第二話 図書館捜索隊
「ところで、ポーラが大体どこにいるだろうかは把握してるの?」
図書館の書架の間を進みつつ、マーシャに問いかける。
半ば泣き落されてマーシャの頼みであるポーラの捜索を引き受けたわけだが、流石にノーヒントで探し出すのは難しい。図書館のほとんどすべてを把握している司書さんならともかく、個々の魔導書には対抗できる、といった程度の知識しか持たない僕では、図書館全域を短時間で探索することは難しい。何せこの図書館、空間系魔法の魔導書によって内部の空間がかなり広がっているのだ。多分、まともに探索すれば一週間くらいかかる。
そんなわけで、何かポーラの居場所のヒントになるような情報が無いと見つける当てがない。そう思ってマーシャに心当たりを聞いてみたのだが、マーシャの顔がみるみる赤くなって…
「それが分からないからあなたに頼んでるんだけど!当てつけかしら?!」
「うん、ごめん。今のは言い方が悪かった」
ちょっと涙目なマーシャに謝る。今のは言葉足らずだった。
「そうじゃなくって、ポーラがどんな本を探してそうか、とかそう言うヒントになりそうな情報がないかなって」
「…そうならそうと、始めから言いなさいよ」
「ごめんって」
むくれるマーシャをなだめる。別に馬鹿にしたつもりはなかったのだが、変にマーシャの心を抉ってしまったみたいだ。騎士爵の家の出であり基本的に優秀なマーシャは、悪口どころか揶揄いの言葉すらも言われ慣れていない。そのため、ちょっと打たれ弱いところがあるのだ。
「一応、どんな本を探すつもりかは聞いてあるわ。迷子になったときに手掛かりになる思って」
「おお、流石。抜け目がない」
「…うるさい」
だから揶揄いじゃないんだって。
「……確か、『錬金術』にちょっと興味があるって。講義で綺麗な宝石を作った魔導士の話を聞いたとかで」
「錬金術かあ…」
――また面倒なものを。
思わず、心の中でため息をつく。
錬金術は古いタイプの魔法の中では比較的有名なもので、魔法史などではよくその名前を聞くことになる。色々な素材を用意できるということで昔はだいぶ重宝されたようだが、時代が進むにつれて工業的な技術発展で不要な技術となり、今ではその専門家は世界にも数えるほどしかいないとか。一応、大がかりな装置を使わずに様々な貴金属や宝石を作り出せるという点では価値がないわけでもないが、基本的には普通にお金を稼いで買った方が早いので、学問として極めるつもりでなければ学ぶ意義は少ない。
そんな魔法でもとりあえずは学んでみようとするポーラの姿勢は嫌いではないが、その積極性のせいで今回の捜索では苦労することになりそうだ。なにせ、錬金術の魔導書が引き起こす不可思議現象は面倒なものが多い。
「これは、ちょっと時間がかかるかも」
「…そうなの?錬金術って科学の源流みたいなものだから、あまり変なことは起きなさそうだけど」
「そのはずだったんだけどねえ…」
本来、マーシャの言うことは正しい。錬金術は元々卑金属を貴金属に精錬する技術のことで、今でいう科学の元となった分野。一応魔導の一分野らしく魔法陣を描いて元素変換、なんてこともできるが、基本的には科学の範疇に収まる魔導分野である。ただ、それだけに古くはだいぶ隆盛を誇った魔導分野でもあり、魔導書も相応に数多く書かれている。この図書館でも、恐らく単一の分野としては最大の蔵書数になっているだろう。
「錬金術は昔はかなり流行った魔法だから、ここにある魔導書もものすごく多いんだ」
「…それはつまり、探す範囲が広すぎて大変だ、ってこと?」
