靭惟之は任せる
真那達が退出し、扉が閉まってからしばらくの間、部屋に残った品子達は誰も口を開こうとしなかった。
やがて沈黙に耐えられなくなった明日人の声に、品子は視線を向けていく。
「あの、惟之さん。僕達はもう、普通に話をしても大丈夫なのでしょうか?」
掛けていたサングラスを外し、明日人にうなずきながら惟之は答える。
「……あぁ、すまないな。真那さん達は、確かに緋山さんの言う通り別室で話を始めたよ。もうこちらの会話を続けてもらっても大丈夫だ」
「惟之、十鳥さんが私達の会話を聞いている可能性は?」
「それは心配しなくていい。その気配があれば俺が気づくからな」
「ならば、彼らの話の内容をお前が聞き取ることは出来るか?」
品子の問いかけに、惟之は首を横に振る。
「十鳥さんが、どれだけの察知能力を持っているのかが分からない。場所の把握こそできるが、会話を聞こうと彼に近づきすぎるのは危険だと考える。それよりもだ」
サングラスを机に置くと、惟之は二人を見据える。
「最優先事項から片付けていこう。明日人、今から品子との『結』は可能か?」
「え? えぇと。品子さんからの了承があれば、僕の方は問題はありません」
「そうか。俺はこの部屋で継続して、第三者の介入がないかを確認していく。お前さんは品子との『結』の実行を頼む。『結』の完了後になるが、こうして急がせている理由はしっかり説明はするからな」
「分かりました。……ですが」
困った様子で、明日人が惟之を見つめる。
「惟之さんには、この部屋からの退出をお願いしたいのです。理由は二つ。一つ目は『結』の最中に対象者以外が存在することで、僕の集中力が欠けることがあっては困ること。二つ目は今回の『結』に関係のない惟之さんが同じ部屋にいることにより、意識が混ざりこんでしまう可能性があります。そうなれば三人とも目を覚まさない、ということが起こるかもしれません」
「え~、惟之と意識が混ざるって嫌だよ私。出てけよお前」
しっしっと手を振り品子が追い払う仕草をすれば、惟之は苦笑いを浮かべていく。
「それだけの元気があれば、明日人の相手は大丈夫そうだな。……ちょうどいい。ならば俺は、今から足止めの時間に入るとするか」
サングラスを再び手に取ると、惟之は立ち上がる。
「ん? 足止めとはどういうことだ、惟之」
「そうですよ。真那様と十鳥さんは、別の応接室にいるのでしょう?」
不思議そうな顔をする自分達へ、軽く手を上げると惟之は扉へ向かっていく。
「緋山さんが、こちらへ向かってきている。今から彼女に体調不良で手当てをしてもらいたいと申し出て時間を稼ぐ。俺が出たら部屋に施錠して『結』の完成を頼む」
「緋山さんが? ここではなく真那さん達の部屋に向かっているのではないのか?」
惟之の言葉に、品子は首をひねりながら問う。
「それはない。なぜなら彼女は先程、その真那さん達の応接室から出て、この部屋に近づいてきているのだから」
「だがこの部屋ではなく、別の部屋に用事がある可能性だってあるだろう? 先ほどだって、手前の部屋に資料を取りに来たという三人組だっていたじゃないか」
惟之は振り返ることもなく、品子の問いに答えてくる。
「残念ながら、今しがた緋山さんはその部屋を通過したよ」
「ここは彼女が所属する四条の敷地内だ。この部屋以外に向かっているということだってあるのでは?」
「……いいえ、品子さん。それは考えにくいです」
明日人が言葉と共に立ち上がると、惟之の後を追うように扉へと向かっていく。
「僕は誰にも『結』を邪魔されないようにと、この部屋を選びました。この応接室は四条で一番奥の部屋になります。つまりはこの部屋に用事の無い人は、わざわざこちらに近づくこともないということです。惟之さんが言いたいのはそういうことですよね? 施錠の件、確かに承りました」
