二条の人々
つぐみを明日人に任せ、連太郎は歩く。
さして疲れてもいないのに、足が思ったように進まない。
自分の心が、体に重りを科しているようだ。
ビルへと戻るとすぐに、惟之がいる三階の部屋へと向かう。
「失礼します。九重、戻りました」
扉をノックして入室した先には、惟之が一人でいるのみ。
サングラスを机の上に置いたまま椅子に座っていた惟之は、眉頭を人差し指と中指で押さえながら口を開く。
「お帰り、連太郎。いろいろと迷惑を掛けてしまったな」
顔を覆っていた手を降ろすと、ゆっくりと連太郎へと目を向ける。
普段はサングラスをしているのに、珍しいこともあるものだ。
その素顔を見慣れないこともあり、思わずまじまじと顔を見てしまう。
緩やかに下がった目尻が、連太郎の視線を感じて淡く微笑む。
その仕草で我に返り、連太郎は慌てて言葉を続けた。
「いえ、自分は迷惑など!」
「彼女に対しての言葉、お前に言わせてしまったことも含めてだよ。本来は俺か品子が言うべきことだったというのに。……お前に、嫌な役割をさせてしまった」
倉庫での出来事を、この人は認識している。
それは、つまり。
「逃げた犯人の方に鷹の目を使わずに、自分にずっと発動を行っていたのですか?」
「相手はお前に相当な怪我をさせられている。俺の発動を使わずとも、いずれ足が付くだろうよ。お前さん、思いきり加減なくやっていたようだし」
嘘だ、それは本当の理由ではない。
きっとこの人は……。
「自分を心配してですか? そこまで、……そこまで自分は弱くはありません!」
叫ぶように発した声。
その大きさに何ら惑うことなく、言葉が返ってくる。
「あぁ、知ってるよ。これは俺の勝手な老婆心から出た行動だ。勝手な上司ですまないな」
どうして責めてこないのだ。
視ていたのでれば、連太郎がどんな行動をしていたのかは知っているであろうに。
「……どうして聞かないのですか? なぜ冬野さんをすぐに助けずに、しばらく見ていたのだと」
つぐみを助ける。
連太郎は、もう少し早くそれが出来ていたのだ。
……それをしなかったのは。
「お前にも、いろいろと考えることもあるだろう。結果的に、彼女を助けることが出来た。さらにはこういった暴走行為は、自分のみならず周りに迷惑を掛ける。それを彼女は学んだはずだ。極論ではあるがこの件は、彼女にも俺達にも必要だった。俺はそう思うね」
「……適切な判断をしなかったのにですか?」
「それを決めるのは俺なのか? それこそ鷹の目を使う相手で俺は、適切な判断とやらをしていないんだがね」
言葉が出てこない。
いつもそうなのだ。
この人はこうやって全てを許容していく。
――自分にはそれは出来ない。
なぜなら、彼女を助けそびれた理由は。
「もう少ししたら品子が、冬野君と明日人を連れてこちらに来る。今日は帰るといい。明日、落ち着いたら品子に説明をしてやってくれ」
「……では、自分は帰ります。明日はきちんと説明しますので」
「わかったよ。じゃあ、気を付けて帰りな」
「はい、失礼します」
重苦しい気持ちを抱えながら部屋を出て二階に戻ると、出雲が書類の整理をしている。
目が合うと彼女は、穏やかに声を掛けてきた。
「今日はお疲れ様。大変だったみたいね。ゆっくり休んでね」
「……はい、では失礼します」
「あ、九重君。あのね」
ためらいがちに出雲は近づいてくると、連太郎の頭をぽんぽんと撫ではじめた。
「何か惟之様がね。今日のあなたは優しさに飢えてるから、こうしてやってって言われたんだけど……。迷惑だったらごめんなさいね」
戸惑いを浮かべながらも、出雲は頭を撫で続けている。
失礼だとは思いながらも、連太郎は笑いがこみあげてきてしまった。
「ぷっ、だ、大丈夫です。でも確かに元気になりますね、これ」
いつまでも笑い続ける姿に、出雲はさらに惑いが増したようだ。
「とりあえず元気になったのならよかったわ。じゃあ、また明日ね」
「はい、今度こそ失礼します」
部屋を出てから、自分の頭に触れ、階段を下りていく。
改めて上司の器の大きさに驚かされる。
同時に自分の心の弱さも。
冬野つぐみ。
何も力を持っていないのに、あっという間に自分の周りの人達の心を彼女は惹きつけていく。
無茶な行動をしても見返りなどなくとも、皆が必死で彼女を守ろうとするのだ。
正直に言えばその中の一人に、自分も入っている。
少なくともあの倉庫に入るまでは、自分は本当に彼女を心配し探していたのだから。
それなのに、助けるのが遅れた理由。
それは。
……そう、これはきっとそんな彼女を羨む気持ち。
いやそれすらもとうに超えた、もはや嫉妬だ。
彼女の口から、兄への謝罪が出た時。
ようやくそこで自分は、足が動き出した。
あの時の彼女は、心も体も傷つけられ、打ちひしがれていたというのに。
それにもかかわらず、傷つけると分かっていながら、次々と心無い言葉を自分はかけ続けたのだ。
足を止め、強くこぶしを握りしめ連太郎は思う。
あぁ、自分は。
……自分はとても卑怯で、とても醜い。
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトルは「ある女の独白」
ある女がある人のことをおもい、ドキドキしているお話です。
……嘘ではないです。




