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1 僕と夏帆とVRMMO

「ねぇ、夏樹ぃー。一緒にやろうよぉー」


 楠夏樹くすのきなつきは机に突っ伏していた顔を上げて、声をかけてきた少女に目を向けた。

 木曜日の放課後。二年B組の教室は、多くの生徒が残っており、まだざわついている。

 部活に行く準備をする者、帰宅までの僅かな時間を使って友人と談笑する者、……人がいなくなるまで、気配を消して寝たふりをしようとする者。

 その、気配を消そうと試みていた少年――夏樹に話しかけるような奇特な少女なんて、一人しかいない。

 紺のブレザーに身を包んだ眼前の少女は、ボブカットの黒髪を揺らしながら、ぐいっと顔を夏樹に寄せてきた。

 嗅ぎ慣れたシャンプーのにおいが、ふわりと漂ってくる。夏樹も同じブランドを使っているので、当たり前と言えば当たり前だ。

 夏樹は少女の目をじいっと見つめた。

 長いまつげに潤んだ瞳、ぱっちりと開いた眼はくりくりとして可愛らしい。

 少し視線を下げる。

 少女の鼻筋はすうっととおっている。唇には軽くリップが塗られていて、きらりと艶を放っていた。

 美少女……だと思う。黙ってさえいれば。

 夏樹がまじまじと観察していると、少女は一瞬照れたようなそぶりを見せ、プイッと横を向いた。だが、すぐに夏樹へと視線を戻す。


「ねぇ、……しよ?」


 少女は夏樹の耳元に顔を持っていき、意味深にささやく。

 またか、と夏樹は思った。正直、もううんざりだった。


「やらないっていってるだろ? しつこいぞ、夏帆」


 ため息をつきながら答えると、少女――楠夏帆くすのきかほは、不満げに口をとがらせる。


「いい加減、『ぼっち』なんてやめよう? ゲームの中ならさ、ほら、普段の夏樹なんて知らない人ばっかりだし、みんなと仲良くできるって!」


 イラっとした。

 いくら双子の兄妹だからって、もう少し遠慮というものがあってもいいだろう。


 ――僕はねぇ、いちいち人の容姿について、ああだこうだとからかってくるようなバカを、相手にしたくないだけなんだって。


 相手から遠ざかっていくのではない。夏樹から、あえて離れていっているだけだ。

 慣れ合ったところで、結局はいつもみたいに、見た目をバカにされて不快な気分になる。なら、最初から付き合わなければいい。


「うっさいな! もうほっといてくれよ!」


 夏樹は勢いよく椅子から立ち上がると、夏帆に視線もくれず、教室を後にした。


「あ……。ちょ、ちょっと、なつき――」


 後ろで夏帆が何かを叫んでいる。しかし、夏樹は振り返らずに、図書室に向かった。


 ――一人で静かに本を読んでいるほうが、よっぽど楽しいっての。なんでいちいち、めんどくさいVRゲームを嫌々やってまで、友達なんかを作る必要があるんだよ。


 夏樹は心の中で悪態をついた。




 図書室に入った。

 数人の生徒の姿があるが、皆思い思いに本の世界へと没頭していた。

壁際のストーブがたてるゴーッという音以外、耳に飛び込んでくる音はない。たくさんの紙が織りなす独特の香りは、夏樹のささくれだった心を、すうっと綺麗にならしてくれた。

 夏樹は一直線に、一つのテーブルへと向かった。適度に陽の光が当たる、冬場の一等席だ。最近の夏樹の指定席になっている。

 夏樹はちらりと、窓に映りこむ自分の姿に目を遣った。


 ――あーあ、そっくりだ。本当にそっくりだよな、夏帆の顔に。


 目元、鼻筋、唇……。どこをとっても、夏帆と見紛うばかり。違いといえば、せいぜい、マッシュショートにした髪型と、着ている制服の種類くらいなもの。

 世界中を見回しても、過去ほとんど例のない、一卵性の男女の双子。それが、橘夏樹と橘夏帆だった。

 なにかと注目を浴びやすい存在だったため、両親はわざわざ芸能関係者も多く通うこの私立高校に、夏樹たちを入学させた。マスコミ対策もしっかりされているので、世間に晒されるリスクを、低減させられると考えての選択だ。

