一条という存在
「どうだった? 彼と話してみて」
資料室に戻って来たつぐみに、品子は尋ねてみる。
「そうですね、先生の組織の方に失礼を覚悟で言わせて頂きますが。ヒイラギ君達はいわば生贄ですね。組織への批判やはけ口を、何も言えない立場のヒイラギ君達に全て被せているように私には見えます」
彼女の表情から、怒りと悲しみが見て取れる。
その顔に品子は、同じようなことを泣きながら言っていた人物を。
――かつての自分を思い出してしまう。
もっとも当時の自分は、その言葉を聞いていた相手にこてんぱんにされただけだったが。
「今日、九重さんとお話をして、少し考えたことがあります。先生達の方の蝶の毒の資料はどうですか?」
「こちらはよくないね。毒を受けても治療班が完治させる。だから毒が残るっていう事例が、資料として残っていないんだ。ヒイラギの場合、状況も特殊だから該当しないのもあるのだろうけれども」
あれから品子達も何冊か読み終えたが、やはり望んだ結果が見つけられない。
二条の人達も時間を見つけては、資料をこちらに届けてくれている。
しかし状況が変わらない今、これ以上は負担を掛けるのも心苦しい。
そろそろ引き時だろうと、品子は考えていた。
「ところで冬野君。先程『少し考えたことがある』と言っていたけど?」
「はい、ヒイラギ君のことです。彼が目覚めないのは毒もあるのでしょうが、彼自身が目覚めたくないと思っているのではないかと」
「中々に厳しい意見だね。否定できない所が悲しいよ」
「本人にその意思が無いのなら、目が覚めないというのも納得できるんです」
「そうだね。だがそうなると、もうこちらに打つ手がないんだよな」
「だから私、考えたんです。ヒイラギ君が起きないというのなら、起こすしかないかなって」
思わず、品子は彼女の顔をまじまじと見つめてしまう。
しかし本人は、いたって真面目のようだ。
「えっとね、冬野君。寝坊した子供ではないのだから「起きなさい」と言った所で起きるものではないよ」
「そうなのですが。それこそ井出さんの治療で、ヒイラギ君の心に訴えかけるという方法はどうでしょうか?」
「うーん。明日人の治療は、そういった類ではないからなぁ」
「そういえばシヤちゃんも、井出さんの治療は手術や処置と言ったものではなく、純粋に『治療』だって言っていましたね」
「明日人が自分で、君に能力を伝えるのならいいのだろう。だが、所属が違う私から話すのは少しまずいかな。あいつは四条だし……」
品子の戸惑う様子に、つぐみは問うべきでないと悟ってくれたようだ。
「話を変えてすみません。四つの所属先について教えてください。各々の力関係と言いますか、上下関係みたいなものもやっぱりあるわけですよね?」
「そうだね、歴代マキエ様を擁する所の発言権はとても強くなる。十年前までは、マキエ様は三条の所属だった。だからそれまでは、三条の立場が強かったんだよ」
「では、今の発言権はどなたが一番強いのですか?」
「今は一条だよ。マキエ様が本来なら行う、発動者の痛みや反動を抑える『祓い』という儀式がある。マキエ様亡き後、それを続けていられるのも一条の方が編み出した方法によってなんだ。その功労でという訳だね」
「一条ですか。私がお会いした人の中では、誰もいませんね」
不思議そうにしているつぐみへ、品子はあいまいに笑ってみせる。
会わせたくない。
あいつらなんかに、君を会わせてやるものか。
その思いを胸にしまい、品子は口を開く。
「いつかは会うかもしれないね。さて、もうそろそろ今日は帰ろうか」
「あ、もう夕方ですね。先生、帰りに買い物に行きたいのですが」
「大丈夫、運転手と荷物係は任せて。ねぇねぇ、今日は何を作るの?」
「朝に作っておいた茄子とアスパラのお浸しを出しますよ。今頃、味が染みてとても美味しくなっているはずですよ。後は……」
彼女は一条には関わらせない。
そう品子は改めて誓う。
知らないならそのままでいい。
そういうことだってあるのだから。
◇◇◇◇◇
「確認が取れました。今回の祓いの延期は、一条からの提案です。さらに今回の黒い水の事件で、井出様を向かわせる指示を出したのも同じく一条とのことでした」
本部にある二条の管理室で出雲からの報告を聞きながら、惟之は自分の考えが外れていない確信を抱く。
祓いの延期のタイミングで、惟之が見たマキエの幻覚。
その彼女が言っていた「あの人達」という存在。
品子から聞いた室との会話。
導かれつつある答えは、決して良いものではない。
そして、同時に現れるのは疑念。
なぜ、あの現場に明日人ほどの上級者が派遣されたのだ。
あの場に明日人が居なければ、ヒイラギも自分もどうなっていたことか。
少なくともヒイラギは、明日人が居なければ死んでいた。
明日人にも理由を聞いてみたが、祓いの延期の知らせと同時に依頼が来たとしか分からないと言っていた。
いずれにせよ、今はまだ情報が少なすぎる。
迂闊に動けば自分の立場が危ういのだ。
それだけではなく、大切なものや人が奪われかねない。
改めて出雲に指示を出しながら、頭に浮かぶのは過去の出来事。
失ってしまったものは、もう戻らない。
そんなことはもうあってはならないのだ。
ぐっと唇を噛みしめ、惟之は出雲から渡された資料に目を通し始めた。
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトルは「ある部屋で」
だいたいこういった書き方のタイトルの部屋って密談系ですよねぇ。