川の字
「毒が変化している?」
指に付いたチョコをぺろりと舐めると、品子はつぐみの顔を見る。
「はい。井出さんが、その可能性もあると教えてくれたのです」
「変化ねぇ。それでその変化した毒がヒイラギと同調して、起こさないようにしていると?」
「えぇ、その可能性を考えています」
つぐみの言葉を聞きながら、品子は再びアイスを頬張る。
「むー、毒じゃないから出せないのかなぁ。でもそれなら起こしてくれよーって感じなんだけどねぇ」
「……兄さんが起きたくないと願っている。だから、その毒は起こさない力を使った。ならば毒が納得しない限り、起きないのでしょうか?」
「うわー、オカルトチックだねぇ。そうなったらもうお手上げじゃん」
そういって品子は両手を上げて、降参のポーズをする。
「そうですね。もはや蝶の毒ではなくなっているのですから」
「……資料をここ数日間みてきたけれど、毒の変化という記述は無かった。冬野君にも、白日の資料をあらかた読んでもらっている。そうなるとあの資料室は、明日には閉鎖してもよさそうだな」
「そうですか。二条の方々には本当にお世話になりました。九重さんにも一度、直接お詫びを言いたいのです。明日は、来てくれるのでしょうか?」
「あぁ、来るはずだよ。私が明日、彼と話をする約束になっているから」
「では明日は、一緒に連れて行ってもらえますか?」
「もちろんいいよ。さて、そろそろ私はお風呂に行こうかなー」
大きく伸びをして、品子は廊下に出て行く。
つぐみもそろそろ寝る準備をと考えているとシヤから声が掛かった。
「……あの、つぐみさん」
シヤがつぐみの方を見て、もじもじとしている。
いつもにない態度が、何だか可愛いらしい。
そう思いながら、つぐみは尋ねる。
「なあに? シヤちゃんどうしたの?」
「あの。実は今日、惟之さんと井出さんが、この家に泊まるかもしれないと思ったのです。それで昼過ぎの短い時間ですが、お布団を二組干しておいたんです。でもそのまま帰られたので……」
だんだんシヤの顔が、赤く染まっていく。
「そ、それでせっかく干したのにしまうのももったいないので。そのお布団を、使おうと思い、……まして」
「? うんうん、いいと思うよ。お日様の匂いの布団っていいよね。すっごくわかるよ」
「はい、なので、あの。……その布団を、つぐみさんの部屋に持っていって、一緒に寝ても、……良いでしょうか?」
シヤの顔が真っ赤だ。
(これは何と、何と可愛らしいのでしょう! こんなお誘いを、誰が断れるというのでしょうか?)
「シヤちゃ……」
「いいに決まってるよー! そしてもう一つはもちろん、私に使用しろということだよね! シヤー!」
品子が廊下から光の速さで。
いや、これは光すら超えたであろう。
すごい勢いでシヤに向かっていくと、お約束の高速頬ずりをすでに始めていた。
「せ、先生。お風呂はどうしたのですか?」
「もちろん入るよ! だってその後のアイスも食べなきゃいけないし!」
「あ、本当にアイスまた食べるのですね。お腹は、大丈夫ですか?」
「大丈夫っ! というわけで、お布団二つ追加で! 冬野君の部屋に敷いておいてね、シヤ!」
それだけ言うと、再び走って廊下に戻っていく。
……忙しい人だ。
しかも無駄に忙しい人だ。
改めてシヤの顔を見る。
『いろんな意味でタイミングを失いました。もうどうしたらいいか分からない』と顔に長々と書いてある。
とりあえずは、自分から話しかけた方がよさそうだとつぐみは判断する。
「シヤちゃん。先生が言った通り、お布団を二つ持っていこう。どこに置いてあるのかな?」
「……あ、はい。こちらです」
シヤと一緒に、布団を運びながらつぐみは思う。
品子は先程「冬野君の部屋」と言っていた。
その一言が、つぐみをこの家に受け入れてくれているようで、とても嬉しかったのだ。
おそらくつぐみがここに居られるのは夏休みの間。
あるいはヒイラギが目を覚まし、この家に戻って来た時までだろう。
できれば後者であってほしいとつぐみは願う。
お風呂から上がった品子が再びアイスを食べた後、つぐみの部屋で三つ並んだ布団で誰がどの位置で寝るかの話し合いが行われた。
話は長引くかと思いきや、品子からの一声によりあっさりと位置は決まった。
「やはり身長でなぞらえた川の字だろう!」
その一言で、真ん中にシヤを挟んで寝ることになった。
つぐみは右隣を眺めることにより、大好きな二人を一度に見ることが出来る景色を楽しみながら。
時に品子がシヤをぐいぐいと抱きしめて、それを無表情で受け入れているシヤの様子を見つめながら。
眠りに落ちるその直前まで笑っていられるという、とても幸せな眠りにつくことが出来たのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトルは「大人の力」
20歳越えたからって大人って訳でもないのですよねぇ。




