パンケーキをご一緒に
「あ、来た」
店の扉が開き、周りを見渡しているクラムの姿をつぐみは目にする。
汐田クラム。
彼とは、数日前に出会ったばかりだ。
多木ノ駅の近くで偶然、彼が言いがかりをつけられていた所を見付け、つぐみが助けようとした少年だ。
そう、助けようとしただけ。
あろうことかつぐみは、その場で熱中症となり倒れてしまい、逆に助けてもらっていたのだ。
手を振る自分に気づいたようで、彼はにこりと笑いこちらへとやって来る。
目を細め、優し気に微笑む姿。
周りの目線が、次々と彼に吸い寄せられていくのが分かる。
あの時は自分のことばかりで気づかなかったが、世間が美少年と呼ぶ容姿を、彼は持ち合わせていた。
「つぐみちゃん、見つけた!」
「はい、見つかりました。こんにちは。クラム君」
栗色に輝く髪を、さらさらとなびかせて無邪気に笑う姿は、かっこいいというよりも可愛いという雰囲気だ。
「私も人のことを言えないけれど、クラム君は実際の年よりも若く見えるよね」
「あぁ、それはよく言われるなぁ」
向かい側の席に座ったクラムは、綺麗に畳んだハンカチを、つぐみへと差し出してきた。
「五日ぶりくらいかな。あの時はハンカチを貸してくれてありがとう。おかげで助かったよ」
「役に立ててよかった。でも、まだ怪我の痣がまだ残っているね。痛そう」
結局、その時に彼は絡んできた相手に殴られてしまった。
その際の名残ともいえる、大き目のガーゼが彼の左頬に当てられている。
「でもすぐにハンカチで冷やしたおかげで、だいぶ治りは早かったと思う。本当にあの時はありがとう。ハンカチのお礼に、何か美味しいものでもご馳走したかったのに……。前と同じこの喫茶店でいいなんて、遠慮しなくてもいいのに」
メニュー越しにつぐみを見ながら、クラムは話しかけてくる。
「遠慮してないよ。ここに来た時に、パンケーキがすごく美味しそうって思っていたの。それでね。食べたい種類が、ストロベリーとキャラメルバナナがあるの。どっちも食べてみたいんだけど、ここのお店のボリュームが結構あるみたいだし。さすがに二つは食べられないから……」
パンケーキの写真を眺めながら、つぐみは小さくため息をつく。
「どちらかを僕が頼んで、シェアしてほしいのかな?」
「大正解。わがまま言ってもいい?」
「もちろんだよ。僕で良かったら喜んで」
「ありがとう、すごく嬉しい!」
「つぐみちゃんが喜んでくれたら、僕も嬉しいよ。あ、すみませーん。注文をお願いしまーす」
◇◇◇◇◇
誰も何も言わない。
ただ黙って、シヤの『リード』からのつぐみの声を聞いている。
シヤの発動能力『リード』は、離れている相手の声を聞き取ることが出来る能力だ。
シヤは今、「仮二条資料室」と品子と惟之が呼んでいるビルに来ている。
いや、『連れてこられた』というべきか。
昨日、つぐみの場所確認とリードの発動を、二人から依頼されてしまったのだ。
「そんなに気になるのなら、最初から多木ノ駅に行けばよかったのではないですか?」
シヤの疑問に品子が答える。
「そうしたいよ! 私だってそうしたいけど。さすがに私用で、ここを離れるわけにはいかないから。二条の人達に、わざわざ資料を持って来てもらっているわけだし」
品子はその、『わざわざ持って来てもらった資料』でバシバシと机を叩いている。
「ならば私用で、私も連れてくるべきではないと思うので……」
シヤの言葉は、品子の鋭い声に遮られる。
「おい、惟之! 五日前って言ったらさ。冬野君に発動していたリード。あれを解除して、お前に発動し直した時じゃないか。お前が鷹の目を失敗するから、こんなことになってんじゃねーか」
「それはそれは、大変に悪うございましたね。うっかり敵組織の落月の人達を、見つけちゃったものですから」
大人であるはずの二人は、とても醜い争いを始めている。
シヤはため息をつくと、再びリードに意識を向けはじめた。
◇◇◇◇◇
「うわぁ、凄いよ。ストロベリーの方はパンケーキ三つも乗ってるんだ。バナナの方はお花が乗ってて綺麗で可愛い。クラム君! どっ、どっちがいい?」
