或る男の昔話 その4
雲一つない、夏の昼下がり。
白日本部の屋上にあるベンチで煙草をくゆらせる男が一人。
ベンチにはパーゴラタイプと呼ばれる、屋根と柱で作られた日よけが設置されている。
だがそれも直射日光こそ防いでくれるものの、今日のような暑さの緩和においてはあまり効果はない。
ぼんやりとした表情で、煙の行き先を眺める男の耳に届くのは何者かの足音。
振り返りもせず男はその人物へと声を掛ける。
「浜尾さん、俺って何か予定が入っていましたっけ?」
携帯灰皿で煙草を揉み消すと、松永はゆっくりと後ろの人物へと振り返った。
「お前は後ろにも目が付いてるのかねぇ」
自分へと驚いた表情を見せる浜尾に、松永はにんまりと笑って見せる。
「こんなくそ暑い中、屋上に来る奴なんてそういませんからね。来るならば俺に用事があるやつだけでしょう。ほら、俺ってば友達が少ないから。友達は浜尾さんくらいなもんですよ」
さらに言えば浜尾の性格同様の姿勢の正しさだ。
歩く際も彼は足音があまり響かない。
その特徴で、松永はすぐに気づくことが出来たのだ。
(何というか、昔からこの人はわかりやすいんだよなぁ)
浜尾本人に知られたら、さぞ怒られるであろう思いを松永は胸にしまう。
その彼は自分の隣へと座り、胸ポケットからスマホ取り出す。
松永へと差し出してきたその画面に映されているのは一人の女性。
「彼女は冬野つぐみさん。来週、一条に。いや、里希様の秘書の候補として面接を受けることになっている」
「え、里希様の秘書に? じゃあ俺と浜尾さんってばリストラじゃん」
軽い口調で話す松永に、浜尾はにがりきった顔を向けた。
「あくまで面接は受けるだけになるだろう。彼女は三条を希望していた。そしてこの子の推薦をしたのが靭様、井出様、そして品子様の三名だ」
「うわ! 上級発動者三人からの推薦って俺、聞いたことないですよ。この子、めっちゃ優秀ですね!」
一条以外の所属の上級発動者による推薦。
本人が三条と希望している中で、一条が割り込むその意味を松永は考える。
「ふぅん、つまりは三条への『嫌がらせ』ってやつですか。巻き込まれた冬野さんがかわいそうですねぇ。この楽しくない割り込みパーティーの主催者。……誰なんですか?」
浜尾からの答えはない。
この件の発案者が里希であったならば、彼ならばきちんと名を出すであろう。
自分達の主は、どうやら今回の主導者ではないようだ。
ほんの少しの安堵を抱えながら、松永は続けて問う。
「そうなると吉晴様、あるいは高辺さんってところかな?」
「詮索はしない方がいい。手厳しい面接をもって、彼女は不合格になるだろう」
自分のことではないのに、悲しげな表情で語る浜尾の姿に。
人の根幹は変わらない、変えられないものだと松永は思う。
――十年前、松永は蛯名里希にある願いを申し出た。
それは自分と、ある人物の助命。
そして同じく十年前、自分は浜尾にある提案を持ちかけた。
いや、『提案』などとそんな生易しいものではない。
今、この場で死ぬか。
あるいは今の名と顔を捨て、全く違う人間として里希の側近として生きていくかのどちらかを選べと言ったのだ。
さらに残酷なことに自分は、彼の優しさにつけ込んだ。
言葉たくみに拒否権を奪い、さも彼自身が決めたかのように『生きるという選択』をさせたのだ。
『約束しろ。何があっても僕を裏切るな、僕を守れ。僕の許可なく勝手に消えることも認めない』
里希からの、この約束を守るためには自分一人だけでは限界がある。
さりとて仲間を作るにも、信頼の置ける人物でなければならない。
実直にして誠実。
その意味で彼、浜尾考生は。
かつて江藤貴喜という名を持っていた男は、自分の望む存在そのものであったのだ。
だがそれは、一条といういわば汚れ仕事を請け負わねばならぬ場所に、彼を留めることでもあった。
それは彼の尊厳や信念を傷つけることも多くあったことだろう。
互いに語りこそしないものの、彼の苦悩や心痛を垣間見る場面は何度もあったのだから。
「……ねぇ、浜尾さん」
今更なぜこんな話をしようと思ったのだろう。
人出品子の名を聞いたから。
あるいは画面にうつる冬野つぐみの優しげな眼差しが、隣の彼に似ていたからか。
言葉を止められず、松永は問いかける。
