人出品子は笑む
頬が赤く染まっていくのを、つぐみは自覚する。
品子の言葉は、自分にとってあまりにも刺激が強すぎるものだ。
「それで? 冬野さんは、どう答えるつもりかね?」
父へと問う具志谷の声で、つぐみは我に返った。
動揺を抑えつつ、改めて声の主へと視線を向けていく。
地元の名士というだけあって、堂々たる姿の男性という印象を持つ。
部屋に来る前に、父から好ましくない言い方をされていたようだ。
彼からの視線と言葉には、こちらを軽んじる態度がみてとれる。
そんな具志谷へと、父がにやついた笑顔をみせていく。
「やはり小さな会社というのが心配でしてねぇ。正直この話は、お断りしようかと考えているのですよ」
「そうでしょうな。私にも息子がおりますから、気持ちは理解できますよ。自分の子供は、恥ずかしくない場所で働いてほしい。そう願うのが親心でしょうから」
会話を続ける二人に背を向けたまま、品子は黙って話を聞いているだけだ。
その表情は、感情を抑えているように、つぐみには見える。
具志谷の蔑むような言いざまに、気を良くした兄が嬉しそうに口を開いた。
「まぁ、実力がないから規模が小さいのでしょうね。それにしても先生。私どもにならともかく、具志谷様にいつまで背中を向けているつもりですか? この方はあなたなんかより、はるかに格上の方なんですよ」
兄の言葉に、具志谷は深くうなずいている。
「全くだ。どうみても君は、私より年下だろう。君のようなマナーのない人間になど、私だったら自分の子は預けたくないね」
具志谷の前で、自分が品子より上の立場であると見せつけるいい機会だ。
そう捉えた父が、二人の言葉に乗じてあざけるような調子で言う。
「確かにその通りだ。目上の人間にいつまでも挨拶をしない。そんな人のいる会社だから、小さいのではないのかねぇ」
「やめてください! どうしてそんなひどい言い方をっ……!」
たまらず前へ進み、父へと抗議しようとしたつぐみの腕を、品子の手が掴む。
反射的にみた彼女の横顔に、つぐみは立ちすくんだ。
品子の唇には笑みが。
それも、不敵な笑みと呼ぶべきものが浮かんでいたからだ。
つぐみから手を放した品子は、「さて」と呟く。
「……確かに、皆様のおっしゃる通りです。では、改めてご挨拶を」
品子の声を聞いた具志谷が、おやという表情を浮かべた。
ゆっくりと振り返った品子の顔からは、挑戦的な笑みは消えている。
一転し、穏やかな表情を見せる品子に対し、具志谷が「ひっ!」と声を上げた。
そのまま、数歩あとずさる具志谷へと、父と兄の視線が向けられる。
彼ら二人の視線が外れた瞬間を狙い、品子は人差し指を唇の前に立てた。
その顔にあるのは、つぐみに対して行った時とは全く真逆の表情。
美しい顔に冷笑をたたえ、射貫くような視線を具志谷へと向けている。
『余計なことは語るべからず』
品子の行動の意味をつぐみは悟る。
同時に知るのは、この二人は顔見知りであり、力関係は品子の方が上であるということ。
具志谷も品子の意図に気づいたようで、慌てて首を縦に振る。
その姿からみえるのは、怯えだ。
具志谷の行動に、父と兄は不思議そうな顔をしている。
彼ら二人が再びつぐみ達へと視線を戻した時、すでに品子は柔らかな表情を取り戻していた。
「具志谷様、お目にかかれて光栄です。私は冬野つぐみさんに、母が営んでいる会社の手伝いをしてもらえないか。そうお願いしているところなのです」
品子の言葉に、兄が皮肉な薄笑いをもらした。
「おや、会社はお母さまが経営なさっていると」
「えぇ、父はとうに亡くなっておりますので」
「片親の、しかも名前も聞いたことのない会社に大切な妹を預けるなんて。やはり反対すべきだよ、父さん」
「全くだな。考えてみたら人出さんの提案は、実に図々しいものだと気付きましたよ。ねぇ、具志谷さ……」
父の言葉が途切れる。
会話の相手とされる具志谷は、顔面蒼白となり震えていた。
父と兄の暴言をいさめたい。
だが品子からは、余計なことを話すなと言われているのだ。
当初こそつぐみは、具志谷の態度に怒りを抱いていた。
だが今はその姿に、むしろ同情すら覚えてしまう。
「おやぁ? 具志谷様、体調がすぐれないようですが大丈夫ですか?」
品子の声に、目を泳がせながら具志谷は口を開く。
「い、いや。酒を飲みすぎたようでね。冬野さん、どうやら一人で歩ける自信がない。悪いが、付き添ってもらってもいいだろうか?」
「え? あぁ、はい。もちろんですよ」
すっかり萎縮してしまっている具志谷を、父が部屋から連れ出すのをつぐみは見守る。
一方で残された兄は、変わらず品子へとひどい言葉をぶつけていた。
自分達とでは、あなたは身分不相応である。
自分も父も認めない。
このような料理と時間をもらえただけでも、ありがたく思ってほしいものだ。
貶める言葉ばかりを、兄は話し続けている。
それを品子は、どこ吹く風といった様子で聞き流していた。
やがて扉の開く音と共に、父が部屋に入ってくるのがつぐみの目に映った。
父と一緒に品子へと引導を渡してやろう。
その思いを顔に表した兄が、嬉しそうに振り返っていく。
だがそこにあったのは、青ざめた顔をした父の姿だった。
「父さん、一体どうしたんだ? まぁ、それは後でいい。先生に言ってあげなよ。つぐみは、あなたに任せられないってさ」
兄からの言葉に、父は苦々しい表情を浮かべていく。
「しゃ、社会勉強としていいのではないか。……つぐみさえ、よければだが」
「そうですか、それはよかった! 冬野君、親御さんの許可も出たよ。ぜひ働いてくれないだろうか」
品子が満面の笑みで話すのを、兄は顔をこわばらせながら聞いている。
兄が不服そうな視線を向けるが、父は目を合わせようとしない。
その態度に腹を立てた兄は、「くだらない、先に帰る!」と言い捨てて、部屋を出ていってしまった。
「冬野さん。顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?」
兄の退出を見届けた品子が、今度は父へと話しかけていく。
動揺を隠しきれぬ様子で、父はたどたどしく言葉を返してきた。
「そ、そうですな。今日はここで失礼する。いや、……失礼いたします」
改まった言葉遣いで、品子へと挨拶を済ませると父は部屋を出ていく。
具志谷から、話を聞いたのだ。
つぐみはそれを確信する。
ともかくも、これで了承を得ることは出来た。
ほっとするつぐみの耳に、品子の声が聞こえてくる。
「ごめんね、冬野君」
どうして謝ることなどあるだろう。
そう思い、見上げた品子の顔には、深い後悔が表れていた。
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次話タイトルは「人出品子は知る」です。




