冬野つぐみは決意する
「んん~、冬野君はさすがに緊張しちゃってるねぇ。まぁこれを『緊張しないで行こう!』っていうこと自体が無理があるんだけどさ」
品子の声を助手席で聞きながら、つぐみは両手を強く握りしめた。
目的地である野小納市内の高級ホテルの地下駐車場へと、品子の車はスムーズに進んでいる。
緩やかに下るにつれ、夏の昼間のまぶしい日差しはゆっくりと遠のいていく。
翳っていく車内は、まるで自分の心のようだ。
つぐみはぎゅっと目を閉じ、頭の中で「落ち着くんだ」と繰り返す。
ここにきたのは、自分が望んだこと。
今回は、それに品子を巻き込んでしまった。
申し訳なさと負い目から、つぐみは黙りがちになってしまう。
だが品子はそんな自分に、いつも通りに話しかけてくれている。
「私としては、出来るだけ君のサポートをする。これだけは変わらないからね。極端な話、気分が悪くなったら途中で私が君を連れて出ていくことだって出来る。私の立ち位置はそうだと思ってくれればいいから」
「……ありがとうございます。本来ならば、私一人で済ませる話なのに。先生まで、こちらに来ていただくことになるなんて」
品子はからからと笑って、つぐみの頭を撫でてくる。
「いいよ~。この場所は、白日の仕事で使うことも多いところだからね。実はここで、母さんとご飯を食べることだってあるんだ。まぁ、勝手知ったるとまではいかないけれど、何かあれば対応はできるからね」
軽い口調で話してはいるが、これは本当のことであろう。
メインエントランスで、ドアマンは品子を見てすぐに「人出様」と呼び掛けて来たのだから。
当初はここでつぐみは降りて、品子だけが駐車場へと向かうはずだった。
だが緊張で足が言うことをきかず、つぐみは降りることが出来なくなってしまっていた。
その様子に気付いた品子は、パンと手を打ち、ドアマンへと笑いかける。
「うん、やっぱこの子と一緒にいたーい。ごめんね、私達このまま駐車場へ行くから」
その言葉に、ドアマンはうなずき、にこやかに見送ってくれた。
申し訳なさを感じながらも、品子の優しさに甘え、こうして自分は今も車に乗っている。
今日は自分を変える大切な日。
これまでの自分とは違うということを、きちんと伝えるのだ。
昨日までは、その決意を強く固めていたというのに。
始まりからこの調子で、果たしてうまくいくのだろうか。
うつむくつぐみへと、車を停めた品子が「冬野きゅ~ん」とふざけた調子で声を掛けてくる。
「もし君が倒れたら。そん時は、お姫様抱っこをしてお相手を撒いて、スーパーダッシュで逃げ切れる自信はあるよ。だから張り切ってぶつかっていこうか。大丈夫。どんな結果であろうと、君の頑張りを私たちは見届け、応援するよ」
品子の言葉は、優しさと支えようとする気持ちにあふれたものだ。
しっかりしなければ。
一番、頑張らねばならないのは自分ではないか。
心を落ち着けるために、深呼吸を繰り返す。
その間に品子は車を降り、助手席の扉を開けつぐみへと手を差し伸べてきた。
「どうぞ、お嬢様。さて、その可憐な手を私へと託していただけませんか」
首を少しかしげさせ、柔らかな笑顔で尋ねてくるその姿は、おとぎ話の王子様のようだ。
はっと我に返り、つぐみは思わずつぶやいてしまう。
「な、なんだか今日は、先生がとてもまぶしくて格好いいです」
「んふ~、気づいてくれた? 今日は場所が場所だけにね。私も、気合い入れてまいりましたから。スーツも今回は特別仕様でしてよ。これフィット感も肌触りも、すっごく良いんだよね」
「そ、そうですね……」
『黙っていれば、そりゃもう気品あふれる姿に皆が魅了されると思います』
その言葉を飲み込み、固まった笑顔を品子へと返していく。
以前つぐみが一条での面接で提供されたものと同様の、仕立ての良いスーツを品子は身にまとっている。
右肩にかけたハイブランドのショルダーバッグもあいまって、普段の彼女のざっくばらんな姿とのギャップに戸惑いを覚えてしまう。
いつもの薄化粧での姿も、もちろん美しい。
だが今日は、きちんとメイクをしていることもあり、整った顔立ちがさらに輝きを増しているのだ。
品子の手を握り車を降りると、つぐみは思いを伝えていく。
「ありがとうございます。倒れないように、そしてきちんと私の思いを話せるように。どうか先生は見守っていてください。私は、必ず」
品子と並んで、エレベーターへと乗り込む。
途切れた言葉の続きを品子は促すことなく、つぐみが口を開くのを待ってくれている。
「……必ず、家族に私のことを認めてもらいます」
待ち合わせ先は、このホテルのレストラン。
相手は自分の家族である冬野家の人々。
これからは、自分の力で歩んでいきたい。
今日は、つぐみが家族に自立の決意を伝える、大切な日なのだ。
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次話タイトルは「冬野つぐみは覆される」です。