「まあ、それもある」
実際、錬金術の書架は本当に多くて、魔導書の妨害がなかったとしても一通り見て回るには数時間くらいは覚悟する必要がある。
「でも、それよりも厄介なのは魔導書が多いってこと、そのものかなあ…」
「…いまいち良くわからないんだけど」
「説明するよ。ちょっと長くなるんだけどね。そもそも魔導書っていうのは――」
――魔導書というのはそのものずばり特定の魔法の理論を書き記したもの。そして、魔導書と呼ばれる条件はその程度の物であり、そこに書かれた理論が正しいかどうかは問われない場合が多い。なにせ、魔導理論は日進月歩で数年前までは誤りと呼ばれた理論が正しいことが分かったり、その逆に既知の理論の間違いが判明したりするのはよくあること。明らかに間違っているとみなされていた理論が正しかったと判明したこともある。このため、その理論がどれだけ眉唾なものであっても、『魔導書失格』として打ち棄てられることはほとんどない。
そして、それはこの学院の図書館でも同じ事。
特に、かつて隆盛を誇った錬金術の魔導書などは、どう考えてもあり得ないだろうと言うような奇妙な魔導書も数多く書かれている。それも、マイナーな魔導分野であればすべての魔導書が収まりきるくらいの数が。しかし、そんな胡乱な理論であっても魔導書であることには間違いなく。もはや寂れた魔導分野に関する歴史的史料価値というのも合わさって、書架のあちこちに奇妙な理論が書かれた魔導書が収められているのだ。
ただそれだけなら、苦労して書架から持ち出した魔導書が役に立たない程度の悲劇で終わるのだが、ここで一つ予想外の問題が起きた。膨大な錬金術の魔導書達が変に相互作用を起こし、眉唾な理論を記載した魔導書の内容を書架のあちこちで無理やりに実現してしまったのだ。しかも、錬金術をろくに知らないような非現実的な内容の魔導書まで含めて。
最大の誤算は、そういう破綻した理論であっても強引に実現できてしまう程に錬金術の魔導書が多かったことだろうか。そんなわけで、錬金術関連の書架では変な魔導書の理論をそのまま現実に起したような奇妙な状態のエリアがそこかしこに存在することになって――
「――まあ平たく言うと、錬金術の書架周辺は物理現象がかなり変なことになってる」
「うわあ…」
辟易といった感じのマーシャ。
あまり図書館の探索をしたことが無いマーシャであっても、今の説明を聞けばどのくらい面倒な状況になっているかは予想がついたらしい。さもあらん。
僕も初めてあのあたりを探索したときは、あまりの出鱈目さに目を回してしまった。物理的に。
「まあ幸い、司書さんが色々整備してるから危険な場所ってのは特に無いんだけどね」
不幸中の幸い。司書さん様様である。あの人も、こんな面倒な図書館を一人で切り盛りできる当たり、なんで司書なんかをやっているのか分からないくらいに有能だ。
「それに、待機所みたいな場所もあるし」
「待機所?」
「うん。司書さんが、一部屋だけ何も起こらない部屋を作ったらしくて」
前に錬金術エリアの捜索方法を聞いたときに、その部屋への行き方も教えてもらった。ポーラが上手くその部屋にたどり着いていれば、彷徨い歩いているよりは見つけやすいだろう。
「まあとりあえずは待機所に行ってみて、いなければ地道に探すか司書さんにお願いって感じかな?」
「…そうね。それが良さそう」
そう同意したマーシャは、グッと両手を握って気合を入れ、力いっぱい宣言した。
「よし、とっとと見つけて連れて帰るわよ!朝からずっとでお腹もすいているだろうし」
…猫か何かかな?
