5.黒き始祖の憎悪
――その男にとっては、すべてが憎かった。
男は生まれた時、天賦の才を持って生まれた神童だと騒がれた。
事実その一族の中において、彼は過去最高の魔力を保持し、親兄弟の為すこと以上の成果を上げ続けていたのである。それ故に自身も、己が力を疑わなかった。
だが男は、後に知ることになる。
己の才能は凡人の域を出ていなかったことを。
そして運悪く、自身を超える才能を持つ者が、同時代に産まれていたことを。
◆◇◆
ヴィクトルの最期を描く劇は中断され、学徒のみならず、観客すべてが【反ヴィクトル教団】の人質となった。その報せはすぐに王都全体に広まり、大きな衝撃を与える。ただちに騎士団が動きだし、学園を取り囲むようにして隊列を整えた。
だがしかし、想定外であったのは黒き傀儡の存在だ。
一騎で幾人もの騎士団員を倒すことのできるそれが、学園を中心として少なくとも千騎――否。もしかしたら、姿を見せていないだけでさらに多くの傀儡がいるのかもしれない。安直に突入すれば被害が大きくなる可能性があった。
幸いこちらから攻勢をかけぬ限り、傀儡が動くことはないことが確認されている。その報告を受け取った騎士団長――ヴァイス・シュヴァリオンは、その強面の眉間に深い皺を作りながら、おもむろに息をついた。
「なるほど。これが、アンジェリナ第二王女から報告のあった――黒き始祖の傀儡、か。よもやテロリスト風情が、このような軍勢を率いていようとはな」
蓄えられた顎鬚を撫でるように触れてから、彼はそう口にした。
白き獅子と呼ばれるその風貌。顔に負った深い傷跡に、白き髪と髭。筋骨隆々とした肉体を白銀の鎧によって包み込む偉丈夫。学にも秀でており、軍師要らずと呼ばれる彼にとっても、この事態は想定外中の想定外だった。
「いったい、奴らは何が目的だ……?」
鋭い赤の眼光を学園の方へと向けながら、さらにヴァイスは考え込む。
先日のような王女誘拐であるのならば、もっと大きな動きがあってもいいはずだ。それにも関わらず、状況は恐ろしいほどに沈黙を続けていた。
内部から僅かに届いた情報によれば、敵勢力はヴィクトル教団学園支部を中心として包囲し、しかしそれ以上は動こうとしない。それが、何を意味するのか……。
「もしや、そこを包囲したことによって目的は果たされている……?」
ヴァイスはそんな考えに至った。
もしそうだと仮定するならば、そこにいるであろう人物が標的ということになる。そこにいる、この国においても重要な人物といえば誰か……。
「……ユリウス、か」
それは単純明快な答えだといえた。
ヴィクトル王都学園学園長であるユリウスは、王都の中でも有数の力を持つ者だ。その首を取ったとなれば、テロリストにとっては大きな戦果と言える。
だが、それにしても――。
「――なんだ、この違和感は」
ヴァイスにはまだ、疑問があった。
これは国を揺るがす一大事だと言っても過言ではない。
それだというのに、その根底にあるものが分からないのだ。
「………………」
沈黙するしかない。
騎士団長は爪を噛み、ただ待つことしかできなかった。
中ではいったい何が起こっているのか。そして、それは何によってもたらされたものなのか。さらには、いかなる結末へと至るのか。
完全に部外者となっている彼には、到底分かり得るものではなかった。
◆◇◆
「お前が、噂の――黒き始祖、か?」
「その通り。だがあえて、改めて名乗らせてもらおうか……」
ユリウスの問いかけに、黒き者は蠢くように答えた。
そして一歩、また一歩と。建物の隅に追いやられた人質たちに歩み寄りながら、このように口にするのだった。
「私は黒き始祖――【真ヴィクトル教団】における始まりの一柱である。そしてユリウス、お前に引導を渡す存在だ」
朗々と。
それこそ、劇が未だ続いているかのように。
「私に、だと……?」
学園長たるユリウスは人質と、その中にいる生徒たちを守るようにしながら、薄く目を開いてそう言った。長い耳をピクリと動かし、思考を巡らせる。
黒き始祖が、一定の距離を保って立ち止まった。
「あぁ、そうだ。私は憎い――」
手を大仰に広げ、嗤うように呪詛を重ねる。
「憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いぃッ!!」
響き渡る男の声。
それは、その者の異常性を示すには十分なものであった。
「すべてが憎い、世界が憎い! そして何よりも――」
黒き始祖は、吼える。
「ユリウス――貴様が憎くて、仕方がない!!」
その相手へと向かって。
止まることを知らない怨嗟を吐き続けた。
「お前さえいなければ、私は優秀でいられたのだ! この心を歪めずに生きられたはず――彼の方の期待を一身に受けることも出来たはずだ!!」
「黒き始祖、お前はまさか……」
ユリウスは彼の言葉に、何か勘付いたようにそう漏らす。
それを聞いて黒き始祖もまた、表情は分からないもののニタリと笑ったような、そんな色を見せた。あたかもそれこそが目的であった、というように。
「ならば、この人々は関係ないだろう。この場にいるべきなのは――私と貴様だけで十分なはずだ。どうしてこのような愚行を働いた?」
「ククク――お前だけでは足りぬのだ。私の渇望を満たすには、もう一人の絶望が必要になってな。おそらくは、間もなくやってくる」
「なに……? それは、いったい……」
ユリウスは眉間に皺を寄せた。
しかし、彼が何かを問いただすより先に黒き始祖は動く。
「ククク、これが呼び水だ」――と。
手招きをするように。
あるいは、糸を手繰るかのように中空で手を漂わせた。すると、
「な――!」
一人の女子学生が、黒き始祖のもとへと歩んでいく。
制止などかける暇もなかった。その生徒は、感情のない顔で行ってしまう。そして漆黒の男の手中に収まり、首元にナイフを突きつけられた。
その時になって、彼女は正気に返り悲鳴を上げた。
恐怖は伝播する。
その声を皮切りに、他の人質にも動揺が走った。
それぞれが声を張り上げて、騒ぎ始める。その直後だった。
「扉が! 扉が開いたぞ!!」
ある人が、出入口の方向を指差してそう叫ぶ。
ユリウスも声に誘われるように見ると、たしかに扉は開け放たれていた。そうなると、もう時間の問題だ。一人、また一人と、我先にと駆けだす。
人の波は一気に外へと向かっていった。
「なんの、つもりだ……?」
しかし、ユリウスは動じず。
扉が再び閉じられるのを見送っていた。
残されたのは、彼と黒き始祖、そして一人の女子生徒。あとは監視をするように、ただ在るだけのように思われる数名の黒装束の者たち。
「なに、少しばかり舞台を整えただけだ」
黒き始祖は嗤いながら、静かにそう口にした。
そして、こう宣言する。
「始めようか――楽しい楽しい、劇の続きを!!」




