宛先不明の文章
何故、人は生きているのだろうと考えた事はあるだろうか。
どれ程の人が考えた事があるだろう?
私は不意に、考える事がある。
意識がフッ、とどこかに飛ばされて私の思考が浮き彫りにされる。
そういう時は決まって、脳の思考回路が組み替えられたように切り替わり、漠然とした考えが私の中に芽を出すのだ。
疑問という芽は、やがて成長し、枝分かれし無数の疑問──『樹』となる。
なぜ、私は今ここでこうして文字を綴っているのだろう?誰かに発信する為?それもいいが、自身の記憶を、考えを記すためである。
根が深くなる。枝が分かれて行く。
他の人は、どんな考えを持って生きているんだろう?
もし輪廻転成があるなら、私の魂は『何番目の私』なのか。
なんで空は綺麗なんだろう。
下らないことから、そうでない事まで多岐に渡って関連性のない思考が繰り返される。
「何を書きたいの?」
問う。
「何を書こうとしているわけでもない、今感じていることを書いてるだけだ」
というあやふやな質問が帰ってくる。
まぁ、とりあえず何かについて書いてみようかと思う。
人は、妄想する生き物だ。
人は、感情を持っている。
善悪を判断するのも、人。
人って、不思議すぎる。
文明だって人間のもの。
なぜ人間だけこんな進化を遂げたんだろう。
話が飛躍する。
他の星に、人の様な知的生命体ないし生物はいるのかな?
もし……居るんだとしたら、どんな姿?人間にそっくりだったり。別の言語を使ったり、どんな文明があるのかな。
輪廻転成の考えが通用するなら、もしかしたら次に生まれ変わる時は……別の生き物かも?
いや、他の星の住人に生まれ変わっているかも?
宇宙が滅びたらどうなるのかな。
実は宇宙は地球みたいに限定的な場所であって、もっとそれよりも広大な世界が広がっているのかも。
それとも、生命が完全消滅しちゃうのかな?
………これは妄想、そんなの誰にだってわかる訳がないんだ。
だから結局、最後には
「楽しく生きれればそれでいいや」
なんていう、考えに収まってしまう。
もし、私が生きている理由を問われるのならば。
もしそれに応えるとするならば。
「楽しく生きるため、そして笑ったり泣いたり、たくさんの感情と共に人生を送りたいな」
なんていう楽観的なものだろう。
人間って、凄い生き物だ。
考えられるしっかりとした脳があるんだ。どんな気持ちでもいい、感情があるんだ。
勝手な話だけど、私はそのために生まれたのかなって思う。
だから、人生は楽しむべきだ。
たくさんの挫折、人間関係、楽しい出来事。
欲に支配されたっていい。
妄想に浸るのは私たちの特権だ。
泣いたって、辛いことがあってもそれが人生だ。
なんて、最初から最後まで結局伝えたい事も分からずに書いちゃったかな。
この文章からどんなメッセージを見出すかもそれはあなた次第だよね。
だってそれがあなたの人生なんだから。たくさんの考えがあって当然だ。