笹の葉は如何様に揺れるのか その6
沙十美は静かに目を開く。
自分と向き合い、額を触れ合わせている同じ顔をした少女の髪をそっと撫でる。
その感触に彼女はゆっくりと目を開けると、そのまま沙十美の胸へと飛び込んできた。
『大きな私、ありがとう! でも前に教えてもらった七夕の話とは違うのだな!』
嬉しそうに語る彼女に沙十美は微笑みを返す。
この子の言う通り、ずいぶんと違う方向へと進んだ七夕の話となってしまった。
『でも、とても楽しかった! みんなにありがとうを言おう』
「えっと、そうね。でもこのお話は本当のお話と違うようになっていたから。今日の話は皆には内緒にしておいてくれる?」
『え? そうなのか? でも大きな私が言うのならそうする!』
「いい子ね。ありがとう」
彼女の頭をそっと撫でる。
自分を見上げてくる顔はとても嬉しそうだ。
『大きな私、そろそろお家にかえる。またいろいろなお話を教えてほしい』
「もちろんいいわよ。つぐみによろしくね」
『うん、じゃあね。ばいばい、大きな私!』
白い蝶はひらひらと舞いふわりと消えた。
愛らしい小さな蝶の名残を感じながら微笑み、沙十美は思い返す。
さとみが七夕に興味を持っていたので教えてあげた昔話。
話し始めたら、目をキラキラと輝かせてそれは嬉しそうに聞き入るものだから。
つぐみの意識を借りて、さとみに話を朧で疑似体験させてあげられないか。
そうつぐみに相談をしたところ、自分以上に彼女が張り切ってしまった。
沙十美は約束の日を指定してつぐみに眠ってもらい、朧に彼女を呼び寄せた。
その際につぐみの『縁』が呼び寄せたのだろう。
驚いたことに彼女だけではなく、つぐみに関わる人間までもが朧に現れたのだ。
これもつぐみの念いの強さが引き寄せたものではないかと沙十美は思う。
幸いにして皆は動揺しながらも、さとみのためならばと喜んで協力してくれた。
ただヒイラギだけが眠ったままで目を覚まさず、事情を説明することが出来なかったのだ。
彼と行動を共にするつぐみが説明をすると言うので、彼への説明はつぐみに任せ自分は朧の世界の調整に入らせてもらった。
心を同調させたさとみと一緒に、つぐみとヒイラギが繰り広げていく七夕に沿った話を見ていく。
はずだったのだが、つぐみの性格を沙十美は忘れていたのだ。
彼女は張り切れば張り切る程、空回りするという性格だということを。
案の定、彼女はいつも以上におかしな方向へと突き進んでいく。
皆と居られる嬉しさのためだろう。
つぐみはヒイラギにこの状況をきちんと説明をすることすらせず、どんどん話を進めていく。
ヒイラギが事情も分からないながらも、七夕の正しい話に修正しようとしている努力をしているのは沙十美も見えてはいた。
だがさとみが彼らの行動を見てとても喜んでいるのだ。
それを見ていたら、なんだか自分まで楽しくなってしまった。
よほど大きな過ちがない限りは、つぐみに任せてみよう。
そう思い彼女のするがままにさせてみた。
それがまさかこんな展開になるとは思わなかったが。
一度だけくすりと笑い、気持ちを切り替える。
後片づけに入らせてもらおう。
沙十美は目を閉じ心を集中させ、握りしめた手のひらに力を集める。
そっと広げた沙十美の手のひらから六匹の黒い蝶が姿を現した。
「お願い、私の子達。今日ここでの記憶を『貰ってきて』ちょうだい」
蝶は沙十美の願いを聞き、朧に来た人達の元へとひらひらと飛んでいく。
今日この朧に来た人物のここでの出来事は皆、忘れてもらうことにする。
夢として残ることもなく彼らは普通に目覚め、いつも通りの生活を続けていくのだ。
沙十美が皆の記憶を消した理由、それは今日の惟之の行動にある。
いくら朧とはいえ、体は現実に沿った状態にあるのだ。
以前に彼は光にとても弱く、些細な光でも痛みを感じるとつぐみからは聞いていた。
だがここでの彼は全くそんな様子は無い。
本人からも痛みはないという発言があったことを考えるに、今の彼の目には異常はないということになる。
その際のヒイラギの発言を聞くに、彼はそのことを周りには隠している。
このまま記憶を残しておけば、勘のいいつぐみはこの事実に気付くだろう。
病院で会った時や、今日の様子を見ても惟之はつぐみやヒイラギ達をとても大切にしている。
