冬野つぐみは思い出す
つぐみの頭の中でいびつに。
望んでもいないのに記憶が動き始める。
組み敷かれ暴れている少女。
その上にかぶさるようにいる少年は笑いながら彼女へと暴力を振るい続ける。
これは彼らにとってはいつものこと。
少女はただこの時間が一刻も早く終わるのを待ち続けることしかできない。
だがその日は違ったのだ。
少年の手が彼女の制服の上着を引き上げてきたのだ。
直後に響くガラスの割れる音。
腕から血を流しながらも飛び込んでくる彼らの祖母の姿。
強く体を抱きしめられながら、名を呼ぶ祖母の姿を少女は。
――つぐみはただ眺める。
それから。
その後に起こった出来事は。
◇◇◇◇◇
ばん! と、大きな音がした。
音のした自分の隣へと、ゆっくりとつぐみは視線を向ける。
隣に座っていた品子の手が机の上にある。
そこでようやく品子が机を思い切り叩いた時の音だとつぐみは理解する。
同時に部屋を見渡し、自分が今いる状況と場所を認識していく。
壊れかけた機械のように、緩慢な動きでつぐみは品子の顔を見上げる。
自分を見つめている品子の顔色は、とてもいいと呼べるものではない。
もっともそれ以上につぐみの方が酷い状態なのであろう。
なぜなら目があった品子はとても悲しそうな、苦しそうな表情をしているのだから。
「もういい加減にしてくれ。いくら面接とはいえ、これは明らかに越権行為だ。私は冬野君を連れてここから退席させてもらう。私を処分したいのならばそうすればいい」
品子はつぐみの手を取り、握りしめていく。
「ごめんね。この私の行動で君は記憶を失うことになるだろう。それでも……」
つぐみと目を合わせているのが耐えられなくなったのだろう。
その視線は里希へと向けられる。
上の立場の人物にすべきではない、刺すような視線を向けた品子の表情は口調と同様に鋭い。
「私は……、人出品子は三条上級発動者の資格を喪失しても構わない。その気持ちでこの行動をしている。里希、後は君が判断すればいい。私はこの件に関して何も釈明をするつもりは無い。……以上だ」
品子は改めてつぐみの手を握り直すと、空いた方の手でつぐみの腕を引き上げた。
操り人形のような、実にたどたどしい動きでつぐみは立ち上がる。
自分が見えている景色が、まるでフィルターでもかかっているかのようにぶれた世界としてつぐみの目には映し出される。
つぐみはただ、脇腹を押さえ立ち尽くすだけだ。
そこに先程まで持ち合わせていたはずの、白日に入りたいという意思は消え失せていた。
「そうですか。残念ですが、ここまでということですね。冬野さんは、白日にはふさわしくなかったようですね。非常に、……残念ですよ」
二人と同様に里希は立ち上がり、つぐみに笑みを向けた。
それは誰が見てもあざけり笑うと言っていいもの。
つぐみの手を握る品子の手に一瞬だけ力が込められ、そっと離される。
「その態度はとても残念そうには見えないんだがね。なぁ、里希。君は勘違いしているみたいだから言っておく。冬野君がふさわしくないのではない。白日が彼女にふさわしくないんだ」
品子は自身の手のひらをじっと見つめ、ぐっとこぶしを握ると里希に向き直る。
「たとえこの後に彼女が記憶を失くそうが、彼女がこの出来事を忘れてしまおうが。そんな言葉をかけることなど私が許さない。それが例え私よりも上の立場である君からの言葉だったとしてもだ」
苛立ちを隠そうともせず品子は言葉を放つ。
「私達、上級発動者である三人がどうして彼女を認めたのか。君はずっと知らないまま過ごすといい。それは白日にとってとてつもない損害になりうるだろう。いや、なっていくだろうよ。……では失礼する」
強い眼差しで最後に里希を見据え、品子は彼に背を向け部屋を出るために歩き出した。
つぐみはその後に従い、手を引かれるままに歩き始める。
振り返ろうともしない品子の背中を、里希はなぜだか悔しそうな、そしてわずかだが寂しそうな表情で見つめているのがつぐみの目に映る。
「……そうですか。そこの冬野さんに限らず、先輩までもが何だか残念になってしまったようだ。そんなどうしようもない存在など、白日には必要ないと判断せざるを得ない、……ですかね」
後ろから掛けられた里希の声。
それにつぐみの心が反応する。
今の発言は、品子に何か害をなすという言葉にも聞こえるではないか。
『あなたの大切な人がいなくなります』
これでは。
そのきっかけを自分が作るということになるではないか。
駄目だ、このままではいけない。
自分の心に強く強く、つぐみはそう呼びかける。
品子は自らの立場が危険になるにもかかわらず、つぐみを思い里希に先程の発言をしてくれていたではないか。
それなのに自分はただ立ち尽くしているだけなどと。
そんなことなど、あってはならない。
深く息を吐き、つぐみは自身を奮い起こす。
しっかりしろ、冬野つぐみ!
なぜ私は今、ここにいるんだ。
なぜ私は自分のために動いてくれている人を危険な目にあわそうとしている!
思い出せ、木津家で私は何を誓った?
動き出せ。
私の誓いは。
私の念いは……!
始めるんだ、自分が出来ることを。
握っていた品子の手にそっと自分の手を重ねる。
驚き振り返った品子につぐみは笑い返してみた。
そのまま一度だけ手を強く握った後、くるりと向きを変え里希と向き合う。
そうして生まれた願いを、誓いを。
つぐみは始めていくのだ。
――これから先は。
「蛯名様。大変、失礼いたしました。先程の質問の私なりの答えを」
――誰一人、私の大切な人達を失わせたりしない!
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトルは「冬野つぐみは心を読む」です。