木津家の朝
はじめましての方も、おひさしぶりですの方もどうぞよろしくお願い致します。
前作を読んでいるときっと楽しさ倍増です。
さあさあどうぞ前作もお読みくださいませ。
前作
「冬野つぐみのオモイカタ」
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自分の手と足が溶けている、溶けていく。
体を布で覆われているのでそれを見ないで済むこと。
この「人を溶かす」という毒を施した発動者の能力で、痛みを感じずにいられるのがまだ救いだ。
溶けた手足は黒い水となり、ぽたりぽたりと布を伝い零れ落ちていく。
自らの体から伝い落ちる黒い水。
冬野つぐみはそれを見つめ、ぼんやりと思う。
……私の命が、零れ落ちていく。
◇◇◇◇◇
「つぐみさん。この場所は安全です! どうかしっかり!」
顔を覗き込み、今にも泣き出しそうな少女、木津シヤにつぐみは笑いかける。
大丈夫だから、そんな顔しちゃだめだよ。
……あれ、シヤちゃん?
シヤちゃんの顔が、見えなくなっちゃった?
◇◇◇◇◇
「……つぐみさんは、兄さんの肩代わりによって助かりました」
姿は見えない。
けれどもつぐみの耳に聞こえるのは、間違いなくシヤの声。
ぼんやりとした意識が戻ると、シヤの姿は無く、代わりにつぐみの頭を撫でている人物がいる。
つぐみの通う大学の講師である人出品子だ。
彼女はゆっくりと、つぐみへと語りかけてくる。
「……今から君の、私達に関する記憶を消させてもらう。君の意見に関係なくだ」
品子は、つぐみの頭に改めてそっと手のひらを乗せる。
その瞳に揺らぎ、言葉に出さずとも表れているのは後悔。
常人が持つ事のない不思議な力「発動」。
そしてその発動の力を使いこなす「発動者」。
事件に巻き込まれ、傷ついたの心の安定を図るため。
もうこれ以上、つぐみが傷つくことの無いように。
人の記憶を操る発動者である品子は、つぐみの記憶を消すという決断をし、その能力を発動させた。
薄れゆく意識の中でつぐみは思う。
忘れたくないな。
大切なんだ……。
この記憶と思い出は……。
でも……。
◇◇◇◇◇
スマホの目覚ましが鳴っている。
……朝だ、起きなければ。
先程まで見ていた、夢の中の出来事。
だがあれは夢ではなく、数日前につぐみが確かに経験したものだ。
いや、これは後で考えればいい。
ごろりと寝返りを打ち、枕元に置いてあるスマホを手に取ると、額にコツリと当てる。
まどろみの中に漂いながらも、つぐみはするべきことを確認していく。
朝ご飯、今日は何を作ろうかなぁ。
とりあえず、和食にするのは確定だけど。
昨日、買ってきたオクラと納豆でいいかな。
この間みつけた、だし醤油と合わせたらすごく美味しかったし。
お豆腐にもご飯にも合うから、きっと先生は喜んでくれるな。
靭さんは今日は来るのかな。
一応、多めに作っておこう。
ん~、お布団が名残惜しいけど。
まどろみと思考を追いやり、つぐみはがばりと体を起こす。
自分の部屋ではないこの景色にも、ようやく慣れてきた。
さまざまな事情を乗り越え、つぐみは三日前から、この木津家に世話になっている。
つぐみが住む戸世市で起こった、発動を使い人間を黒い水に変えてしまう誘拐事件。
つぐみの親友であった千堂沙十美は、この事件に巻き込まれ、行方不明となってしまった。
彼女を見つけ出そうと、つぐみは自分の観察力を使い行方を求めていく。
だが力及ばず、彼女は事件の被害者となり、つぐみもまた同様に犯人に捕まってしまった。
犯人である奥戸に捕えられたつぐみを救い出したのは、奥戸とは別の組織の発動者であり、つぐみの学校の教師でもあった人出品子。
そして品子の従兄妹である、木津ヒイラギ、シヤの兄妹だった。
事件のさなか、奥戸から受けた毒でつぐみは命を失いかける。
そんな瀕死のつぐみを助け出したのは、ヒイラギだった。
彼はつぐみの毒を『肩代わり』という発動を使い、彼自身の体に毒を引き受け、つぐみを救ったのだ。
沙十美の死、ヒイラギに身代わりをさせた自分への呵責。
それに耐えられず動揺したつぐみに、品子は記憶を消す発動を施した。
だが発動は上手くいかず、つぐみの記憶は消えずに今も残っている。
一方でヒイラギは、毒の影響で目を覚まさず、病院に入院することになってしまった。
兄であるヒイラギと二人だけで暮らしていたシヤが、一人になってしまう。
これにつぐみが、学校の夏休みと重なったというタイミング。
