人出清乃は呼び出される
膝をつき、清乃は、涙声で娘の名前を呼び続けていた。
やがて部屋の隅から電話の着信音が鳴り響くと、ぴたりと声を止め、静かに立ち上がる。
自分が出るまで、この呼び出し音が鳴り止むことはない。
そしてこの電話が来たということは、十鳥はもうこの場から去ったという合図でもある。
心の中に渦巻いているのは怒り。
今から話す相手に、その感情をぶつけることのないように、冷静さを取り戻す時間が自分には必要だ。
鞄の中からスマホを取り出した清乃は、深く息をついてから、着信ボタンを押す。
「……もしもし」
わずかな沈黙の後、楽し気な男性の声が聞こえてくる。
「相変わらず素敵なお声です。聞きほれてしまい、返事が遅れてしまったことをお詫びせねば」
しらじらしい。
そう思いながらも、こちらの緊張を緩和しようという配慮であることは理解できた。
ならばこちらもそれなりの対応をと、柔らかな声を心がける。
「いいえ、それは結構よ。それで、結果はどうなのかしら、……鹿又さん?」
こちらの口調が、穏やかであること。
それにより、まだいくばくかの猶予があることを悟ったようだ。
二条の長である鹿又統は、落ち着いた様子で言葉を返してくる。
「えぇ、清乃様の素晴らしい演技のおかげで、彼らの潜伏先を確認することが出来ました」
ひとまずは、彼らへの足がかりを得ることは出来た。
とはいえ、品子達が危険な状態でいることに変わりはない。
すぐにでも行動を起こさねばならないが……。
その考えを読んだかのように、苦笑い気味の鹿又の声が清乃の耳へと届く。
「それにしても、少しばかり暴走が過ぎませんかね? 本来はわざと十鳥に負けて、そのままあなたが品子さんたちの元へと連れ去られる。それにより、監禁場所の特定及び救出を行う。私がお願いしていたシナリオでは、そうなるはずだったのですが」
軽い口調で話してはいるが、清乃と清春が引き起こした予定外の行動に、鹿又もさぞ肝を冷やしたに違いない。
「結果的に十鳥の発動痕跡を惟之に辿らせたことで、相手の居場所が掴めたので良かったのですが。別の可能性があるのでしたら、事前にこちらにも通達をお願いしたかったです」
「ごめんなさいね。優秀な鹿又さんのことだから、きっとトラブルがあっても柔軟に対応出来る。そう信頼していたものだから」
声が聞こえやすいようにとスピーカーのボタンを押し、かろうじて形を保っている戸棚へと置けば、今度は大きなため息が聞こえてくる。
「美しい女性から、信頼という言葉を聞けば嬉しいものです。ただ、その信頼があるというのであれば……」
『私が清乃の中にいたことを、どうして今まで自分に話してくれなかったのか。そうお前は言いたいんだろう』
割り込むように入ってきた清春の声に、鹿又は「全くです」と答えてくる。
「清春様、そもそも昔っからあなたって人は、私を振り回してばかりでしたよね。死んだんなら大人しく、墓の下で爆睡でもしていてくださいよ」
『ばーか。お前が頼りないから、こんなとこに俺が出なきゃいけなくなったんだろうが。単にお前の力不足なんじゃねぇのか』
がらりと口調を変えた清春に、負けじと鹿又の話し方も変化していく。
「一応聞いておきますけど、清乃様の制止を振り切って十鳥をボコボコにしようとしたのは、どうせあなたの発案なんでしょう? 優しい妹さんを困らせる兄って、存在していていいもんなんですかねぇ」
『だが、あんな雑魚が清乃を自分より下に見ていたんだぞ。俺の可愛い清乃にそんなこと許せるはずないだろう!』
「まぁ、清乃様が同意している時点で、何か策があるとは思いましたが。さしずめ彼を極限状態に追い込み、重要な情報を出させようとした。そんなところですかね」
『ふん、よくわかってるじゃないか。ああいう小者は、命惜しさにペラペラとしゃべり出すからなぁ』
こんな状況であるが、清春の声にわずかな喜びの感情が含まれているのを清乃は読み取る。
昔からそうだ。
彼らはいつも、こんな言い合いばかりをしていた。
二人に旧交を温めてもらいたいという気持ちは、もちろんある。
――だが今は。
パンッと清乃の手が叩かれ、二人の会話がぴたりと止まる。
「おしゃべりをしていい時間ではない。そんなことすらお二人は、……理解できていないと?」
『そ、そのっ、……すまなかった清乃』
「申し訳ありませんっ、清乃様!」
抑揚のない声で語る清乃に、二人はたじろぎながら謝ってくる。
「予定を狂わせたことは、あとで清春兄さんと一緒に責任を取ります。鹿又さんはこの部屋での会話と状況は、確認済だと理解してよろしいですね」
「えぇ。惟之の千里眼での報告で聞いておりました」
電話の奥で惟之が、「うわっ、鹿又様、痛いっ」と声を上げるのが聞こえてくる。
「私よりも先に、惟之があなた方兄妹の秘密を知っていた。これがまた気に入らない所ではありましたがね」
『仕方ないだろう。一条側につくかもしれない人間に、正体を明かすわけにはいかないからな』
情報を統括する二条の長。
人の心を掴む能力に長け、抜け目なく立ち回る様は頼もしい一方で、信頼するには少々危険である。
清乃達は鹿又をそう評していたのだ。
ーーそう、謹慎中の彼が、たった一人で三条管理室にやってくるまでは。
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次話タイトルは『人出清乃は話し終える』です。




