冬野つぐみは覆される
エレベーターの扉が開いた先には、つぐみの日常とはかけ離れた、高級感のある空間が広がっていた。
華やかなロビーの光景に目を奪われながら、品子に促されるまま足を進めていく。
吹き抜けの大階段を見上げながら、自分が来るような場所ではないという居心地の悪さに、つい言葉をこぼしてしまう。
「話をするだけ。だったら、こんな立派な場所でなくてもいいのに」
当初つぐみは、一人で自宅に向かい話をするつもりでいた。
今後は自立を前提に生活をしていきたい。
幸いにして品子から、自分の仕事を継続して手伝ってほしいとの提案をされている。
今の冬野家からの援助も、自身がこのアルバイトをすることにより縮小させ、いずれは完全に独り立ちをしたい。
電話でそれを伝え、話をする時間を作って欲しいと頼んだのだ。
それに対し父は、異議を唱えてきた。
まだ学生でありながら、大した経験や行動力のないお前に出来るわけがないと。
父の性格から、どんな内容であれ反対をしてくる。
つぐみはそれを理解しており、その対策も講じておいた。
以前、白日でアルバイトとして働く際に、実家には許可を得ている。
当時も父からの反対があったが、その際に品子が協力を申し出てくれていた。
まず品子は、『鳥海大学の教師』として、父に連絡を取る。
そうしてつぐみが優れた学生であること。
優秀な子を育てた両親は、どれだけ素晴らしいか。
これをひたすら褒めたたえ、学内外に限らず自分の補助を頼みたいと依頼したのだ。
父はすっかり、それに舞い上がってしまう。
『短期であれば』という条件で、その時はあっさり許可を出していたのだ。
さらには今回の提案を、最初は反対するが最終的には認めてくる。
つぐみ達にはそれが分かっていた。
白日の調査によれば、冬野家の現在の経済事情はかなり芳しくない。
つぐみからの提案は渡りに船であるし、「娘が自ら望んだのだから」という大義名分も出来る。
それを周囲に語れば、『理解のある立派な親』という肩書までもが得られるのだ。
案の定、再び品子からの「娘さんの力をまたお借りしたい」という言葉に、はじめ父は難色を示していた。
だが、『教師も認める優秀な娘を持つ親』という新たな評判が出来る。
そう暗に品子に言われたことで、再びあっさりと言動を翻し、つぐみは働く許可を受けていたのだ。
その流れが変わったのが数日前。
つぐみの兄が、一連の過程に不満があると父に訴えたのだ。
父が自分に確認をせず、決めてしまったこと。
何よりつぐみが、『優秀な学生』であると父が認めたことが、彼の怒りに触れてしまった。
なんとか宥めようとするものの、兄の怒りは収まらない。
対応に悩んだ父は、つぐみ達を呼び寄せるという手段を講じてくる。
表向きは世話になっている品子への礼と、つぐみの様子を聞くために。
だが実際は、兄の目の前でつぐみ達をないがしろに扱う。
それによって、兄の溜飲を下げようとしているのだ。
自分だけならともかく、品子を巻き込みたくない。
つぐみは一人で向かうと話すものの、それならば働くことを認めないと言われてしまう。
さらに父は直に品子に連絡を取り、会食の約束を勝手に取り付けてしまっていた。
予想外の父の行動に対し、つぐみは品子に詫びることしか出来ない。
だが品子は、「ちょうどいい機会だよ」と言うのだ。
「ここでお相手に認めさせれば好都合。それで納得してくれるなら、むしろありがたいと私は捉えているよ」
そうして父が、指定してきたのがこのホテルだった。
逼迫した経済状態でありながら、品子への見栄でこの場所を選んだのかと、情けない気持ちを感じてしまう。
「さて、冬野さんからのご指名はこのフレンチレストランだね。ここはメインも美味いのだけれど、お野菜に凄くこだわりがあるお店なんだ。今度、二人でゆっくり来たいものだね」
店の前に立ち、語られる品子からの情報も、今はただの文字の羅列にしか感じられない。
つぐみの頬を品子は指先でそっとつつくと、「はい、注目~」と声をかけてきた。
「最終確認だ。おそらくこれから私達は、よろしくない言葉をかけられることになる。私は全然平気。むしろたくさん言ってもらって、相手がそれで満足して今後は私達に関わってこなくなるほうがいいから」
さらりと語っているが、誰だって不快な思いなどしたくない。
口を開こうとするつぐみに品子は、ウインクをしてみせる。
「君のことだ。自分にならともかく、私に言葉をかけられるとつい反論したくなるかもしれない。でも、どうかこらえてほしいんだ。今日一日を我慢して、これからの穏やかな生活を手に入れられる。そう考えてほしいね。では、いこうか」
くるりと自分に背を向け、店に入っていく品子の背中を見つめる。
穏やかに終わるのは無理だ。
ならばせめて、短い時間で終われるように。
つぐみはそう願い、品子の後を追うのだった。
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次話タイトルは「人出品子は余裕を見せる」です。