つぐみの問いかけに、クラムはにこりと笑う。
「そうだね。つぐみちゃん悩みそうだから、僕が決めた方がいいね。じゃあストロベリーの方をもらおうかな」
「わかった。決めてくれると助かるなぁ。クラム君は本当に優しいね」
「では優しいついでに。……よっと。はい、あーんしていいよ」
「そ、それはさすがに恥ずかしいよ」
「え? せっかく上手にフォークに乗せられたのに、食べてくれないの?」
わずかに目を伏せ、寂しげな顔をして自分を見つめてくるクラム。
そんな顔をされては、つぐみは逆らえない。
「あ、では。いただき、……ます。えと、あーん。……お、おいひいっ!」
◇◇◇◇◇
「っきぃぃ! 何なの、あいつ! 一体うちの子をどれだけ誑かすの!」
「……品子姉さん。つぐみさんは、うちの子とやらではありません」
床をだんだんと踏み鳴らしながら、品子は叫んでいる。
「昨今の若者は、どうも調子に乗りやすい様だな。……くくく」
「惟之さん? いつもの冷静さをあなたは一体、どこに置いてきたのですか?」
明らかにいつもと違う二人に、シヤは戸惑いを隠しきれない。
「もうこれ以上は、お二人の精神的によろしくなさそうです。そろそろ……」
「シヤ! 以前から言っているだろう。仕事はな、最後までやり遂げなければならないものなんだ!」
普段なら決して出さない大声を上げ、惟之がシヤの方を向く。
「惟之の言う通りだぞ、シヤ! 途中で投げ出すなんて、もってのほかだよ!」
今の状態は、まさに仕事を途中で投げ出しているのでは。
シヤはその思いを飲み込み、再び集中を始める。
◇◇◇◇◇
「はー、どちらも本当に美味しい。お腹一杯で幸せだよー。あ、そろそろ帰らないといけない時間だ」
「そうだね。あ、つぐみちゃんのお皿の最後のバナナ。僕が、もらおうかな?」
「うん。私、お腹一杯だからちょうど良かった!」
「じゃあさ。今度はつぐみちゃんが、あーんてしてくれる?」
「え、それはさすがに。……恥ずかしいと言いますか」
「……そうだよね。つぐみちゃんにあーんてしてもらえるには、僕じゃまだまだ役不足だよね」
さみしそうに笑い、フォークを見つめるクラムに、やはりつぐみは逆らえない。
「ち、違うよ、えーっとじゃあ。……はい、あーん」
悲しげな顔から一転し、輝かんばかりの笑顔をクラムは浮かべる。
だが、すぐさま真顔に変わると、つぐみの手をじっと見つめてきた。
「……ねぇ、つぐみちゃんの手のひら何か光……」
「え、手のひら?」
◇◇◇◇◇
シヤは咄嗟に発動を解除した。
さすがに一般人でも至近距離で見られたら、発動に気づかれてしまう。
「あ、あぁ……」
体がガクリと揺れる。
急に発動を止めた反動が、シヤを襲ったのだ。
「シヤ! ……あぁ、どうしよう! 惟之! ここに寝かせられるところは?」
慌てて駆け寄ってきた品子が、シヤを支える。
「だ、大丈夫です。少し座っていれば体調は、……戻ります」
「……すまない、シヤ。俺達のわがままで、迷惑をかけてしまった」
惟之の心配している声が、シヤの耳に届く。
ひどい頭痛がシヤを苛む。
返事をしたいが、まだ呼吸が落ち着かない。
品子にだらりと体を預けたまま、体が動けるようになるのをシヤは待つ。
何度か深呼吸を繰り返すうちに、ようやく体が動かせるようになってきた。
「……私も相手がどんな人かは、気にはなっていましたので。でも、そんなに悪い人ではなさそうですね」
支えてくれていた品子の手を握り、シヤは口を開いた。
「えー、でもなんか、ちゃらちゃらしてそう」
「まぁ、もうすぐ解散の雰囲気のようだし。今日はもう、大丈夫だろう?」
「まぁそうだけどさ。……あ、噂の冬野君から電話だ」
品子がつぐみと話をしている間に、シヤは再び呼吸を整える。
「うん。今、多木ノ駅なんだね。そのまま帰ってもらってもいいし、こちらに来てもいいけど。……わかった。こっちに来るんだね。じゃあ待ってるよ」
電話を切った品子に、シヤは声を掛ける。
「品子姉さん。私は帰ります」
「え、一緒にみんなで帰ればいいじゃない?」
