした自分に、突然に話しかけられても迷惑であろう。

 彼が何か言いかけたその時、再び品子はぐいと強く引かれ、その場から離れていく。


 里希は何を言おうとしたのだろう。

 首を傾けて振り返ってみるが、彼の後ろ姿が見えるだけだ。

 姿が見えなくなるまで、品子は里希を見つめ続ける。

 だが、彼が品子を振り向くことは一度もなかった。

お読みいただきありがとうございます。

次話タイトルは「番外編 10年前の昔話 その4」です。

皆さまはそろそろ品子の敬語にも慣れてきた頃でしょうか?

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― 新着の感想 ―
[一言] ほうほう、サングラスはこうして付けられるようになったのですねぇ(*´д`*)イイ…。 そしてもう5、6回は滑らせてやれば良いよと、品子ちゃんには言ってあげたいですな。 そもそもがあんなに小…
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