松永京は警告する
「それは認められない! だったらどうやって、品子先輩を救い出すっていうんだ!」
興奮気味に語る里希に、松永は冷静に答えてくる。
「現状で与えられている情報にも記載がないため、確約は出来ません。十鳥さん、……いえ。もうこう呼ぶ必要はありませんね」
咳払いをして、松永は続ける。
「十鳥は、能力を把握した発動者の行動を封じるそうです。彼と戦うのは避けるべきでしょう。ですが、それ以上に厄介なのは、高辺さんでしょうね」
「ん? なんで彼女にはさん付けなの?」
松永は、眉をひそめていく。
「だってあの人、すっごく怖いですもん。今も私達のこの会話を、聞いていそうではないですか」
「確かにそう思わせるものがあるけどさ。ねぇ、なんか話がずれてない?」
里希の言葉に、松永はノートPCへと視線を戻していく。
「品子様の救出に対し鹿又様は、何かしらの準備をしていると自分は考えます。あの方の行動に、納得はしておりません。ですが、私よりもずっと先を読む力をお持ちです。……とはいえ、気に入らない点が一点ありましてね」
彼が指さした画面には『松永:任意に行動』と書かれた文字。
「他の方には指示があるにもかかわらず、私だけこれですよ。ぶん投げもいいところではないですか」
「ちょうどよかったじゃない。あなた、命令されるの嫌いなんだから」
むっとした表情を、松永は浮かべる。
「冗談じゃありません。何かあった際に、他の方は『命令に従った』って言えるのに、私だけそれが使えないんです。あの人、私の逃げ道をばっちり塞いでいやがるんですよ!」
「それだけ期待されているってことでしょう。……多分」
「うっわぁ、雑な慰めをありがとうございますぅ」
あからさまに不機嫌な声となり、松永はぷいと横を向いてしまう。
まるで子供ではないか。
とはいえ、ここ数日は彼に相当な無理をさせていたのも事実。
少しはその労をねぎらってやるべきか。
足首を軽く動かし『調整』をしつつ、彼から少し距離をとる。
小さくため息をついてから、里希は松永へと声を掛けた。
「……まぁ、僕もあなたに期待している部分はあるよ」
ぴくりと松永の肩が揺れる。
その動きが次第に大きくなったかと思うと、ふいにそれは止まった。
……来る。
タイミングを合わせ、里希は素早く足を彼に向けて掲げた。
「……里希様ってば今、私のこと褒めぐっふぉ!」
一度目の経験で、彼が来る位置はすでに把握済みだ。
こちらに飛びかからん勢いで近寄ってきた松永の顔面を、里希は靴の裏で押し止める。
両手で顔を覆った松永は、うめき声をあげながらあとずさっていく。
「……ひどい! さっきは手のひらだったのに」
「部下なんだから、主に二度も手をわずらわせないで」
「わずらわせって……、まず部下を人間扱いというか、大切にしましょうよぉ。ううっ」
鼻の頭を指先でさすりながら、涙声で松永は嘆いている。
なんとも面倒な性格の部下だ。
だがそれ以上に、自分がより厄介な性格であることも、もちろん自覚している。
だから今こそ、伝えようではないか。
生死がかかった場所までついてきた愚かで忠実な彼に、自分なりのねぎらいと鼓舞を。
立ち上がり、ふてくされた顔でいる彼を里希は見据える。
「……部下だって言うのなら、ちゃんと僕に着いてきて。あなたは僕の盾なんだから」
里希の言葉に、松永の嘆きがぴたりと止まる。
代わりに彼の口元に浮かぶのは、誇りと喜びを含んだ力強い笑み。
『何があっても裏切ることなく主を守り、許可なく勝手に消えることも認めない』
自分の部下となった際に、彼に誓わせた言葉。
十年の間、違えることなくこの男は、それを守り続けてきた。
松永は里希の前で跪くと、恍惚の表情で自分を見上げてくる。
「……えぇ、その通りです。すべては主のために」
「宣言と報告はもう終わり? ならさっさと移動するよ」
「承りました。と言いたいところですが、私は一旦、ここでお別れいたします」
「……は?」
まさかの言葉に、里希は間抜けな声で反応してしまう。
「里希様に活を入れてもらったことですし、ちょっと方針を変えることにします。なにせ私、任意行動ですから。ほんの少~し細工を施してから、里希様の後を追いかけますので」
そう語る彼の顔に浮かぶのは、いつもとは違う笑み。
今までに幾度か見たことのある、その表情を見つめながら里希は答える。
「今、あなたが考えている対象者が、自分でないことを心から祈るよ」
「ご安心を。といいますか」
