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冬野つぐみのオコシカタ  作者: とは
第十章 三条の転じ方

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蛯名里希は絶望する

 足元に転がるのは、自分の父親だった体の一部。

 里希(さとき)はしゃがみこみ、吉晴(きはる)の手のひらへと触れていく。

 見覚えのある、母を愛した証である指輪。

 見間違いようのない黒子(ほくろ)へと、静かに指をなぞらせていく。


 なぜもっと、この手に触れておかなかったのだろう。

 なぜ様子が変わった時にもっと、話をしなかったのだろう。

 そうしていれば、父を取り戻すことが出来ていたかもしれないのに。


「……様、里希様っ!」


 松永の声に顔を上げれば、いつの間にか目の前には清乃が立っている。


「里希様、この部屋から早く出てください! 清乃様の目的は貴方様の……!」


 声の方へと顔を向ければ、壁に寄りかかっている松永の姿が目に入った。

 右肩を赤く染め、苦しげな表情を浮かべながらも、彼は自分へと必死に叫び続けている。

 どうして彼は、こんな姿になっているのだ。

 定まらない思考を続ける里希に、清乃の声が聞こえてくる。

 

『さっきから邪魔だな、少し黙れ』


 清乃が人差し指を、松永の右肩へと軽く振るった。

 直後、松永の体はびくりと震え、肩からはおびただしい量の血が吹きだしていく。

 言葉もなく松永が床に倒れるのを見届け、清乃は里希へと向き直った。


『これでようやく話が出来る。自我を取り戻したお前の父親から、「最後の頼み」とやらで、伝言をお前にって預かっていてなぁ』


 血の臭いが充満する部屋で、清乃は何事もないように笑って話しかけてくる。

 松永の言う通りに、ここは逃げるべきなのだろう。

 だが父は死に、松永も目の前で動かなくなってしまった。

 そんな自分に、何が残されているというのだろう。

 ここで立ち上がることなど、本当に必要なのだろうか。

 心に絡みつく空虚感が、里希から動こうとする気力を奪っていく。


 ――あぁ、やはりいつもこうなるのだ。


 強く望んだものであればあるほど、掴もうと手を伸ばすほど、自分からは離れていってしまう。

 母も、欲しかった親からの愛情も。

 ……そして品子も。


 だから望まないようにした。


『人に関心を持つ必要などない』


 偽の父から与えられるこの言葉に流されるまま、心を閉ざし生きることを選んだ。

 持たなければ、何も失わない。

 だがその結果はどうだ。

 絶望と取り戻せない後悔だけを、ただ自分に残しただけではないか。


 大きく体が揺さぶられる感覚に、里希は我に返る。

 どうしたことかと見上げれば、清乃の右手が胸ぐらをつかみ、体が持ち上げられていた。

 顔を近づけた彼女は、里希の表情を見ると、つまらなさそうに口を開いた。


『吉晴からだ。「一人でよくここまで成長してくれた。父としてお前を誇りに思う。どうか一条を頼む」だとよ』

「……」

『まぁ、何も言えないよな。……今のお前に、全く似つかわしくない言葉だものなぁ』

 

 清乃の言う通りだ。

 今の自分に、この言葉を受け取る権利はない。


『さて、これで吉晴からの頼まれごとは済んだな。ここからは俺からの話となる。正直に答えろよ、里希』


 乱暴に清乃の手がはなされ、里希は床へと倒れこんでいく。


『マキエ亡き後、一条にて行われていた「(はら)い」。これにマキエの魂を利用していたことを、お前は知っていたのか?』


 父から、いや偽物からそれは聞いていた。

 今さら隠すことも、偽る必要もない。


「……はい、知っておりました」

『三条ではなく、一条がマキエの魂に関わる。それをお前は、おかしいと思わなかったのか』

「違和感はありました。ですが……」


 どう答えようかと言いよどむ。


『お前にとっては、「復讐」だった。……そんなところか?』


 鋭いところを突かれ、里希は言葉を返すことが出来ない。

 マキエの事件で惟之は片目を、木津兄妹は母を失った。

 それにより品子が、彼らの傍らから離れることなくいたこと。

 さらにはその直後、彼女との婚約破棄を知らされたことが、自分を負の感情へと一気に傾かせた。


 マキエさえ、こんなことにならなければ。

 歪んだ憎しみであると、分かっていたというのに。

 だがそんな自分へ、偽の父はこう言ってきたのだ。


「今回の事件を収められなかったことを、マキエは反省している。三条には合わせる顔がない。なのでここ一条で贖罪をしたいそうだ」


 ほかならぬ本人(マキエ)からの望みである。

 その言葉に異を唱えることもなく、三条の人々が悲しみにくれるのを、ただ自分は傍観し続けた。


「そうです。私はあなた方の大切な人の魂を、利用しておりました」

『それを認めるか。ならば、吉晴と同様にお前も責任を取る必要がある。とはいえ、当時は未熟であり、偽物にたぶらかされたというのも事実』


 清乃の言う、当時の自分は十五歳。

 物事の善悪を知るには、十分な年齢だ。


「そのような情けは、自分には無用です。今ここで、けじめをつけましょう」


 あぁ、そうだ。

 ならば、自分も父と同じように。


 強く発動を込めた右手の指先を、自身の左腕へと当て、一気に振り下ろす。

 痛み、喪失感。

 それらが混じりあい吹き出すかのように流れる血が、床へと転がった自分の左手へと降り注いでいく。

 見上げた先にいる清乃は、無表情に自分を見下ろしているのみ。

 なるほど、この程度ではまだ足りないということか。


「申し訳ありません。でしたら次は……」


 再び指先を上げ、今度は首へと伸ばした里希の体が、衝撃を受け大きく傾ぐ。

 あおむけに倒れた自分へと、おおいかぶさってきた人物は、怒鳴るように里希へとまくし立ててくるのだ。


「あんたって人は、何をしようとしているんですか! そんなもんが、けじめになるわけがないでしょう!」


 これほどまでに、激高する彼は見たことがない。

 この感情は、驚きであろうか。

 あるいは、自分だけが取り残されたわけではなかったという思いからか。

 自身に生まれゆくそれを理解できないまま、かすれた声で里希は彼の名を呼ぶ。


「松永、……さん?」

お読みいただきありがとうございます。

次話タイトルは『蛯名里希は答えを出す』です。

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― 新着の感想 ―
壮絶な展開ですねぇ! そりゃ松永さんも怒ります(^^; 「そうだよ!里希くん、それは違うよ!」と、僕も言いたい笑 今回の展開からの、次話タイトル『蛯名里希は答えを出す』 どう答えを出すのか楽しみです(…
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