 おかげで今のところ、一卵性の双子の件でのごたごたは、起きていなかった。

 ただ、夏樹に関しては、別の面での問題があった。

 夏樹は夏帆に瓜二つの女顔で、肌の色も透き通るように白かった。このせいで、小さい頃に周囲の悪ガキたちから女扱いをされて、だいぶからかわれてきた。

 とばっちりが来るのを避けようと考えたのか、夏樹と仲の良かった友達も、一緒になって揶揄するようになり、幼い心に大きな傷となって残っている。

 その当時の記憶が脳裏にこびりついており、からかわれなくなって以後も、夏樹は友人を作りたいとは思えなくなっていた。別に、一匹オオカミだって悪くはないさと、今ではもう割り切っている。


「まったく、夏帆の奴もミーハーだよなぁ。今話題の最新VRMMOなんて、あんなくそ高いもん、よく父さんにねだる気になったもんだよ……」


 夏樹は頬杖を突きながら、昨晩、夏帆が夏樹に押し付けてきた某ゲームについて、思いを馳せる。

 VRMMO《Melancholy Of The Spirits》、略称MOTS(モッツ)は、世界初のフルダイブ型VRを活用したMMOとして、一週間前に世界同時発売された。

 今まで、フルダイブ型のVRは、ほとんどの国において軍事用か医療用に限られていた。しかし、三年前に全世界規模で規制が緩和され、民生用の利用も可能となる。

 さっそく、世界中のゲームメーカーが、フルダイブ型VRを活用したゲームの開発に取り掛かった。その中で、日本のS社が先んじて、世界初となるMMOを開発するに至った。

 三か月のベータテストを経て、とうとう正式サービス開始となり、多くの人が専用ヘッドギアとソフトの入手に奔走することになる。このゲームへの世間の期待度が、うかがい知れた。

 夏帆は昔からゲームが大好きで、色々なジャンルをやりこんでいた。そんな夏帆が、リリースされたばかりのこの新作VRMMOに、飛びつかないわけがない。

 しかし、問題があった。

 必要な専用ヘッドギアは、高校生が持つにしては相当に高価だったのだ。技術的にまだ量産が難しい現実もあり、ひとつで新車一台が買えるほどの値が付いていた。

 だが、夏帆はテストの好成績なり、部活での活躍なりといった、親の様々な要求にすべて応え、購入の承諾を勝ち取った。

 ゲームのためならと根性を見せた夏帆を、馬鹿げているなと思いつつ、一方で、とても真似なんてできない、大したものだとも思った。今の自分に、はたしてそこまで情熱を捧げられるようなものが、あるだろうか。

 日々を無為に過ごしていると感じていた夏樹は、夏帆に少し引け目も感じていた。


「目標があるってのは、うらやましくもあるよな……」


 独り言ち、夏樹はため息をつきながら机に顔を伏せた。


「あっ! やっぱりここにいた!」


 下校までひと眠りしようかというところで、図書室に夏帆の甲高い声が響き渡った。


「しーっ! 静かにしろって」


 夏樹は人差し指を立てて、口元に寄せる。

 すると、夏帆は慌てたように周囲をきょろきょろと窺い、バツが悪そうに頭を掻いた。


「なんだよ、夏帆。こんなところまで追ってきて、ご苦労なこった」


 夏樹は苦笑し、隣の椅子を少し引いてやる。


「ねぇ、夏樹。いつまでも意地を張ってないで、ゲームやろ?」


 夏帆はサッと座り込むと、ニコニコと笑みを浮かべている。

 夏樹はがくりとうなだれた。またか、と。


「絶対楽しいって! ほら、これ見て」


 夏帆は、手に持つタブレット端末を夏樹に示した。

 夏樹はうんざりしつつも、夏帆の示したタブレットの画面に視線を移す。

 数人の人間が、何やら獣と戦っている動画だった。

 夏帆が言うには、MOTSでの夏帆とそのパーティーメンバーによる、魔獣の討伐風景だという。夏帆のキャラクターアバターの視点で記録されているため、夏帆自身の姿は手足くらいしか映っていない。

 動画内では、夏樹や夏帆と同年代くらいの男女数人が、一匹の巨大な熊を取り囲んでいた。


 フワリ……


 再びカギ慣れたシャンプーの香りが、夏樹の鼻腔をくすぐった。気が付けば、夏帆が頬をくっつけんばかりに顔を近づけている。

 夏樹は少し驚いて身をのけぞらせようとしたが、一方で夏帆はさして気にもとめずにタブレットへと指を伸ばした。

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