人出品子は動揺する
「あら、皆さんどうしたんですか? 真面目な顔して」
にこにこと笑みを浮かべたつぐみが、目の前にいる。
彼女には車の中で、連絡をするまで待機と言ってあったはず。
だがこのタイミングで、彼女は現れた。
一体、何が起こっているというのだ。
混乱する品子をよそに、つぐみは室へと向き直る。
「室さん。先に人出先生から、話は聞いていると思いますが。ある方について伺いたいのです」
彼女は、室に再び微笑む。
「私もお相手からの伝言を、もちろん聞いていますよ。『助けたいけどもう出来ない』ですよね? それに対する私の答えをあの子に」
この言葉は奥戸の事件で、沙十美からつぐみへ宛てられていたものだ。
『許されないとはわかっています。あの子を助けたくても私にはもう出来ない。せめて、あの子にごめんなさいと……』
沙十美の悲しみと後悔の思いに包まれた言葉。
それを反芻するかのように、つぐみは目を閉じている。
それからゆっくりと目を開き、はっきりとした声で言った。
「私は、あなたの助けが必要です。今、必要ですと。そう伝えて頂ければ」
室は黙っている。
その一方で、相変わらず品子の体は動けないままだ。
どういう訳かは分からない。
だがつぐみは、品子達のピンチに気づき助けに来たのだ。
しかしながら、相手が悪すぎる。
せめてつぐみだけでも、ここから離れてもらわなければ。
そう思い見つめた、つぐみの後ろ姿ごしに見える室の様子がおかしい。
先程までの無表情だった顔を、自分の右手で覆いうつむいている。
「……うるさい、じゃじゃ馬」
そう呟く声が聞こえ、室が大きなため息をつき顔を上げた。
同時に、品子の体にあった拘束感が唐突に消え失せる。
想定していなかった動きに、たまらず品子は前に倒れこみそうになってしまう。
だが正面には、自分に背中を向けたつぐみがいるのだ。
このままでは彼女にぶつかってしまう。
とっさに横にあるソファに手を掛けようとするが、掴むことが出来ず空を切る。
「冬野君っ!」
声を掛けるのが精いっぱいだ。
品子の声に反応して、彼女が振り返ろうとしている。
室はそんな品子の動揺した様子を、表情のない顔で見ているだけだ。
次の瞬間、品子の体はぐっと後ろに引っ張られる。
惟之が品子の手首を掴み、自分の方に引き寄せたのだ。
そのままもう一方の手を品子の肩に添えると、後ろから強く引き寄せてくる。
品子の体はくるりと半回転し、惟之の胸に頬が当たり止まった。
何とかつぐみにぶつからずに済んだ。
品子はほっとして、彼女の方に首を傾けていく。
一方のつぐみも、同時に品子から離れる様に後ろに下がっていた。
室に体を預けるようにして、彼女がこちらを向いて呆然としている姿が見える。
その体には、室の右腕が後ろから肩を抱くように回されていた。
室が、二人がぶつからないように彼女を抱きとめていたのだ。
……さながら室は、お姫様の危機を救った王子様のようだ。
品子がそう思った瞬間、周りから起こる複数の黄色い悲鳴。
ようやくそこで、つぐみと自分の状態に気づく。
転倒しそうな品子を抱えて助けた惟之。
同じようにぶつかるのを避けるために、つぐみを抱き寄せた室の姿。
年頃の女子大学生の皆様方には、実にたまらないシチュエーションといえるこの状態。
理解をした途端、自分の顔が急激に熱くなるのを品子は感じる。
すぐにこの場から去らねば。
品子の頭には、その考えしか浮かんでこない。
「むっ、室さん。続きの詳しい話をしたいので、……一旦ここから、で、出ましょう!」
品子は上ずった声で、室に話しかける。
「……わかりました」
室は素直に返事をしてきた。
うつむいて、店の出口へと向かう。
他の客と目が合わないように。
室の分の会計も共に済ませると、逃げる様に店を出ようと急ぐ。
周りの客が、ひそひそと話しているのが聞こえてくる。
今は全てを忘れようと品子は足を進める。
いや。
むしろここに居る全員に、『忘れて』もらえばいいのではないか。
そう考え、品子は発動を解放しようと手のひらを掲げようとする。
「あ、人出さーん。業務に必要のないことは、しない方がいいと思いますよー」
最高に嫌なタイミングで、後ろの「旅行業者」が何か言ってきている。
この声の調子からいって絶対に、ニヤついているのだろう。
……殴ろう。
今日この件が終わったら、絶対にこいつを殴るんだ。
そう心に誓い、品子は足を進めていくのだった。
◇◇◇◇◇
「それで今、彼女と話は出来るのですか?」
信じられないほど素直に、室は品子の車に乗り込んできた。
今は後部座席で、彼はつぐみと話をしている。
助手席に座る惟之は何も言わず、ただ後ろの二人の会話に耳を傾けていた。
「話をするよりも、実際に見せた方が説明の手間が省ける。ここは狭いから周りに誰もいない所で、車を停めてもらえるだろうか?」
見せるとはどういうことだ。
室の意図はよくわからないが、とにかく指示のある場所の候補をと品子は考える。
この先には、遊戯施設があったはずだ。
平日の今日ならば、そこの一番店から離れた駐車場なら誰もいない。
五分ほど車を走らせ、目的の駐車場に着く。
予想通り、辺りに人がいる様子はない。
室が車から降り、品子達にも降りてくるように促す。
全員が下りたことを確認し、周囲を見渡し人がいないことを室は確認していく。
「早く済ませてくれ」
室はそう呟いてから、煙草に火をつける。
煙草から揺蕩う煙を眺めていると、その煙の前に黒い霧が唐突に表れる。
霧はまるで蝶のような形になった後、徐々に大きくなり今度は人の形になっていく。
目前で起こっている出来事に頭がついていかず、品子はただ口をぽかんと開けたまま立ち尽くすことしか出来ない。
目の前には、黒いワンピースを着た女性が。
死んでしまったはずの千堂沙十美が立っているのだから。
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトルは「千堂沙十美と室映士の場合」
そうです、この二人の『お話』合いです。




