表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬野つぐみのオコシカタ  作者: とは
第一章 木津ヒイラギの起こし方
10/320

冬野つぐみは集中する

 品子は、目の前におけるつぐみの行動を、ただ見つめることしかできない。

 それだけ、彼女の集中力は凄かった。

 資料を読みつつ、凄い勢いでルーズリーフに文字と図をつぐみは書き込んでいく。

 文字だけでなく、図として覚えこむ。

 その方が、頭にイメージとして入りやすいというのだ。


 この状況での、いつものお約束。

 そう、彼女の腹が全く鳴らないのだ。

 どれほどの思いをもって、彼女は取り組んでいるというのだろう。


 一通り書き終えると、誰もいないフロアがあるかとつぐみは品子へと尋ねてくる。


「四階は誰もいないし、三階は私達だけだよ」


 ぎっちりと書き込まれたルーズリーフを強く握りしめ、つぐみは大きくうなずく。

 そうして、品子をぐっと見つめた後にたった一言。


「ちょっと、散歩に行ってきます!」


 そう叫び、廊下へと飛び出していった。

 ときおり廊下から、ぶつぶつと何やら呟く声が聞こえる。

 扉のすりガラス越しに歩いている彼女がうつるのは、ちょっとしたホラー映画のようだ。


「なぁ、惟之。あれが散歩というのなら世の散歩は今後、何と呼べばいいのだろうな」


 品子の問いに答えることなく、惟之は好奇心に負け、こっそり扉を開け覗きこんでいる。

 だがやがて扉を閉めると、無言で品子の元へと戻ってきた。

 そのまま席に座ると、机に突っ伏しながらぼそりと呟く。


「……なぁ、品子。俺の知らない冬野君が、廊下にいるんだ」

「良かったな。彼女の、新しい一面を知れたじゃないか」

「違うんだ。そうじゃないんだよ。……縄がないのに縄跳びみたいに、ジャンプしてるんだ」

「そうか良かったな。やはり彼女の新しい一面を、知れてるじゃないか」


 惟之は、がばりと顔を上げ、かすれ声で続ける。


「その後に、廊下にある休憩室のローテーブルを使って。……多分、懸垂(けんすい)しようとしてたようなんだが」

「ローテーブルで懸垂? どうやって?」

「テーブルの下に頭を入れてから、テーブルのヘリを掴んでだな……」

「あぁ成程(なるほど)ね。面白い発想するねぇ、彼女は」

「それで失敗して、力尽きてそのまま頭を思いっきり打ってた」

「……そうか、いつも通りの彼女じゃないか。お前が冬野君を大好きなのはわかったよ。だから、とっとと仕事してくれ」


 品子の発言の終了と同時に、扉の開く音が響いた。

 後頭部をさすりながら、涙目のつぐみが部屋へと戻ってくるのを品子は出迎える。


「先生。一冊目の内容把握はできたと思います。もうお昼過ぎです。私、お弁当でも買ってきましょうか?」

「あぁ、お昼ご飯なら出雲君が手配してくれるみたい。いくつかメニュー貰ってるから、この中から選んでって」


 出雲から渡されていたデリバリーメニューを、品子はつぐみへと見せる。


「わ、こんなにあるんですね。凄い! これは悩みますね! 先生と靭さんはもう決め……」


 部屋に響く低い音。

 お約束の彼女の腹が、今になって鳴りだしたのだ。


 「「あ」」


 品子と惟之の声が重なる。


 その反応にいつも以上に顔を赤くして、もじもじする彼女の頭を品子はゆっくりと撫でた。

 空いた手で、最も値段の高い店のメニュー掴み、品子はつぐみへと差し出していく。


「とても頑張ったみたいだから。惟之がこの店のご飯、(おご)ってくれるって」

「そんな! それはさすがにいけません!」


 慌てた様子のつぐみに、惟之が穏やかな笑みを向けていく。


「いや、折角(せっかく)だからいいよ。ただし、ちょっとした試験をしてみようか。先程の君が見た資料から、俺が問題を出す。正解が出来た分に応じて俺が支払う。不正解の分が品子の払い。これでいこうじゃないか」