何より品子からの一言で、自分の生活は大きく変わることとなる。
「シヤが家でたった一人なんて可哀想すぎる。冬野君、君がシヤの代理お姉さんになっておくれよ」
その勧めもあり、つぐみは木津家に世話になることとなった。
これには、自分への配慮もある。
先立っての事件でつぐみの存在が、奥戸の組織に知られている可能性もある。
それもあり、つぐみが一人でいるのを避けるという判断もあるのだ。
手早く着替えを済ませ、台所へと向かう。
時間は、七時になったばかりだ。
冷蔵庫を覗き、朝食の材料を取り出していると、リビングの方からシヤがやって来る。
「おはようございます、つぐみさん。私は何を手伝えばいいですか?」
中学二年である彼女も、夏休み中。
それもあり、今はパジャマのままだ。
前に彼女から借りたハンカチと同じ色の、青い星の模様が入ったパジャマ。
自分を見上げてくる姿は、少し眠そうで、まばたきをしきりにしている。
その姿の可愛らしさには、微笑まずにはいられない。
「ああああーん、眠そうなシヤも可愛いねぇー!」
気が付けばシヤの隣に立ち、朝の恒例となった高速頬ずりを、彼女に施している人がいる。
そう、今は。
『シヤが大好き! いや、もはやストーカー』と言っていい品子も、木津家で生活をしているのだ。
人となじむのが苦手な自分が、共同生活をする。
大丈夫だろうかと、当初は思っていた。
だが、いざ生活を始めてみると、中々に楽しい。
シヤは料理以外の家事はほとんどをこなせる、実にしっかりとした少女だった。
さすがに、ヒイラギと二人暮らしをしていただけある。
たまに品子が暴走をして『今日は私が料理を作る!』とさえ言わなければ、とても上手くいっているといえよう。
昨日もつぐみはシヤと一緒に、夕飯の買い出しに二人で出掛けた。
美味しそうなコロッケの街頭販売を見つけ買おうということになり、商品を貰う時に店員から声を掛けられる。
「はい。コロッケは、お姉さんに渡せばいいのかな?」
『お姉さん』
なんと素敵な響きなのだろう。
姉妹に見えたのだ。
これが喜ばずにいられようか。
ふわふわとした感動に浸りながら歩く帰り道。
それはいつも以上に、楽しい道のりと呼んでいいものだ。
荷物を半分ずつ持って帰るという体験。
ずっと一人きりだったつぐみには、それだけで幸せ過ぎる出来事だ。
夜になると品子も帰ってきて、にぎやかな夕食が始まる。
ここ最近は、品子と同じ組織の仲間である靭惟之も時間が空くと、一緒に夕飯を共にするようになっていた。
自分だけのために作ったものではなく、誰かのために作る食事。
上手に出来ても、ただ食べるだけだった時とは違い、「美味しい」という言葉が掛けてもらえる食卓。
過ごせる時間は、つぐみにとって本当に嬉しく幸せで。
自分が知らなかった、知りたかった世界はこうして優しく静かに流れていくのだ。
「あ、そうだ! 冬野君。惟之と明日人が今夜、この家に来たいって言ってるんだ。夕飯を二人分、追加してもいい?」
朝食を食べ始めてすぐに、品子が尋ねてくる。
井出明日人は、品子達と同じ組織の発動者だ。
惟之は情報の解析、明日人は治療の発動を担っている。
そしてこの二人は、つぐみを救い出した存在でもあった。
「もちろんですよ! 何か食べたいものリクエストありますか?」
「何でもいいよ~。あ、でも明日人は辛いの苦手って言ってたから、その辺を避けてくれればありがたいかなぁ」
「わかりました。よしっ! 今日はたくさん、作りますよ!」
「うわぁ、楽しみだね。今日の仕事がすごく捗りそう。じゃあ帰る前に連絡を入れるね」
嬉しそうに品子が、つぐみを見つめ笑う。
「はい、お願いします」
「あ、このオクラのやつ美味しい。これ夕飯も食べたーい!」
「わかりました。これもメニューに入れておきますね」
「やたっ! 冬野君、大好き!」
「つぐみさん、では買い物に行く必要ありますよね? 私、荷物持ちします」
「ありがとうシヤちゃん、お願いしたいと思ってたから助かるよ」
とりとめのない会話を交わしながら思う。
この時間は、本当に大切で愛おしいものであると。
一人で生きてきた時には知らなかった世界を、ここには教えてくれる人達がいる。
ここには、ずっと孤独だった自分を迎え入れてくれる、受け止めてくれる場所があるのだ。
あとはそれを教えてくれた、彼がここにいてくれたら。
だからつぐみは、こう願わずにはいられない。
……お願い。
早く起きて、ヒイラギ君。
お読みいただきありがとうございます。
次話タイトル「木津家の夕食」です。