蛯名吉晴は面談をする
面倒だ。
だが、これが『自分』の与えられた仕事である。
一条内の応接室へと、蛯名吉晴は足を進めていく。
三条相手の面談は、今までに何度も行ってきた。
いつものようにこなし、早々に終わらせていけばいい。
「早急に確認したい案件がある。断るのであれば、権限を委譲したものとみなす」
三条からこの連絡が来た時には、随分と強硬な態度だと呆れたものだ。
現在、一条が四条の権限を、三条が二条の権限を握っている。
自分がこの面談を拒否すれば、三条のみの意向で事が進んでしまう。
そのやり方を促してきたのは自分達とはいえ、いざそれを逆手に取られると不快なものだ。
話というのも、『娘である人出品子の捜索を認めてくれないか』。
どうせ、その嘆願も含まれているに違いない。
いっそ、彼女が持っている権限と引き換えに、許可を出すと言ってやるのはどうだろう。
気弱なあの女のことだ。
みっともなく動揺し、震えてうつむくしかできないのだろうが。
応接室の前に着いた吉晴は、手のひらを扉へとかざす。
部屋の中の気配は一つ。
案内を任せた事務方の女性からは聞いていたが、本当に一人で訪ねてくるとは。
「護衛や秘書もつけずに、のんきに訪ねて来たものだな。……人出」
組織内の人間が、自分に発動などするはずがない。
そう勘違いしている愚かな来客へと、吉晴は発動を開始していく。
兄の木津清春から三条の権限を委譲され、いまだその座に居続ける女。
たいした実力を持たぬ愚かな彼女は、こちらの発動に全く気づく様子もない。
応接室に、自分の気が満ちたのを確認し、扉を開いていく。
入室に気づき立ち上がる相手へ、声に発動を乗せながら吉晴は暗示をかける。
『案内は十鳥が行ったようだが、君に対し失礼はなかったか?』
彼女は思案するように首をかしげていたが、にこりと笑って答えてくる。
「えぇ。いつものように、丁寧な応対をしてくださいました」
返事を聞く吉晴の口元に、薄笑いが浮かぶ。
あっさりと彼女は、本当に案内してきた事務方の女性の存在を忘れ、十鳥に案内されたと『思い込んで』いるのだ。
自分の『騙し』の発動は、きちんと彼女に効いている。
それを確認した吉晴は、ソファーへ腰を下ろした。
「人出、時間は取ると言ったが、私は長話をするつもりはない。簡潔に話せ」
強腰な姿勢に怯えたかのように、声を震わせ彼女は語りだす。
「はっ、はい! 今日は、お願いがあってまいりました。でも、その前に……」
扉へと視線を向けていく相手に、吉晴は胸騒ぎを覚える。
「その十鳥さんと、お話をしたいのです。彼をもう一度、呼んでいただけませんか?」
◇◇◇◇◇◇
厄介なことになった。
普段であればどうとでも対応できるが、よりによって今、『十鳥』は本部内にいないというのに。
「人出よ、なぜその必要がある?」
なんとか冷静さを取り戻し、意図を探らんと問う自分に、彼女は不思議そうに目を瞬かせている。
「あら、確かにおかしいですね。先ほど十鳥さんに会ったばかりのに、どうして私はこんなことを言っているのかしら?」
まずい。
矛盾に気づかれれば、『十鳥に案内をさせた』という偽の記憶の暗示を破られる可能性がある。
彼女の注意を逸らそうと、吉晴は口を開いた。
「用件があるのは、私にではなかったのか?」
「その通りですが、十鳥さんにも聞いておきたいことがありまして。……呼び戻すと、何か困ることでも?」
のろのろとした、要領を得ない話し方。
これはいつもと変わらないのだ。
――なのにどうして、こんなに。
「どうしたというのです? ……ねぇ、吉晴様?」
目の前の人物に、自分は『恐れ』を抱いているというのだ。
冗談じゃない。