マーシャの言い草にちょっと笑ってしまう。まあ、確かに朝早くから図書館をさまよっていたら、今頃お腹が空いて仕方ないだろうが。まあ、そう言うことなら早く見つけてあげるに越したことはない。
「待機所かその周辺にいるなら、十分ちょっとで見つかる思うよ」
「うん、分かった。だったら善は急げよね」
そう言って、マーシャは書架の方に足を踏み出す。そして、こちらに振り返りながら、こう促す。
「さあ、行きましょう?」
そんなマーシャの様子を見ると、なるほどポーラが慕うのもよくわかる気がする。ピシッと背を伸ばした美しい姿勢に、強い意志を湛えた瞳。流石に騎士の家の出だけあって、力強さと気高さを感じさせる風貌だ。これで実力もあるだから、さぞかし恰好いい先輩に見えるのだろう。
――僕にとっても、それくらい頼りになりそうな感じだといいんだけど…
悲しいかな、いつもの自爆癖のせいで既に幻想は壊れている。もう何年か前だったら僕も恰好いいと思っていたかもしれないのに、勿体ない。
ため息を一つ。
そんなことを考えつつも、マーシャの後についていく。ともあれ、まずはポーラを探しに行かなくてなならない。
とりあえずは……
「マーシャ、錬金術の書架はそっちじゃなくてこっち」
意気揚々と全く別の方向に歩き出したマーシャを呼び止める。
自信満々に歩き出しておきながら即座に間違いをしてきされたことにマーシャが赤くなって固まる。それを無視して、僕は彼女の手を引いて正しい方向へと連れていく。
――何事もなく見つかればいいんだけどねえ…
ちょっぴり、いや結構不安だ。
***
「ふぎゃっ…!」
踏みつけられた猫のような悲鳴を上げて、マーシャが書架の一つに激突する。突然重力が90度傾いたせいで、書架に向かって『横向きに落ちていった』のだ。
「…だから、浮遊魔法を使ってって言ったじゃないか」
苦言を呈してみるが、再びもとに戻った重力によって地面に落ちたマーシャは、遅れて落ちてきた書架の本に埋もれてもがもが言っている。僕の声も聞こえたのか聞こえていないのか分からない。
とりあえず、本の山から突き出た足を掴んで、マーシャをグイっと引っ張り出す。
「ギャッ、痛い!ちょっと、雑!!」
無視。
「さ、行くよマーシャ。ポーラが待ってるよ」
「こら待ちなさい。待遇の改善を要求します!」
「却下。さっさと学習して」
本の山から強引に引き出されたマーシャが文句を言うが、即座に棄却する。冷たいように見えるかもしれないが、重力異変に対して浮遊魔法で対処するように忠告するのはこれで五回目。しかも、毎回重力異変が起きる前にわざわざ警告しているのだから、そろそろ自力で対処してもらいたい。
「うぅ…、そうは言っても、とっさに浮遊魔法を張る訓練なんて普段しないし…」
「いや、訓練がいるような大した魔法じゃないでしょ」
「大した魔法じゃないなんて言えるのはアレックスくらいだって…」
そう言って、マーシャはため息をつく。
「あれ?でも、浮遊魔法は王国軍でも正式採用されている魔法じゃないの?」
「…『使える』と『使いこなせる』の間には天と地ほどの差があるでしょう?」
「まあ、それは」
「あなたは古いタイプの魔導士だから、どんな魔法でも使いこなせるようにするのが基本なんでしょうけど。王国軍では、戦闘時に使うような魔法ならともかく浮遊魔法まで使いこなせる人間はあまりいないわ」
「そういうもんかねえ…」
いまいち釈然としないが、マーシャが言うならそうなのだろうと無理やり納得する。
僕は師匠の影響で魔導士としてのあり方が周りに比べてだいぶ古い。この学院に入ったときも、自分がそれまで教えられてきた魔法の大半が今では『古典魔法』として過去のものになっていることにだいぶ驚かされたものだ。そんなわけで、今でも他の魔導士と価値観が合わないことが往々にしてある。
「そ。だから、もうちょっと丁重に扱ってくださいな?」
そう言って、マーシャが小首を傾げてふわりと微笑む。
ただ、仕草は可愛いが、言っている内容は自力での対処をあきらめて手助けを求めることなので、いまいち締まらない。
「いや、まあいいけど…」
「よろしい。ほらほら、進んで?」
にこやかに笑うマーシャがグイグイと背中を押す。
他力本願のくせに態度がでかいなこいつ。
「はあ……あ、足場が悪いから気を付けて、”防護壁”」
問答を諦めて歩を進めると、進行先の床が固体のまま液状化した。まあ、ここで起きる現象の中では可愛いもの。とりあえずは、その上に防壁の魔法を展開することで橋の代わりにする。そう言う用途の魔法ではないのでちょっと足場が悪いが、まあ大丈夫だろう。
