冬野つぐみは身にまとう
一条の面接から三日後、惟之がつぐみの服を届けに木津家へとやって来た。
あれだけしっかりと採寸をした服ならばそれなりの日数がかかるだろう。
そう考えていたのに、それがたった三日で届いたのだ。
つぐみは自室へと向かい、渡された服に着替えると鏡の前に立つ。
鏡の中の紺色のパンツスーツを着た姿は、こころなしか大人びて見える。
採寸したボディラインにそって作られているため、シルエットがとてもきれいだ。
腕の上げ下げなどをしても違和感もない着心地。
自分がもっているスーツとは明らかに違う手触りや艶。
どれだけの金額が掛けられたものなのだろう。
つぐみは思わずごくりとつばを飲み込んでしまう。
ついつい袖や肩に触れながら、皆のいるリビングへ向かう。
それに気付いた品子が、嬉しそうに駆け寄って来た。
上から下までじっくりとつぐみを眺め見ると、ニンマリと笑う。
「うん、なんかこうしっかりとした冬野君というのもいいなぁ! なあ、皆もそう思うだろう」
くるりと後ろを振り返ると、そう呼びかける。
「そうですね。やはり服によって印象というものは変わるものですね」
柔らかな表情で、シヤが感想を述べる。
その隣では、さとみが目をキラキラとさせていた。
『変わる? 冬野もちょうになるのか? すごいな! 冬野は何色の友達になるんだ?』
「あはは。違うよ、さとみちゃん。冬野君は蝶にはならないよ。いつもと違う服を着ているから、みんなが褒めているんだよ」
子供らしい発言を聞き、デレデレモードになった品子がさとみへ抱き着こうとする。
だが、いつの間にか二人をさえぎるように立っていたヒイラギに阻止されていた。
「ちょ、ヒイラギ! 何してくれてんのさ!」
「それはこっちの台詞だ! ったく油断も隙もないな。さとみちゃん、こっちでお茶を飲もうか」
こくりとうなずいたさとみを連れ、ヒイラギが台所へと向かって行った。
それを品子は名残惜しそうに眺めている。
「冬野君、玄関に靴を置かせてもらっている。一度、そちらの試着もお願いしたいね」
楽し気にその様子を見ていた惟之から声が掛かる。
言葉に従い玄関へと向かうと、そこには黒のコインローファーが置かれていた。
靴は皮の張りがしっかりしているものだった。
だが履いてみると、中敷きのクッションが効いているので痛みや違和感なども全くない。
これならば、長く歩いても痛くならないだろう。
出雲は足長と呼ばれる縦に測る足の大きさだけでなく、足の横幅である足囲までしっかりと測っていた。
つまりはこの靴のためだったのかと納得がいくと共に、これらの調達をたった三日で済ませてしまう組織の力に改めて驚かざるを得ない。
そんな中、つぐみはこの服装に少しだけ違和感を覚えていた。
再びリビングに戻り、惟之に試着は何ら問題なかったことを伝える。
「では、そのまま君が所持しておいてくれ。一条にはそう伝えさせてもらうよ」
「ありがとうございます。あの、こちらが届いたということはつまり」
「うん。里希への同行の連絡がいつ来てもおかしくないということになるね」
後ろにいた品子が声を掛けてきた。
振り返ったつぐみと目が合った品子が、おや、という表情が浮かべる。
「ところで」
一呼吸おいて、品子がつぐみを見つめながら問うてくる。
「冬野君は何か気になることがありそうだね。聞かせてもらっていいだろうか?」
「……はい、こちらの服と靴なのですが。少し引っかかることがあるのです。私は今までに二回、白日に伺っています」
目を閉じて、その時の光景をつぐみは思い返す。
「その際に女性を何人か拝見しました。皆さんがスカートだったんですよね。さらに言えば靴もパンプスの方ばかりでした」
「そうだよねぇ。確かにパンツスーツって白日では私くらいかも。でも靴は私はヒールだもんなぁ。高辺さんもスカートとパンプスだしねぇ」
「話に割り込んですまない。その件について伝言があるんだ」
惟之が立ち上がりながら口を開く。
「一条から『三日の猶予を与える。それまでに貸与したものを使いこなせるようにしておくこと』、ということなんだが」
かなり困った様子の惟之の言葉に、品子が答える。
「うーん、つまりこれって。冬野君が、バシバシ肉体労働をさせられるってことなのかなぁ?」
「確かにスカートやパンプスよりは動きやすいという服装ではありますね。でも私、運動能力には全く自信が無いのですが」
つぐみは自分の運動能力は、平均以下だと自負している。
「も、もしこれで『一日中、走り続けなさい。体力のない人材などいらない』などと言われてしまったら。私、もうどうにもならないです……」
青ざめつつあるつぐみを見て、惟之が慌ててフォローに入る。
「いや、冷静に考えてみよう。里希が望んでいるのは事務方だ。そういった体力のある人材は彼の側近にはもう二人もいるのだから」
「あ、知ってる~! 浜尾さんと松永さんだよね。でもその二人に私、一度も会ったことないんだよね。惟之は?」
「俺は何度かある。二人共、発動者ではないが、とても有能な人材であることは間違いない」
会話を聞きながら、ふと生じた疑問をつぐみは口にする。
「浜尾さんと松永さん。更にいえば高辺さんもいらっしゃるのに、蛯名様はさらに人員が必要なのでしょうか?」
つぐみの問いかけに品子は「そうなんだよねぇ」と呟く。
「確かに彼は一条の次の長になるであろう存在ではある。けれども、サポートの人間ならばそれだけいれば十分だろうからなぁ。でも高辺さんは里希ではなく吉晴様の秘書だしな。あ、そっか!」
ひらめいた! と言わんばかりに、嬉しそうに笑った品子がつぐみの頬を両手で挟み込む。
「里希は男ばかりの秘書でうんざりしちゃったんだよ! だから可愛い女の子がそばにいて癒されたかった! これだろうな!」
得意げに振り返る品子だが、目が合った惟之は苦笑いを浮かべている。
「冷静に考えるべきなのは、お前だな品子」
「なんだよ! だってお前も欲しいだろう? こんなかわいい秘書ちゃんを!」
久しぶりの高速頬ずりがつぐみに発動されていく。
それを惟之は呆れた様子で見つめている。
「いずれにしても、近日中に何かしら一条からの動きがあるだろう。冬野君、その際はまた連絡をくれるかい?」
気を取り直すようにサングラスをぐっと押し上げ、惟之はつぐみに笑いかける。
「はい、もちろんです!」
同様に笑い返した後、つぐみはぐっと唇をかみしめる。
所属先は関係ない。
自分の大切な人達の未来を守る。
そのために今は、出来ることをやっていくだけだ。
誰にも知られない決意を心に刻み、つぐみは皆に改めて微笑むのだった。
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次話タイトルは「人出品子はエールを送る」です。