人出品子は振り下ろす
意識が「戻って」いく。
三日前と同様に。
……いや違う。
前回あった不調を全く感じることなく、明日人は目覚めることが出来ていた。
ずっと同じ姿勢でいたため、体は随分とこわばった状態だ。
それ以外の痛みが一切ないことに驚きながら、立ち上がり体をほぐしていく。
最後に大きく伸びをすれば、口からは「えっと、これって」という言葉がこぼれてしまう。
順調すぎる目覚めに、実は『結』は完成しておらず、ただ二人して眠っていただけではないか。
そんな風にすら思えてしまう。
「驚いたな。以前の経験があるとはいえ、ここまで違ってくるなんて」
視線を向けた先のソファーでは、品子が眠り続けている。
穏やかにみえるその表情に、思わず笑みを浮かべ明日人は肩をゆすり始めた。
「品子さん、聞こえますか。僕の声が届いているのなら、どうか目を覚ましてください」
順序や方法も全く問題はなかった。
だが以前の惟之のこともあり、自分が出した声は緊張がかなり混じっている。
やがて小さな「うぅん」という声と共に品子の目が開いていく。
その様子に心底ほっとしながら、明日人は再び声を掛けた。
「おはようございます、品子さん。体調に問題はありませんか?」
目が合った品子は、ふわりとほほ笑みかけてくる。
「いつもは自分が相手を眠らせるのだけれど、逆にこうして起こしてもらうって新鮮なものだね。おはよう、明日人」
顔をほころばせている品子を見つめながら、彼女から言われた何気ない挨拶にすら喜びを感じている自分に気づく。
そうだ、これからもこうして『何気ない当たり前』を守っていくのだ。
その思いを改めて抱き、明日人は品子へとうなずいてみせた。
◇◇◇◇◇
「さて、『結』は成功したと思っていいのかな?」
品子が立ち上がろうとするのに気付いた明日人は、彼女へと左手を差し出す。
握り返してくる手を見つめ、明日人は声を掛けた。
「えぇ、その確認もしなければいけませんね。……というわけで品子さん。少しの間、目を閉じてそのまま座っていてもらえますか」
「ん? 分かったよ、これでいいのかな?」
疑う様子もなく、品子は素直に瞼を閉じた。
それを見届けると、明日人は右手を服の内ポケットへと入れる。
指先に触れるのは、準備していた薄刃のナイフだ。
信頼をしてもらっているというありがたさ。
それよりもさらに大きな罪悪感を抱き、品子の手の甲へと明日人はナイフの刃先を滑らせる。
「……ごめんなさい、品子さん」
「え? 何をっ、……痛ってて」
明日人の言葉に反応して目を開いた品子の視線が、自身の手と明日人の顔を交互に見つめる。
『結』の効果ですぐさま発動が行われたこともあり、彼女の手に傷は残っていない。
痛みの元が分からぬために、品子はかなり驚いた様子だ。
確認のためとはいえ、品子を自分の手で傷つけた。
明日人はその心の痛みを、手早くナイフと共に片付けると品子を見下ろす。
「無事に『結』は成功しています。これがその証拠です」
自分の手の甲に出来た傷を見せながら、品子へと語りかけていく。
「これが『結』の効果の一つになります。いわば『肩代わり』の強化版ですね。これからは品子さんの怪我や痛みを僕へ、時間をかけずにこのように移すことが出来ます。短い時間ではありますが、最初の痛みはどうしても本人が受けてしまいます。ですがそのあとは僕が引き受けま……」
話の途中で品子が立ち上がり、明日人の真正面へとやってくる。
驚きで言葉が止まった明日人の肩を、品子はおもむろに両手でぐっと掴んできた。
そのままぐいぐいと押さえつけ、明日人と自身の頭を同じ高さにまで並べさせる。
行動が理解できずにぽかんとしていると、あろうことか品子は勢いよく自身の頭を明日人へと振り下ろしてくるではないか。
ゴッという鈍い音と、額に走る痛みに混乱しながら明日人は思わず叫んでしまう。
「ほえっ? こっ、これは一体なんですかっ!」
「なんですか、はこっちの台詞だっつーの!」
ジンジンと痛む額に手を当てながら、明日人は品子を見つめた。
その品子は、怒りの表情を明日人へと向けてきている。
「いいかい、明日人。この力は、今後は命にかかわるものでない限り使用禁止! 普通の治療ならともかく、君に痛みが行くなんてそんなこと認めないよ」
まさか品子からここまで強い反発がくるとは。
その動揺もあり、明日人はどう声を掛けたらいいのか分からなくなってしまう。
「でも僕は、……僕に出来ることが」
切りつけたことに怒っているのではない。
明日人の体を心配してということは十分に理解している。
だが自分は、こんな形でしか皆を守る術を持たないのだ。
もっと役に立ちたくて、隣にいてもいいと思ってもらいたくて。
もっと、もっと認めて欲しくて。
――もっと、この人達のそばにいたくて……!
