井出明日人は知りたがる
明日人達が協力をしてくれる。
自分で望んでおきながら、それが果たされたことに里希は驚きを隠しきれない。
「蛯名様、どうされました?」
気がつけば明日人が至近距離で、自分を不思議そうに見つめてきている。
本当に心配しているのだ。
彼のまなざしからは、それをうかがい知ることができる。
一条以外の人間が、自分に協力をしてくれる。
ましてや今のように気遣われるなど、松永と浜尾以外にされたことがない。
立て続けに起こる未経験の出来事に、あろうことか頬がほころびそうになる。
……落ち着け、蛯名里希。
とうに成人した自分が、心配されたことで嬉しいと思うなど、あってはならない。
しかしながら、次から次へと胸の奥から生じる、むずむすとした感覚。
これをどうしたら抑えることが出来るのか、里希には分からない。
なんとかこらえようと目を閉じた自分を、明日人は体調不良と捉えたようだ。
里希の頬へと手を伸ばしつつ、彼は緋山へと声を掛けていく。
「治療は問題なかったはずですが。緋山さん、あなたからもう一度、治療を行ってもら……」
「いえっ、それは不要というもの。 ……も、申し訳ない!」
後ずさりながらそう語れば、視界の隅で松永がニヤけた笑みを浮かべているのが見える。
ぎろりと彼をにらみつければ、明日人がなだめるように間に入ってきた。
こんなことをしている場合ではない。
治療が終わったのであれば、一刻も早く品子の元へ向かうべきなのだから。
とはいえ彼らの望む条件は、上級発動者の権力が残されている今のうちに、確認しておくべきであろう。
「井出さん、あなたの私に対する要望をうかがいたいのですが」
明日人はまばたきを繰り返すと、里希を見つめてくる。
「えぇと、何といいますか。……今ですか?」
「はい。せかしたくはないのですが、この地位を剥奪される前に、実行しておいた方がいいかと」
里希の申し出に、明日人は考え込む様子を見せる。
やがて「うん」と小さく呟くと、里希の顔をまっすぐに見据えてきた。
「……では、私が望むことをお伝えしますね。それは、『知ること』です」
「知る、ですか?」
予想外の言葉に、今度は里希が戸惑ってしまう。
確かに自分は二条ほどではないが、組織内の機密情報を知りえる立場だ。
井出明日人は、権力闘争や駆け引きとは遠い存在。
自分はそう認識していたのだが。
そんな彼が、何を知りたいというのだろう。
一条の管轄する情報であれば、答えることは可能だ。
だが、他の長達に関わる話ともなれば、そうもいかなくなってくる。
「出来る限りお答えします。ですが、他の所属の話、特に長やその周辺ともなると」
「あぁ、組織の裏の話とか、ドロドロッとした権力争いとかは全く興味ないです」
明日人は首を横に振る。
「私が知りたいのは、一条が行った冬野つぐみさんの採用試験のことです。あなたの言葉で、正直に。これが私の望みとなります」
里希の脳裏に、当時の出来事が蘇ってくる。
品子のいる三条に所属したい。
彼女はそう願い、白日の採用試験へと臨んできた。
だが自分達は、そんな彼女を三条ではなく、一条の試験を受けざるを得ない状況へと追い込んだ。
厳しい条件を与え、つぐみを不合格にさせる。
それにより推薦者であった品子達に恥をかかせ、同時に彼らの所属先の弱体化を引き起こす。
高辺によって綿密に練られたこの計画は、何の狂いもなく成功するかにみえた。
だが、つぐみは持ち前の機転と判断力で、見事にこの窮地を切り抜ける。
試験こそ不合格になったものの、品子達の立場を、彼女は一条から守り切ってみせたのだ。
「あの時、不合格にするだけではなく、彼女の記憶を全て奪うはずだったのでは? そうならなかった理由を、教えていただきたいのです」
明日人の言葉に、里希の心臓は大きく跳ねる。
そう、自分は彼女の試験で起こった出来事の記憶だけを消した。
「記憶を残したのは、あなたの意思ですか? それとも、何か目的があってのことだったのでしょうか?」
「……あれは、一条としての指示ではなく、私の意思です」
途切れがちな意識の中、必死に自分へと訴える彼女の姿を思い返す。
つぐみは意識を失う最後の瞬間まで、例え話として語った愚かな男のことを。
――里希のことを心配していた。
『どうか伝えてください。あなたのその心は、とても純粋で綺麗だと思いますと』
あれだけの不条理に巻き込まれたのだ。
恨みごとの一つでも吐けばいいのに。
それでも彼女は最後の行動に、知りもしない他人へ寄り添うことを選んだ。
何と純粋で、愚かな娘だろう。
そんな彼女の全ての記憶を消さんと、まぶたに手を伸ばしたその時。
つぐみの涙に触れた際に、気づいてしまったのだ。
心に触れられたことに、思われたことに。
わずかとはいえ、自分は喜びを覚えたということを。
里希の内心を知り、それでも蔑むこともなく、綺麗だと言った。
そんなつぐみの思いを、記憶をなくすことに対し、ためらいが生まれた。
たとえ自分であると知られることがなくても。
こんな人間がいたということを、それでも自分に心を向けたことを覚えていてほしい。
……そう思ってしまったのだ。
「蛯名様は、それを『喜び』と感じたと?」
正直にという約束もあり、明日人からの問いに素直にうなずく。
だが芽生えてしまう羞恥心が、里希の顔をうつむかせてしまう。
「何をおかしなことを。そう言われても仕方ありません。緊迫した状況において、生じる感情ではない。自分とて、それは理解しておりますから」
「いいえ、ちっともおかしくなんかありません」
力強い明日人の声に顔を上げれば、笑みをたたえた彼と目が合う。
予想外の対応に驚く自分へ、明日人は穏やかに語り始めた。
「ありがとうございます。これで私への謝礼は十分にいただけました」
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトルは『緋山晴沙は語る』です。




