井出明日人は芝居をする
「惟之さん、あなたは両目で発動も使えるまでに回復しているのではないですか?」
明日人は一気に言い終えると、小さく息をつき惟之を見上げた。
皆が力を失ったと思っている彼の右目を、つい覗き込むように眺めてしまう。
「……その通りだ。ではそれをどうやって認識した?」
しばしの沈黙の後、明日人の視線をしっかりと受け止め惟之は問うてくる。
「『結』の最中に、あなたの記憶が流れ込んできました。僕はあなたに起こった状況を、そうですね。まるであなたの中に入って見ているかのような感覚でそれを体験しました」
それは突然だった。
『結』の最中に唐突に、ぷつりと明日人の意識が途絶えたのだ。
次に目を開けた時に明日人は、自分のいる場所が惟之と『結』を行っていた四条の部屋ではなく、白日内の別の部屋であることに驚く。
しかも自分の意志で体を動かすことが出来ないではないか。
さらにいえば、目に入る人物がみな二条の人々であり、自分に向かって「惟之様」と呼んでくる。
夢でも見ているのだろうか。
それとも『結』に失敗し、自分は惟之の心の中に留まってしまったのだろうか。
まずは周りの人の会話を聞き、状況把握に努めようと明日人は耳を傾ける。
会話の内容から、これは奥戸の黒い水事件直後での出来事であり、場所は二条の一室であること。
自分がいるこの惟之の体は、つぐみを救出する際に発動をした鉤爪の反動の治療を受け、目を覚ましたばかりであることを理解していく。
その惟之は、意識が戻ったことを喜び治療班へと連絡すると話す人達を、どうしたことか留めているではないか。
そのまま人払いを済ませ静かになった部屋で、惟之は自らの両手のひらをじっと見つめ続けている。
この時点でようやく明日人は違和感に気付く。
彼の目を通して見ている両手が。
そう、両手がはっきりと見えているのだ。
以前に明日人は惟之から、右目の視力はある程度回復はしているが、完全には戻っておらず光の刺激による痛みも残っていると聞いていた。
鉤爪の反動の際は両足の治療のみで、惟之の目の治療は行っていない。
なにより惟之本人から、右目の治療は拒否をされていたのだから。
『本人の希望なく治療をしてはならない』
治療班におけるこのルールを犯してまで、処置を行うほどの繋がりは当時の明日人には無かった。
それもあり禁止事項に触れないようにと、惟之の両足の治療完了後に彼の右目の状況は確認をしている。
その時点において、彼の右目は完治していなかった。
よもや上級発動者の自分が見逃すはずはない。
その答え合わせをするかのように、惟之がぽつりと言葉をこぼす。
「痛みがない? これは……」
この状況に驚いているのは自分だけではないようだ。
本人ですらたった今、認識しているこの事態をどう理解すればいいのだろう。
だが同時に、明日人は襲い来る痛みを意識せざるを得ない。
重い、鈍い痛みが次第に頭をキリキリと締め付けるように自分を苦しめていく。
こらえようと強く目を閉じれば、再び途切れる意識。
そうして次に目が覚めた時には、四条の部屋で惟之にもたれかかるように倒れていたのだ。
「なるほどな。俺の目線で過去を見ていた、という認識でいいのか?」
惟之の言葉に明日人はうなずく。
「その通りです。ですが惟之さんの思考などを読み取るということは出来ていませんでしたね。あくまであなたから出された声や状況で理解する、という感覚でした」
「そこまで読まれたら、さすがにこちらも恥ずかしいな」
惟之は明日人に苦笑いを向けると、人差し指を真っ直ぐに立てる。
「では、今の話から俺が気付いたことを一つ。確かに記憶は読まれた、というか知られてはいる。だがそれは俺の全ての記憶ではない」
「え? それはどういうことでしょうか?」
惟之の言葉が理解できず、明日人は首をかしげる。
「俺の視界がはっきり見えていたことと、俺自身のつぶやきから明日人は右目の回復を知ったということだよな?」
「はい、惟之さんが『痛みがない』と呟いた言葉から僕は判断しました」
