さらわれる人、掴まれる腕
「ふぁ〜。満足満足。食後のコーヒー堪能完了~。じゃあ、そろそろ帰ろうか」
コーヒーカップをソーサーに置くと、明日人はつぐみに笑みを向けてきた。
その甘い笑顔と同じくらい、コーヒーカップの中に放り込まれた角砂糖のことをつぐみは思う。
「あの。井出さんはお砂糖の取り過ぎとか、大丈夫なんですか?」
「え、何で? そんなに入れてないから心配ないよ〜」
言葉に反し、相当な量が入れられていたのをつぐみは目撃している。
それはもう、ふんだんに。
タルトをかなり食べた自分が言うのもおかしな話だが、明日人の血糖値がかなり心配ではある。
「あ、それでね。今日のタルト代なんだけど、僕が払ってもいい? 連太郎君ばかりにいいところ持っていかれても、寂しいからさ」
「え? さすがにそれは申し訳ないので……」
「でも僕、この間の生チョコのお礼してないもん。だからいいよね?」
明日人は頬杖をつきながら、軽く微笑んでくる。
『……冬野君は、少し人に気を遣いすぎるところがあるね。もう少し、私達に甘えてもらってもいいのだけど』
明日人に生チョコを渡した日、品子から掛けられた言葉がよみがえってくる。
あの時の苦笑いをしている品子の顔と、明日人の表情。
どうしたことか、それが重なってしまうのだ。
自分が気を遣えば、相手もそうせざるを得なくなる。
だったら少しだけ、優しさに甘えてもいいのかもしれない。
「そう……、ですね。井出さんのお言葉に甘えてもいいですか?」
「うん、いいんだよ! じゃあ先にお店を出て、待っててもらっていい?」
「はい! ご馳走になります。あ、そうだ。うちの大学の近くにも、とても美味しいタルトを出してくれるお店があるんですよ。今度そちらにも行きませんか。その時は私がご馳走します!」
「本当に? そんな話を聞いたら、行かないという選択肢は無いよ! うわぁ、第二回の会場をそこにしちゃう?」
「井出さんにお任せします。ふふ、楽しみが増えました。では先に出ていますね」
鞄を持ち、つぐみは店の出口へと向かう。
ヒイラギの件は、決定的な解決策は見つけられなかった。
さらに蝶の毒の変化という、新しい考え方が出てきている。
考えなければいけない要素が増える一方だ。
けれども諦めるわけにはいかない。
後ろへと振り返れば、目が合った明日人がひらひらと手を振ってくれる。
そう、自分は一人ではない。
皆の力を合わせれば、いつかきっと。
改めてその思いを抱き、つぐみは歩き出していく。
◇◇◇◇◇
店のすぐ近くの日陰へと入り、そこで明日人を待つことにする。
諦めないという決意を持てたのはいいことだ。
しかしながら、自分のやるべきことが見つけられないというのは本当にもどかしい。
「むー、これは困った」
思わず呟き、ふと視線を泳がせた先にあるものに、つぐみはくぎ付けになる。
そこにいるのは髪の長い女性。
距離にして二十mほど離れているだろうか。
彼女は、こちらを見て口を動かしている。
その口の動きは。
「たすけて」
そう言っているように見える。
目が合った次の瞬間、女性は奥の路地に消えた。
いや、違う。
引きずり込まれたのだ。
彼女の元へと向かいながら、つぐみはスマホで明日人に連絡を取る。
「もしもしー。どしたの? ごめんね、レジ待ちなんだ。会計もうすぐ終わ……」
「井出さん。女性がさらわれているみたいなんです。お店から東の方の路地です! 私は今から追いかけますので。お店の人に警察に連絡するように言ってもらえますか!」
「だ、駄目だよ! 君はそこにいて! すぐに行くから」
一度スマホを耳から離し、周囲の人に向かい叫ぶ。
「人がさらわれているみたいなんです! 誰か警察に電話を!」
周りの人達はぎょっとした顔で、走り出すつぐみを見ているだけだ。
誰か一人くらいは、警察に連絡していてほしい。
そう願いながら、つぐみは再び受話器を耳に当てる。
「……さん! つぐみさん! お願いだからその場にいてくれ。今、店を出た。どこにいるんだ!」
「でも、無理やり連れていかれているみたいなんです。このまま通話を続けます! お店から見て、東に黄色の猫の絵の看板があります。その二つ先の左の辻を入ったところを今、走っています」
少し先に、女性が二人の男性に無理やり連れていかれている。
周囲に人もいない為、他の人に助けを呼ぶことも出来ない。
だが女性は抵抗しているので、こちらが走れば追いつけそうだ。
「嫌がっているじゃないですか! 止めてください!」
つぐみは叫びながら近づく。
そのまま道は突き当たりになっており、左に緩やかに曲がっていて先は見えない。
女性も抗ってはいるものの、二対一ということもあり、そのまま角へと引き込まれてしまう。
「井出さん。先程の辻を、そのまま真っ直ぐに進んでいます。先にある突き当りを左に、道なりに進みます。女性が二人の男性に連れていかれてい……」
突き当りの手前まで来た時に、つぐみはスピードを緩める。
おかしい。
つぐみの中で違和感が膨れ上がる。
女性はなぜ先程から、声を出さないのだ。
そうすれば、他の人にも気づいてもらえるというのに。
導き出される結論は一つ。
――これは、つぐみをおびき出すための罠だ。
踵を返そうとしたその時、腕を何者かに掴まれてしまう。
あまりに強い力に驚き、振り返れば、そこにいたのは先程の女性。
「こんにちは」
つぐみへとそう声を掛けてると、女性はにたりと笑った。
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次話タイトルは「倉庫にて」