彼は嗤う。
「どうして私が主に、『自分の視界からいなくなる方法』など考える必要がありましょう」
背中にぞくりとした感覚が走る。
発動を持たぬ、ただの事務方。
そんな彼がどうしてここまで生き延び、隣に居続けていられたのかを、改めて里希は認識する。
「それに私がいない方が、あなた様の望む風を吹かせることが出来ますから」
「……まどろっこしい言い方はやめてくれる? ちゃんと説明して」
怒りを帯びたこちらの声に、松永は苦笑いを浮かべた。
「二人だけでの陽動。これは鹿又様が『二人で十分である』と判断したからではないかと。つまり、まだ見ぬ里希様の協力者は」
「僕と同じ、攻撃型であると?」
「はい。ですので発動を持たぬ自分が同行すれば、むしろ足手まといになります」
「なるほどね。確かに視界の隅でちょろちょろされても、迷惑なだけだもの」
松永が、頬をかきながら答えてくる。
「そんな言われ方したら、ちょっと傷つきますねぇ。とはいえ、思う存分やってほしいというのは事実です。私も所用を済ませ次第、すぐに追いかけますので」
「わかったよ。約束したんだから、ちゃんと後から来てよね。盾がいないせいで僕が死んじゃったら、身も蓋もないんだから」
「えぇ、それはもちろん。といいますか、この作戦によりもし、私がたどりついた時に里希様が亡くなっていたら」
真剣な表情をたたえ、松永は続ける。
「私は全てを投げ出し、そのような采配をした鹿又様を殺します」
随分と物騒な結論を出してきたものだ。
しかしながら、里希は理解している。
異能はなくとも、この男であれば鹿又の命を奪うことは不可能ではないと。
同時にこれは彼からの鼓舞であり、警告でもある。
もし里希が死んだ場合、松永は品子を助けることすらしない。
彼は暗にそう言っているのだから。
「穏やかじゃないね。では、そうならぬように僕も動くとするよ」
なだらかな上り坂になっている道路へと、里希は視線を向けた。
品子達がいる施設は、ここから車で十分ほどだという。
「少し先に進んですぐに、脇道があります。一本道で迷うことはありませんし、高~いフェンスと門扉もあるので、その先にいるのは関係者しかいません」
「じゃあ、そこにいるやつを全部、片づけながら建物に向かえばいい。そういうことだね」
松永へとまっすぐに視線を合わせれば、淡い笑みと共に彼はうなずいた。
「じゃあ、行ってくるから」
「はい、どうかご無事で」
「そんなの当たり前でしょ。あなたこそちゃんと僕の元に戻ってきてよ」
答えを聞かず、里希は彼に背を向ける。
察しの良いこの男のことだ。
こちらの考えなど、とうに理解していることだろう。
—―返事は再会した際に。
振り返ることなく進んだ先にあるのは、言われたとおりの光景。
風の力を借り、軽々とフェンスを越え着地をすれば、踏みしめた草木と地面の香りが里希を包む。
それに混じり漂ってくるのは、自然とはそぐわぬ血の匂い。
嗅ぎなれた匂いの元は、歩き進めるにつれ姿をあらわしてくる。
明らかに人ならざる力によって切断された、死体へと視線を向け里希は呟いた。
「まいったねぇ。これって僕の協力者とやらは、とっくに始めているっていうことかな」
うつぶせに倒れた者が多いこと。
これは恐れをなし逃げ出した相手にも、容赦なく攻撃を加えたという証。
自分が到着するのを待たずに行動を開始していること。
加えて、五体満足で死んでいる者がいないことを考えるに、随分と残忍な性格のようだ。
とはいえ、下手に生き残られて他者に情報を渡される。
そのリスク回避のための行動である可能性も否定できない。
「さて、僕はこの協力者さんと、お友達になれるかなぁ。それにしても鹿又様ってば……」
こみあげる感情は、怒りかそれとも。
抑え損ねた燻りが、自分を中心に渦巻くように風を引き起こしていく。
『あの人、私の逃げ道をばっちり塞いでいやがるんですよ』
松永の言葉がまさか、自分にも当てはまっていたとは。
鹿又が、明確な相手の情報を示さず、最も危険な場所へとたった二人で向かわせた理由。
それは相手の情報を知った自分が、この案件から降りる可能性を懸念したためではないのか。
正体不明の協力者。
こいつの思考と行動は。
――恐ろしいまでに自分と酷似している。
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトルは『蛯名里希は出会う』です。