そんな人が仲間である彼らにすら隠しているのだ。
沙十美の起こした行動がきっかけで、それを知られるのは良くない。
つぐみの皆との思い出を一つ消してしまったことに沙十美の心は痛むが、優しい彼女はきっと理解してくれるだろう。
今日のつぐみの行動を思い出す。
真っ直ぐに相手を見つめ向き合っていく姿。
困ったことがあっても立ち止まることなく、諦めずに進もうとする姿は以前の彼女には無かったものだ。
良い出会いをして、良い人達と巡り会えたのだと沙十美は感じずにはいられない。
ささやかな気持ちだが、自分も願いを込めよう。
沙十美は目を閉じて深く強く、念う。
一つの風景を思い浮かべてから、目を開いた。
目の前には小高い丘の上に笹が一本だけ植わっている。
真っ直ぐに伸びるその姿は、大切な彼女達の心のようだ。
笹の前に立ち、願いを込めた短冊をつるす。
風が流れ、沙十美の髪と笹の葉が揺れた。
ゆらゆらとさらさらと。
重なり合う葉の音色が、あの子達の楽しげな笑い声のように沙十美の心に広がっていく。
目を閉じてその音にしばしの間、耳を傾ける。
なぜだろう。
ふとその音に本を捲る音が重なり、ある男の姿が浮かんだ。
「まぁ、あいつのことも、……ね」
沙十美はもう一つ、短冊を笹の葉に結んでいく。
見上げればどこまでも続く空。
数え切れない星達を目に焼き付け沙十美は願うのだ。
どうか、この短冊の願いが叶いますように。
……届きますよう。
この小さな祈りを、星の上にいる二人が叶えてくれますようにと。
◇◇◇◇◇
「あら、先生。おはようございます! 今日は早起きですね」
「おはよ、冬野君。今日さ、なんかすっごい気持ちよく起きれてさー」
「わぁ、偶然ですね! 私も今日すごく寝覚めが良くて。いつもより早起きしたので、ちょっと朝ご飯に遊び心を入れちゃいました」
「へぇ~、って何これ可愛い! ニンジンがお星さまだぁ」
「はい、にゅう麺にニンジンの星を入れてみましたよ!」
つぐみは以前ヒイラギが食べさせてくれた、かきたまにゅう麺を今朝のご飯に作ってみた。
品子ではないが今日の朝はとても心地良く目が覚めたので、折角だからと一手間くわえてみたのだ。
にゅう麺の上にそっと乗せたオレンジ色の星は、麺にのせたことによりまるでほうき星のようだ。
「あ、シヤおはよう! 見て見て! 冬野君がね、可愛い朝ご飯作ってくれているよ!」
「おはよう、シヤちゃん。ってヒイラギ君もいるね! 今日はみんな早起きだね。さぁ、たくさん作ったからお代わりじゃんじゃんしてよ!」
「お、うまそうじゃん! 俺はゴマ取って来るから、シヤはみんなの箸の準備な!」
「はい、兄さん。……品子姉さん、喜んで踊っていないで大人しく座って待っていてください」
「はーい。あ、お寝坊のさとみちゃんはどうする? 起こした方がいいかな? うん、私の『お目覚めぎゅっ』が必要だよね!」
「寝かしといてやれよ。寝る子は育つだしな」
つぐみの隣で台所の棚を探りながら、ヒイラギが呆れた様子で品子に話しかけている。
「ちぇー、分かりましたよっ、……とみせかけてだーっしゅ! さとみちゅわーーん! いま行くよぉ!」
その直後、ビターンという音がつぐみの耳に届く。
まるで何かが急に床にたたきつけられたような音に、つぐみはリビングへと視線を向ける。
「動けないぃぃ! ヒイラギっ! 何で縛るんだよっ! お前はゴマ取りに行くんだろ!」
「その前に悪い大人を縛る必要があったからな」
「むっきぃぃ! 悪くないもん! 私、良い大人だもん!」
今日も延長コードで芋虫にされてしまった品子を、シヤが冷たい目で見ている。
「いい大人は普通、縛られたりしませんけどね」
「はーん、朝からそんな辛口なシヤも大好き~」
いつも通りの、いやちょっと違う。
いつもより爽やかでいつもより賑やかな朝。
さあ、始めよう。
私の、私達の一日を。
つぐみは皆に笑いかけ、思うのだ。
――皆が今日を元気にすごしてくれますように。
お読みいただきありがとうございます。
これにて七夕の番外編は終了となります。
楽しんで頂けましたでしょうか?
さて、次章の主役はつぐみへと戻ります。
白日に所属するためにつぐみが動いていく話となります。
またつぐみ達の物語を楽しみに来てくださいますように!