こんな女に、自分が慄くなどあってはならないこと。
その彼女は、どうしたことか自分を見つめ、かすかに笑みを浮かべている。
「……話をする気が失せた。今日の所は帰ってもらおう」
彼女の態度が、自分を見下しているようにみえて仕方がない。
吐き捨てるように言って立ち上がれば、相手はみるみる顔を青ざめさせていく。
「そんな、怒らせてしまったのでしたら謝ります。もっ、申し訳ありません」
すぐさま立ち上がり頭を下げてくる様子に、わずかに怒りが収まる。
その隙を見計らったように、人出は顔を上げると、「実は」とおずおずと切り出してきた。
「私は今の立場に疲れました。もともと兄とは違って、人の上に立つ人間ではなかったのです」
「……ふむ、それはつまり」
「はい、三条の権利を委譲して、暇をいただこうかと。私は娘を、……品子を探しに行きたいのです」
「そうか。君が、結論を出したというのであれば仕方あるまい」
なんだ、これで白日の全権を手に入れたも同然ではないか。
ほくそ笑む吉晴へと、人出は言葉を続ける。
「長い間、お世話になりました。ここに来たのは最後にただの幼馴染として、吉晴さんと思い出話をしたかったからなの。少しだけいいかしら」
急にくだけた口調で話しかけてくる、その行動に苛立ちを覚える。
だが、相手の機嫌を損ね、権利委譲を翻されても面倒だ。
「いいだろう。だが、何を語ればいいんだ?」
吉晴の言葉に、ふたたびソファーへと腰を下ろした人出は言う。
「では昔のように『きーくん』と呼びますね。あぁ、この呼び方も懐かしいわ。昔は清春兄さんときーくんの三人で、よく三条の管理室でどら焼きを食べながら話をしていましたよね。そうそう!」
ぱちりと手を叩くと、嬉しそうに彼女は自分を見上げてくる。
「せめて最後に、私のことをあの頃のように『きーちゃん』って呼んでくれないかしら」
「はぁ? 何を言って……」
戸惑い気味の表情で見れば、人出はくすくすと笑っている。
「私とあなたのあだ名が『きー』ではじまるから、紛らわしい。そうやって兄さんに良くからかわれましたよね。懐かしい気持ちで、綺麗な思い出で終わらせたい。……これくらいのわがままは、許してもらえますよね」
どうしてこうも、うっとうしいのだ。
黙りこくった自分に、人出は言葉を続ける。
「これを聞いたら帰ります。だから昔みたいに、……お願い」
仕方あるまい。
これで三条の権利が手に入るというのであれば。
「きっ、……きーちゃん」
羞恥心をかき消さんと、こぶしに力を入れ、望み通りに呼んでみせる。
呼び名を聞いた人出は、目を見開くと、次第に顔を伏せていく。
唇をかみしめ、肩を揺らす彼女の姿に、吉晴は気づくのだ。
この女は、あろうことか笑いをこらえているのだと。
「もういいだろう! さっさと退出してくれ」
不機嫌さを隠さず伝えれば、ようやく彼女は顔を上げた。
泣き笑いのような表情で、人出は尋ねてくる。
「……最後に、十鳥さんにご挨拶は出来ないでしょうか?」
「くどい。いつまでも調子に……」
吉晴は、言葉を途切れさせてしまう。
豹変。
そうとしか呼べないものが、自分の目の前で起こっていたからだ。
笑みを消し、こちらの心を覗かんばかりに強い視線を彼女は向けてきている。
「あらあら、それは困りましたね。と言いたいところですが、まぁいいでしょう。だって……」
表情を一転し、気味悪い笑みを浮かべ、人出は立ち上がる。
「どちらでも一緒ですものね。人の体を操るのは楽しいのかしら? ねぇ、……十鳥さん?」
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトルは『彼女は宣言する』です。