「ならばその右目の回復の過程を、お前は見ていないという認識でいいのか?」
「その通りです。鉤爪発動から惟之さんが二条の部屋で目を覚ますまでの間に、何かしらの治療により回復をしたのだろうという推測はしましたが……」
惟之はうつむき、考え込む様子を見せながら明日人へと問うてくる。
「まず聞きたいのが、『結』は成功しているのか?」
「はい。……といいますか正確には、『恐らく成功している』と言うべきでしょうね。これを成立させたという資料が、あまりにも少なすぎますので」
そう続けながら明日人は、惟之が目を伏せたままでいるのを確認する。
今ならば彼は自分の動きに気付かない。
明日人はさりげなくポケットに手を伸ばすと、スマホのボタンを押し込む。
――そろそろ自分の限界は近い。
仕掛けが作動するまであと十数秒ほど。
焦りを隠しながら、明日人は惟之の顔を見据えながらその時を待つ。
「俺の右目がどうして発動が可能になったのか。明日人はそれがわからない。つまりは……」
惟之の言葉は、明日人のスマホから流れる電子音によって妨げられる。
予定通りに鳴った音に安堵しつつ、明日人は慌てた振りをしながらスマホに手を伸ばした。
画面を見てすぐに、困った表情を作り惟之を見上げていく。
「すみません、惟之さん。緊急の依頼が出てしまいました。このまま僕は、この部屋で治療を行うことになると思います。話の途中で心苦しいのですが、退出をお願いしてもよろしいですか?」
明日人の声かけに、惟之は立ち上がり穏やかに笑いかけてくる。
「了解した。俺が言うのも何だが、お前さんは大きな作業を終えたばかりだ。無理をせず仕事をして欲しい」
「はい、大丈夫です。ここでなら僕が倒れても、誰かが治療をしてくれますからご心配なく~」
明日人が大げさに両手でぶんぶんと手を振って見送るのを、惟之は苦笑いを返事代わりに部屋を出て行った。
扉が完全に閉まったのを確認し、明日人は小さく息をつく。
「ふぅ。なんとか、間に合った、……よね?」
頭の中で暴れるように響いているのは耳鳴りだろうか。
目も開けていられない激しい痛みと目まいが、明日人を苛んでいた。
かろうじて膝だけついたものの、そのまま体はうつぶせに床へと倒れこんでいく。
手をつくことも、顔を庇う力すら今の自分には残っていない。
打ちつけた顔の痛みの後に、鼻から静かに血が伝う感覚。
やがてそれは口の中へと鉄の味を広げていく。
そんな中で明日人が思うのは、床の打ち付ける音に誰かが気付いていなければいいがということだけ。
「あはは、……『結』の反動ってとっても痛いや」
苦しみを何とかまぎらわそうと、明日人はぽつりと言葉をこぼす。
だが助けを呼ぶことは出来ない。
この『結』は明日人の独断で行っているもの。
今、四条に気付かれるわけにはいかないのだ。
ましてやこの状態では失敗したということになり、今後は品子達との『結』が行えなくなってしまう。
今回の経験と惟之からの助言のおかげで、次からの『結』は自分にも対象者にも、これほどまでの負担はかからずに行える自信はある。
そのためにも今の姿を、誰にも見せるわけにはいかない。
今の状態を四条の人間に見られれば、『結』を行ったことが発覚してしまう。
もう少し時間が経てば、『結』の名残の波動は部屋から消え失せているはずだ。
それまで自分は、この状態を耐えねばならない。
この事態を予測して、部屋にはしばらく誰も入らないようにと指示をしてある。
あと数時間は、ここで倒れていても気づかれることはないはずだ。
自分の媒体の発動により、緩やかではあるが回復傾向にあるのは把握できている。
さらにはこの経験により明日人の体はこの衰弱を『覚えた』。
これで次の『結』の反動が来ても、ここまで悪化することなく終わらせることが出来るだろう。
外傷と違い、こういった際の体の回復には自分の能力はどうしても相性は合わないようだ。
遠のく意識に、再び明日人は目を閉じる。
目が覚める頃にはきっと回復をしていると。
――きちんと目が覚めるようにと願いながら。