「後悔してますか? ……俺に誘われたこと」
長く共にしてきた、だが十年の間、一度も尋ねたことのない思いを松永は。
今この時だけ、斉藤領介に戻り問う。
予想外の行動であったのだろう。
浜尾は突然の問いに真顔になる。
しばしの沈黙の後、真っ直ぐに松永を見据え口を開く。
「……あぁ、してるよ」
浜尾からの言葉は、認識をした途端に痛みにかわり松永の胸に突き刺さっていく。
表情を操るのは得意だ。
きちんと「何でもない」という顔は出来ているはず。
いつか言われるのではないか。
望まざる生き方を自分に強いられたことを罵られるのではないか。
憎まれても仕方がない。
そう覚悟はしていたはずなのに。
だが、それでも自分は……。
人のつながりを教えてもらえなかった少年に、信じてもいい人間もいるのだと。
何があっても裏切らない、そんな人間もいるのだと分かってほしかったのだ。
自分の知りうる限り、それを伝えられるのは彼以外には考えられなかった。
里希を救ってほしかったから。
(……いや、違う)
松永は唇を強くかみしめる。
救ってほしかったのは、里希だけではない。
母の死後、ただ一人だけ自分の変化に気づいてくれた人。
そんな人間に望むようすればいいと、見守ってくれていた人。
優しい彼の人生は、自分の我儘により変えられてしまった。
(それでも俺は……、この人に自分のそばで生きていてほしいと願ってしまったのだ)
彼を巻き込んでしまった後悔。
松永はそれから逃れるようにうつむくと、煙草へと手をのばす。
浜尾は自分から視線を外し、真っ直ぐに正面を見たまま動こうとしない。
電話が鳴ったふりをしてこの場から離れよう。
卑怯だと理解しながらも立ち上がろうとする自分の肩に、とどめるように浜尾の手が乗せられる。
そのまま目を合わせることなく浜尾は口を開く。
「後悔の一つ目、もっと早くに里希様のそばにいられなかったこと。そして二つ目は」
こぶしを握ると、こつりと軽く松永の頭を叩く。
「お前に今、そんな顔をさせたことだよ。二人共、もう少し私を頼れ。特にお前には兄のように思ってくれと言っておいたはずなんだがな」
言葉の後に松永に向き直ると、彼は困ったような笑顔を向けて来た。
そんな彼を自分は今、どんな顔で見つめているのだろう。
思わず顔を伏せ、松永は思うのだ。
どうしてこの人は。
自分の欲しい言葉を、思いを知っているのだろうと。
十年もかけた問いに、逃げることなく応じた彼に自分も返事をするべきだ。
素直でない「弟」の答えを聞いてもらおうではないか。
松永の口元にも同じく笑みが生まれていく。
「……まずは一つ目。奇遇ですねぇ、俺もなんです」
だが自分は彼のように優しく笑えない。
その辺りは「兄」に任せればいいのだ。
この人はこれからも、その笑顔で主を支えてくれることだろう。
「そして二つ目。俺まだ昼めし食っていないんですよ。ラーメン食べたいんで、コトブキ屋で奢ってください。セットにソフトクリームもつけてほしいです」
コトブキ屋はかつて二人が学生の頃に頻繁に通った、地元の人間ならば誰もが知るチェーン店だ。
松永の提案に彼は笑ってうなずく。
「あ、だったら里希様も誘っちゃいます?」
何の気なしに出した提案に、浜尾の表情が変わる。
「いや、やめてくれ。里希様があの店にいるのが想像できない」
コトブキ屋は、安価で学生やファミリー層に好かれている店。
そこにあの彼がいるとなると……。
「……ぶふっ、確かに。でも俺たち二人もそうですけどね」
こみ上げる笑いはその姿を想像したからなのか。
あるいは長い間、知りたかった答えを手に入れたからなのか。
どちらでもいいと松永は思う。
いずれにしても、この人達と共に在ろうという気持ちに変わりはないのだから。
胸にある喜びと呼べる感情に浸りながら、再び浜尾に笑いかける。
笑みを返してくる彼から肩を軽く叩かれベンチから立ち上がると、松永は屋上を後にするのだった。
お読みいただきありがとうございます。
こちらの番外編にて第五章は完結となります。
次話より第六章である『井出明日人の結び方』となります。
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