冬野つぐみは食事をする
男が去り、落ち着きを取り戻したつぐみはゆっくりと立ち上がる。
部屋の中央に置かれたトレーへと近づくと、中身を覗き込んでいく。
菓子パンにゼリー、紙パック飲料と簡易なものながら、目の前に置かれた食事に喉がゴクリと鳴る。
それぞれの袋やふたに、穴などがあけられた形跡はない。
だが、何かしらの毒が入っているのではないか。
その思いがあり、どうしても手を伸ばすことが出来ない。
視覚による刺激で、空腹は強まる一方だ。
こらえようと腹に手を当て、つぐみはうつむいていく。
辛いのは、自分だけではない。
分かってはいるのだが、一人きりでいること。
突然に連れ去られたという不安が、どうしても拭いきれない。
「うっ、うう。……怖い、帰りたいよぅ」
こぼれ落ちる涙を拭うこともせず、ただつぐみは泣き続ける。
どれだけそうしていただろうか。
乱暴に扉が開かれる音が響き、先程の男が部屋へと入ってきた。
にらみつけるような視線を向け、男は座り込んだつぐみへとまっすぐに近づいてくる。
「いつまで泣いているつもりだ。あんたを見ていると、本当にいらいらする!」
男は、つぐみの肩を靴のかかとで蹴とばしてきた。
とっさに手をついたものの、こらえきれずそのまま後ろへと倒れこんでしまう。
怯えるつぐみの首へと、しゃがみ込んだ男の左手が伸びてくる。
「あんたが飯を食わない。だからこっちは、ちっとも片付けられないんだよ。捕まった人間は、逆らわず黙って従え!」
男がつぐみの首へと左手をのせ、怒鳴りつけてくる。
そう、ただ添えただけなのだ。
押さえつけられる痛みがないことに、戸惑いながらつぐみは男を見上げる。
複雑な表情を浮かべ、扉へと背を向けるようにして男は覆いかぶさると、顔を近づけ小さく呟いた。
「毒は入っていない。……大人しく食え」
驚きで目を見開いたつぐみから、男は手を外す。
気まずそうな表情が、ほんの一瞬だけ彼の顔に浮かんだ。
だがすぐさま、その顔は怒りの表情へと変化していく。
脅すように床をこぶしで強く叩くと、忌々しそうに舌打ちをしながら男は立ち上がった。
「あぁ、腹が立つ! いいか。俺の手を煩わせるなよ!」
その言葉を最後に、男は振り返ることなく部屋から出ていった。
苦しくはなかったが、押さえ込まれた振りをした方がいい。
そう判断し、あえて咳き込みながら体を起こしていく。
自分にだけ、聞こえるように話したあの言葉。
信じてもいいのだろうか。
彼の意図は分からないが、今の行動で知れたことがいくつかある。
男は扉に背を向け行動をしていた。
これは扉側に監視カメラがあり、つぐみへの行動を見せないようにしたということ。
今後は、扉側は特に注意せねばならない。
そして、彼の体の動きにも気になる点がある。
ホテルの時から、彼は右手を使おうとしない。
触れられた際にあった痛みから、右手で相手の自由を奪う発動者ではないかという推測が出来る。
力なく腕を下げていたのは、反動が起こったためではなかろうか。
だが、反動は『祓い』によって無くせるはず。
それをしないということはつまり、彼は今、使えない状況にあるのではないだろうか。
組織内で、何かよからぬ企てが進行している。
それを追及されるリスクを避けるために、治療が行えないのではないか。
品子がこうして人質にされたのも、その計画の交渉材料として選ばれたのだとしたら。
「それならなぜ……。って、いけない! まずは、やらなきゃいけないことを」
トレーに近づき、パンを手に取る。
恐怖心は、いまだ自分の中で消えないままだ。
彼の言葉を、完全に信じたわけではない。
それでも震える手で袋を開き、つぐみは食事を始めていく。
最優先すべきは、品子の安否確認だ。
相手に逆らう行動をすれば、品子に危害が加えられるリスクとなってしまう。
そして、なによりも。
『生きる』という、意思を持ち続けるために。
品子も、そしてヒイラギ達も自分を助けようとしているはずだ。
怯えて食事もとらず、いざという時に動けない。
それはあってはならないこと。
空腹は判断力を鈍らせる。
自分の持ち得る能力は観察力と判断力。
ならば、より生き延びられる選択を。
これからの出来事をつぶさに知り、見届ける。
そうして品子に近づく答えを見つけ、手繰り寄せるのだ。
『すべきこと、出来ることを見つけ出し動いていく』
皆もそれを自分に求めているはず。
だからつぐみは考える。
今の自分が、どう動くべきかを。
すべてを食べ終え、扉に自分の姿が正面に映るように正座をすると、そのまま待機する。
やがて扉が開き、男が来たのを確認すると、つぐみはトレーを手にして立ち上がった。
「余計なことはしなくていい、その場にトレーを置いて下がれ」
言葉に従いトレーを戻し、後ろへと下がりながら、男に声を掛けていく。
「あの、ごちそうさまでした。えっと、はっ、……犯人さん!」
とんでもない呼びかけだと、つぐみ自身も思う。
「ごめんなさい。だって私、名前も知らないからつい。……ごめんなさい」
男はかなり困惑したようで、言葉を失い、立ち止まってしまっている。
もちろんつぐみとて、ここで相手が名乗るとは思っていない。
この行動の目的は二つ。
一つ目は、相手の動きを止めること。
そして二つ目は。
「お願いです! 先生とせめて話をさせてください!」
こちらの要望を聞かせる時間を作ることだ。
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次話タイトルは『足取公太は思い返す』です。




