木津家の甘味品 その1
まさかシヤに言った冗談が、本当になるとは。
つぐみは目を丸くして明日人を見つめる。
明日人は実によく食べている。
痩せの大食いとは彼のことを言うのだろう。
まるで子供のように、にこにことしながら彼は目の前の料理を食べていく。
男性に対して失礼ではあるのだが、可愛らしいという感情を思わずつぐみは抱いてしまう。
何だか眺めているこちらの方が幸せになってしまうではないか。
だが、見とれている場合ではないのだ。
「皆さん、よかったら玉ねぎで甘辛のソースを作ったんです。唐揚げに使いませんか? あと、温泉卵も作ったので、一緒に絡めて食べても美味しいですよ!」
つぐみの呼びかけに、明日人の手がピタリと止まった。
「……品子さん、冬野君は唐揚げの神様なの?」
「そうだよ、明日人。今まで黙っててごめんな」
「うう、仕方ないよ。こんな神様、独り占めしたくなる気持ちは分かるからね」
おかしなことを言っている二人にツッコミは無いのだろうか。
そう思いちらりと惟之を見るが、彼は黙々と食べ続けているのみだ。
その姿に疲労感が見えるのは、気のせいではないのだろう。
せめて彼に自分が出来ることをするべきだ。
つぐみはそう考え、惟之の元へと向かう。
「う、靭さんっ。ご飯のおかわりを良かったらお持ちしましょうか?」
「あぁ、ありがとう。お願いしていいかい」
「はい! すぐにお届けしますね」
つぐみは茶碗を受け取ると、台所へと戻って行く。
「あ、そうだ。今のうちに言っておかないとね」
そう呟き、リビングを背にしたままで皆へと声を掛ける。
「皆さーん、食後に甘いもの準備してありまーす。お腹の余力、ちょっと残しておいてくださいね」
直後にガタン! と大きな二つの音が響く。
何事かと振り返ると、明日人と品子が足早につぐみの元へと向かって来るではないか。
「ちょっと、品子さん! 冬野君はスイーツの神様もやっていたの! 聞いてないよ! ずるいよ!」
「すまん、明日人。ここまで彼女が正体を明かすなんて、私も想定していなかったんだ」
興奮状態の二人は、つぐみの目の前で急停止すると同時に叫ぶ。
「「何を作ったの! 今すぐ教えて!」」
「……なぜ? なぜ二人とも、同じ台詞が同時に出せるのですか。あなた方は双子か何かでしたっけ?」
二人の勢いに圧倒されつつ、つぐみは答えていく。
「あ、あの生チョコを、作りました」
「……何、だって」
明日人が自分の両手を見つめながら呆然と呟く。
「しっかりしろ、明日人っ! 気持ちは分かるが……」
「酷いよ。これはあんまりだよ。……唐揚げと生チョコ。どっちもお腹いっぱい食べたい。なのに互いの配分を、己で考えろという残酷なことを冬野君は言うのだね」
「仕方がないんだ、明日人。今日という日は、今しかないんだ」
話の規模がおかしな方向に、どんどん進んでいる。
後半の品子の話にいたっては、全く明日人への答えにもなっていない。
「うっ、靭さん。本当にお願いですから、そろそろ突っ込みを入れてもらえないでしょうか?」
すがるようにリビングにいる惟之に声を掛けるが、シヤと二人でまったりとお茶を飲んでいる。
その目は、明らかにこちらを見ないようにしていた。
気持ちは分かる。
だがこの状況を収められるのは彼しかいない。
ひたすらひたすら、つぐみは惟之を見つめ続ける。
その様子に惟之は大きくため息をつき、品子と明日人に声を掛けた。
「明日人、今日のお前のここに来た目的を忘れたのか? あと品子、冬野君をそう困らせるな」
惟之の言葉に、二人はしゅんとなる。
「……はーい、では本来の目的に入りますよー。冬野君。この話が終わったら、生チョコ食べさせてね」
「ごめんね、冬野君。あと意地悪を言ってくる惟之には、生チョコ食べさせなくていいからね」
「……えーと、靭さん。本当にありがとうございます」
礼を言うために眺めたリビングでは、シヤが話を聞けるようにと机の上を片付け始めている。
自分も手伝おうと布巾を手に取り、つぐみはリビングへと向かうのだった。
◇◇◇◇◇
「さて。今日、僕が来たのはヒイラギ君の件なんだけど」
片付いたテーブルに、それぞれの飲み物を届ける。
そのままつぐみも、リビングのソファーに座ることにした。
「病院で改めて検査したのだけれど、彼の体には何も異常がない。なのに目が覚めないんだよね。それで僕なりに考えてみたんだ。……蝶の毒がまだ残っているのではないかと」
「それは一体? 毒は井出さんに、治療で治してもらっていたはずでは?」
明日人の言葉に、シヤが不思議そうに尋ねる。
「あの時も言ったけど、彼の侵食は本当に早かったんだ。正直、認めたくないけど完治できなかったということだろうね。それにシヤさんも見てたから知ってると思うけど、なぜか彼の体から毒は大部分が自分から出て行ったようなんだ。それでも……」
「まだ一部が残っていて、そいつのせいでヒイラギが目覚めない。明日人はそう言いたいんだな?」
惟之が明日人の言葉を聞き、答えていく。
「そう考えるのが、一番しっくりくるのではないかと。だからその毒を取り除けば、彼は目が覚めると思うのです」
「その毒をどうやってヒイラギから見つけるか。更にはどうやって出すのか。この辺りが問題なのか?」
惟之からの問いに、明日人はこくりと頷く。
「その通りです。方法が分かれば、僕にも手伝うことが出来るのですけどね」
「惟之。二条の資料室に、そういった事例とかって記載ある?」
品子の疑問に、惟之はしばらく考える。
「わからん。一度、調べてみる必要はありそうだが」
「明日、確認したいね。私が入る許可を貰えるだろうか?」
「わかった。俺も一緒に行こう」
「ん、よろしく」
蝶の毒。
元々これは、つぐみが受けていたものだ。
それをヒイラギは、肩代わりで全て自らの体に引き受けたのだ。
自分にも何かできないだろうか。
……そのためには、もっと知識が必要だ。
つぐみは考えをまとめ始める。
先程、品子達が話していた資料室。
部外者である自分は、入ることはできない。
品子が調べてきたことを教えてもらい、それから何か対策を考える。
現状では、それ位しか思いつかない。
悔しいが、今は待つべきだ。
そう結論づけると明日人から声が掛けられる。
「そういうわけで、僕の話は終わりっ! 冬野君、チョコ食べたいよー」
重苦しい空気を変えるように、明日人は笑顔でつぐみに話しかけてくる。
確かに自分で何もできない今、悩んでいてもしかたがない。
それならば今の自分に出来ることを。
皆に少しでも疲れを取ってもらい、明日への活力を持ってもらうべきだ。
そう考えたつぐみは明日人に笑顔を向ける。
「はい! 今、持ってきますね。皆さん、飲み物のおかわり良かったら準備しますよ」
「でしたら、私、手伝います」
「ありがとう、シヤちゃん。じゃあ一緒に運んでくれる?」
今度はシヤに微笑むと、二人で台所へと向かう。
――さぁ、はじめよう。
今の自分が出来ることを。
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトル「眠る人」
ちなみにヒイラギではありません。