「先程の相手の方の発言もあります。私がここに居るのはまずいでしょう。つぐみさん鋭いですから、今日のことにきっと気づきますよ」
「うっ、確かに」
品子は、自分の頭をガシガシとかきながら呟く。
「もう体は大丈夫です。急いだほうがいいと思うので、これで失礼します」
「わかった、何かあったら連絡して。すぐ迎えに行くから」
「シヤ、今日は本当にすまなかった」
「惟之さん、私は大丈夫ですよ。では失礼します」
シヤは椅子から立ち上がり、資料室から退出していく。
「それにしても……。大の大人が二人もそろって、あんなに動揺するなんて」
今までになかった品子達の様子に、自分の心の変化と同様のものを感じる。
発動能力を持っていないつぐみ。
それなのに彼女は、どれだけ周りに影響を与えていくのだろう。
「私も、……変わっていく?」
変わるとはいいことなのだろうか。
わからない。
わからないけれど……。
そっと自分の胸に、シヤは手を当ててみる。
いつもよりも早い胸の鼓動を感じながら、気付くのは一つの思い。
皆が家に帰ってくることを思う時の、心の奥の温かい気持ちは、嫌いではないと。
◇◇◇◇◇
「じゃあ私、これからアルバイトだから」
「お仕事、頑張ってね。つぐみちゃん」
向かい合ったつぐみの顔には満面の笑み。
彼女は本当に楽しい時間を過ごせたようだ。
もちろんクラム自身もなのだが。
「うん、頑張るよ私。今日は楽しい時間を、たくさんありがとう!」
「あ、ごめん。ちょっとした、おまじないさせて?」
「おまじない? いいよ! どうしたらいい?」
そっと彼女の髪をかきあげると、クラムはその柔らかな耳たぶに口づけた。
予想はしていたが、彼女は顔から湯気でも出てきそうな真っ赤な顔になっていく。
「そ、そうだよね、外国の人は挨拶でそうするんだよね! おーけーだよ! いっ、インターナショナルだね! じゃ、じゃあ、今度こそさよなら」
動揺した様子ながらも、つぐみは怒ることもなく笑ってクラムを見つめてきた。
小さく手を振って、くるりと後ろを向くと彼女は駅へと走っていく。
「転ばないといいけど」
子供ではないのだ。
そんな心配しなくていいと、クラムも理解している。
年上なのに、とてもそんな風に見えない彼女。
人の言葉に真っ赤になったり、嬉しそうに笑っていた女の子。
……でも、一瞬だけ。
彼女の手のひらから、発動者の気配をクラムは感じたような気がしてならない。
たまたまフォークの光が、照明に反射していただけかもしれないのだが。
さらにもう一つ。
彼女からする匂い。
五日前にはなかった匂いが、つぐみからするのだ。
ほんのりと、しかしながら誘うような甘い香り。
香水でも付けていたのだろうか。
あの香りは。
……心をかき混ぜてくような、よくわからない気持ちを引き起こさせる。
だが別に、彼女自体から発動者の気配がするわけでもなく、力も感じるわけではない。
おそらくは、気のせいだろう。
だが一応、彼女に対し保険だけはかけさせてもらった。
少なくとも、自分の存在を知りうる人間。
クラムが『落月の上級発動者』であると知っている人間に。
彼女に関わることを、触れることを許したくない、許さない。
――絶対にだ。
「ん? ……あれ、ちょっと待て」
今、何を思った?
絶対?
何を?
自身の考えにクラムは戸惑いを隠しきれない。
「……何をしているのだろう、僕は」
たかが一人の人間に。
ましてや力も持たない女性に、ここまで振り回されているなんて。
駄目だ、こんな浮ついた気持ちでは。
そう思う一方で、クラムの頭の中に、とろけるようなつぐみの笑顔が浮かぶ。
かき消すように、目を閉じて頭を振る。
緩んでいる心を今一度、見直す必要がありそうだ。
こういった些細な油断が、命を落としかねない。
「……僕は、しばらくは彼女に会わない方がよさそうだね」
そう呟き、クラムは駅へと足を進めていくのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトルは「冬野つぐみは知りたがる」
好奇心は大事なものですが…