「面白そうじゃん! 冬野君。わざと間違えたりしたら、私にも惟之にも失礼だってわかるよね?」

「……はい、もちろん。ですが自分が頼んだ分はきちんと支払いたいです。それでしたら答えさせてください」

「相変わらず優しい子だね。じゃあ惟之、問題を出してみてよ」

「よし、じゃあ確認テストだ」



◇◇◇◇◇



「見事だよ冬野君、俺は君に一体どれだけ驚かされるのだろうな。あの短時間で、よくぞここまで」


 惟之は、持っていた資料を閉じつぐみを見つめる。

 結果は全問正解。


 惟之の頭の中で、彼女の縄跳びもどきや懸垂もどきがくるくると回りだす。

 この記憶力。

 こんな才能をくすぶらせておくのは、かなりの損失ではないか。


「なぁ品子。彼女を二条の……」

「却下」

「だろうなぁ。しかし惜しい」


 だが、当の本人はと言えば。


「先生、大変です。このお肉、()んでないのに溶けましたー! 脂身の所が私の口で勝手にー!」


 最近は、オンとオフの激しい人間と接する機会が増えている。

 そう感じずにはいられない。

 目を閉じれば、明日人のふにゃりとした笑顔が、惟之の頭の中に浮かんでくる。


「冬野君。そんな君に、私の弁当のこれを食べさせてあげるよ。はい、あーん」

「いけません、先生! これ(うなぎ)じゃないですか! こんな贅沢(ぜいたく)したら私、もう……」

「ふふふ、いいんだよ。もう戻れなくていいじゃないか。大丈夫、さぁ口を開けてごらん」


 ぱくり、と音でもしそうな食べ方で、つぐみは品子から鰻を食べさせてもらっている。

 さらには、ぱあぁという効果音でも聞こえそうな驚きと感動の表情が、つぐみの顔に生まれていく。


「……お、おいひい。私、生きててよかったです」

「そうだろう! いいんだ。全て惟之の奢りだ」

「それはいけません。私は自分の分は払う約束ですから!」

「いや、いいよ。今日は俺から君へのバイト代と思ってくれ」

「そうそう、これからしっかり働いてもらうからね」

「ありがとうございます。私、頑張ります!」


 つぐみは困り顔ながらも嬉しそうに、惟之へと言葉を掛けてくる。


「あの、靭さん。今日の夜ご飯を私、いつも以上に頑張って作ります! だから、……一緒に皆で食べませんか?」


 断られるだろうか。

 そんな不安から、少しうるんだ瞳で見上げてくるつぐみを惟之は見つめ返す。


「……まぁ、なんだ。そんな顔で言われたら断れないな」


 返事を聞いたつぐみの顔に、笑顔の花が咲いていく。

 最初から断るつもりも無かったが、晴れやかな彼女の表情に、同じように喜びが生まれていくことに惟之は戸惑う。


「……まぁ、いいか」


 こういう時間も、こういう気持ちになるのも。

 ――悪くはない。

 そう思える自分が、確かに感じられるのだから。

 自然と上がっていく頬を親指でそっと撫で、つぐみに笑顔を向けるのだった。

お読みいただきありがとうございます。

次話タイトルは「あだな」

誰のなのか、どんなあだななのか想像しながら読んでくれたら嬉しいですね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ローテーブルで懸垂!? これ意外と、いやかなり難しいですよね?^^; んで失敗して頭打ったのか(笑) つぐみらしいと言えば、つぐみらしいですね!
[一言] テーブルで懸垂、ダメ絶対。 やるなら公園に行きなきゃ、テーブルが壊れたらどうするんですか(←テーブルの心配 でも、失敗するところを見て笑わなかったようですね。 すごい、私なら吹き出した気が…
[一言] 推理力もそうだけど、その推理力のためには類い稀な記憶力も必要で、今回はつぐみの本領発揮ですね。 そして餌付けされるつぐみが可愛いこと可愛いこと。 ついつい食べさせてあげたくなる気持ちもわか…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