緊張した様子で答える明日人へと惟之は振り返る。
どうしたことか、その顔には笑みが浮かんでいるではないか。
マキエの事件の真相に近づきつつある今、誰が敵で誰が味方なのかすらわからない。
今からこちらに来るであろう緋山も、敵という可能性もある。
様々な不安要素が増え続ける中で、よくそんな顔ができるものだ。
そんな思いもあり、品子はつい強めの言葉を惟之へとぶつけてしまう。
「ずいぶんと余裕だな。美人に治療してもらえるのがそんなに楽しみなのか」
「まぁ、それもあるな。だが、なによりも」
部屋に残る二人へと再び惟之は笑いかける。
「信頼しうる相手がいる。それがある限りは何も心配することなんてない。俺はそう思っているからだよ。だから、……任せたぞ」
予想もしていなかった惟之の発言に、品子は言葉を失う。
――そうだ。
自分は見えないものに怯え過ぎではないか。
思わずうつむき品子は惟之の言葉を反芻する。
悔しいが彼の言うとおりだ。
今から『結』を行うというのに、こんな不安な気持ちで明日人に向き合うのは失礼な話だ。
惟之からみた今の自分は、さぞみっともない顔をしていたに違いない。
だから惟之は品子にも、そして明日人にもこうあるべきという行動を見せてきたのだ。
その意図に気づいた品子の口にも笑みが浮かんでくる。
これは何としてでも『結』をやりとげねば。
そう思い見上げた惟之は品子ではなく、なぜか明日人の方を見つめているではないか。
「任せたぞ、……明日人」
「ちょっと待て! なんで明日人なんだよ! ここは大人の私に言うべき言葉だろうが!」
思わず立ち上がり惟之へと叫べば、それを見た明日人が嬉しそうに笑っている。
「ふふっ、惟之さん了解です。僕、必ず成功させますからね!」
先程までのこわばった表情から一転して、柔らかな声と顔つきで明日人は品子と惟之を見つめてくる。
「ということだ。しっかりやれよ品子」
「ついでのように言うな! 心配されなくても、お前よりしっかりがっつり成功させてやるからな! お前はいつも通りに目を垂らしていやがれってんだ」
怒りなのか恥ずかしさなのかわからない感情が湧き上がってくる。
それをたたきつけるように言葉を出せば、惟之は実に穏やかな表情で品子へと語りかけるのだ。
「じゃあ、任せたからな。……大人代表」
品子へと背を向け、扉を開いてすぐに惟之が「あぁ緋山さん、ちょうどよかった。実は……」と言いながら扉を閉めていく。
閉ざされた扉の前で、明日人がしばらく様子をうかがっていたが、廊下をのぞき込んでから施錠をすると品子のもとへとやってくる。
「惟之さん達は移動しました。品子さん、心の準備はよろしいですか?」
まっすぐに自分を見つめてくる明日人に品子は答える。
「あぁ、もちろんだよ。ではまず、私の話を聞いてくれるかい?」
どうしたことだろう。
あんなに知られたくないと思っていた過去を自分は今、恐れもせずに話そうとしている。
本当にどうしたというのだろう。
今の自分は、笑みすら浮かべているではないか。
改めてみた明日人の顔も、同じように笑っている。
そうして彼は言ってくるのだ。
「守りましょうね、品子さん。僕達の大切な存在を、大切な場所を」
「もー、先に言うなよー。そういう格好いい言葉は、大人が言うものなのー」
少し口をとがらせ話してから、にやりと笑い品子は宣言する。
「では、始めるとしよう、井出明日人君。私を、人出品子を受け入れてくれるかい?」
「もちろんです。品子さんの決断に感謝を。必ず成功させてみせます」
明日人は品子へと手を伸ばしてくる。
その手を握り返しながら、品子は今度は優しく彼へと微笑み返すのだった。
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次話タイトルは「人出品子は振り下ろす」です。