だが自分は、その伝え方を間違えてしまった。
悲しさと情けなさが、明日人の顔をうつむかせていく。
そんな自分の頬へと、品子の手が触れてくる。
思わず顔を上げれば、品子はもう一方の手を伸ばし、明日人の両頬をふにふにとつまんでいく。
明日人の顔を見た品子は、ふっと表情を和らげると諭すように語りかけてきた。
「仕事はしっかりこなすけれど、明日人は人の心情を図るのはまだまだこれから勉強だね。いいかい、一人で背負うんじゃない。一緒に乗り越えるんだよ。何かあったら分かち合っていくんだ。そうして足りないところをお互いに補っていけばいいんだから。……って。あ、そういうことか」
自身の言葉に、品子はなぜか気まずそうな顔になっていく。
「品子さん、どうしたのですか?」
「……いや。この言葉を実は昔、惟之から言われたことあってさぁ。そっかぁ。そういうポジションで私は見られていたということかぁ。う~ん、なんだか悔しい」
腹いせのように、頬に添えられた品子の手に次第に力が入っていく。
「いっ、痛たたた! 品子さん、もう勘弁してくださーい!」
「んあ? あ、悪い悪い」
明日人の言葉で、我に返った品子はようやく手を放した。
ひりつく頬をなでながら品子を見やれば、何やらぶつぶつとつぶやいている。
「……うぅ、またお姉さん度が下がってしまった。それにしても惟之め。ちょっと早めに生まれたからって、一人で勝手に大人度を高めやがって。しかもおでこはすっごく痛いし……」
「いや。ぶつけてきたのは、ほかならぬ品子さんですよね。そもそも何でこんなことしたのですか?」
品子は前髪をかきあげ、おでこを見せながら笑顔で答えてくる。
「え? だって自分一人で痛いのはだめだぞ~って伝えたかったからさぁ。二人で痛みを分かち合う、的な?」
今まさにその答えを聞かされている明日人としても、自分の中での彼女の『大人度』とやらの低下を感じずにはいられない。
だが、だからこそというべきだろうか。
そんな品子の破天荒な行動に明日人はついふきだしてしまう。
「なんだよ! 人のおでこ見て笑うってひどくないかい!」
「ふふ、ごめんなさい品子さん。でも……」
それでいいのではないかと明日人は思う。
彼女の行動で、自分が癒されているのは事実なのだから。
「僕は品子さんみたいな大人になりたいですよ。だってあなたは、……とても素敵な人だから」
まっすぐに伝えた言葉が予想外だったようで、彼女の動きがぴたりと止まる。
あわてて横を向いてごほんと咳払いをすると、目も合わせずに品子は早口で話し始めていく。
「あっ、明日人君。足りないところを補う、君の力の出番だ。まずは手の治療。それから……」
再び髪をかきあげ、照れ笑いを浮かべながら明日人を見つめる。
「君と私のおでこの治療を頼む。肩代わりではない、普通の治療でね」
腫れて赤くなっているのか、あるいは恥じらいからか。
真っ赤に染まった顔を見つめながら、明日人は品子の額へと手を伸ばしていくのだった。