「はいはい、了解……ふぎゃっ!」
と思ったら、足を滑らせて液状化した床の中に落ちた。
嘘だろこいつ。
驚愕に一瞬動きが止まってしまうが、マーシャがとっさに伸ばした腕をなんとか掴んで、彼女が沈んでいくのを引き留める。
――やっぱり、マーシャが特別どんくさいだけじゃ…
あんまりにもあんまりなマーシャの失態に疑問に思いつつも、沈んでいくマーシャの腕を掴んでグイっと引き上げる。予想外の落下に対処が遅れて少々荒っぽくなってしまったが、これは油断したマーシャが悪いと思う。絶対に。
そんな僕の思いとは裏腹に再び不満を述べるマーシャを横目に、僕はまた一つため息をついた。
まあそんなこんなで。
その後も何度も落ちたり飛んだりするマーシャのせいで、予想の何倍も捜索の時間がかかってしまった。正直、最初から強引にでも司書さんに頼んでおけば良かったと何度も思った。本当に。
そして、こうも思う。
もう二度と、マーシャを連れて図書館には来ない、と。
***
やっとの思いで書架の間を抜け、待機所にたどり着く。
待機所などというと風情がないが、実際には石膏像やガラス細工などの調度品が飾られた円形の談話室である。場所が場所だけに利用者が少ないので勿体ないが、これまでの面倒な道中を思うとこの部屋の光景は心が洗われるようである。特に、窓際に飾られたガラスの薔薇が良い。その窓の外で寝ている双頭の魔獣は気にしてはいけない。
「ポーラ、いる?」
さて、僕が談話室の光景に癒されている間に、マーシャはポーラを探す。すると、中央のひときわ大きな石膏像の影からポーラが姿を現した。
「あ、お姉さま!」
ぱたぱたと駆け寄るポーラ。その姿を見て破顔したマーシャは、両手を広げてポーラを抱き留めようとする。しかし、ポーラはマーシャの目の前まで来ると、その胸に飛び込むことはなく少し手前で戸惑ったように立ち止まる。
まあ、マーシャにとっては大冒険でも、ポーラからしたら普通に図書館を使ってるだけだからね。
もう何度も図書館に挑戦しているポーラとしては、司書さんに回収されることも含めて慣れたものだろう。何やら感動の再会みたいな空気を作られて困惑するのも無理はない。
そんなポーラの様子をみたマーシャは、にこやかに笑ったままズイと一歩踏み出した。心なしか、視線の圧力が増したような気もする。
それを受けたポーラは、少し苦笑したのち、マーシャの両腕の間に飛び込んだ。
後輩に余計な配慮をさせる先輩の図。
「ああ、ポーラ。無事でよかった!」
「…ええと、お姉さまもよくぞここまで」
――温度差がひどい…
ちょっと困ったような顔をしていたポーラが、ふと僕の存在に気付く。しばし思案していた風のポーラは、やがて状況に合点が言ったようで「なるほど…」といった風に頷く。
「ありがとうございます」
「良いのよ、ポーラ。あなたのためですもの」
ポーラのお礼の言葉に、マーシャがそう言って返す。
…今の言葉は、多分僕に向けたものだけど。
そうやってしばらく再会?の感動を一方的に分かち合っていたマーシャとポーラであったが、いつまでもここにいても意味がない。あの道程をもう一度踏み越えることを考えると気が重いが、帰還の提案をすることにした。
「さ、マーシャ、ポーラ。さっさと戻ろう。そろそろお腹が空いたよ」
「…全く、アレックスは無粋ね」
「すみません、先輩」
思い思いの返答。大体予想してた。
「そうは言っても、いつまでもここにいるわけにもいかないでしょ、マーシャ?」
「まあ、それもそうなんだけど…」
歯切れの悪いマーシャの返答。
ちなみに、ポーラとの再会?を妨げられたことに苦言を呈しているような口ぶりだが、実際は多分そこに不満があるのではない。ここまでの道のりでこの図書館の恐ろしさを思い知り、ちょっと帰りの道に怖気づいているだろう。今、返答の時に若干目が泳いでいたのを見逃してはいない。
「じゃあ、そう言うわけでとっとと行こうか」
「ちょ、ちょっと待ってアレックス。もうちょっとだけ休憩してから…」
「そんなこと言ってたらいつまでもご飯が食べられないでしょうが」
「ちょっと、押さないで!」
「…あはは、何と言うか、お疲れ様です」
そんなこんなで、大騒ぎしながら再び書架の間に足を踏み入れる。
――帰りはマーシャとポーラの二人だから、来るときよりも苦労しそうだな…
***
予想の何倍も大変だった。