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ある嵐の夜…雷鳴が耳をつんざき、暗い雨が道に溢れ、人々は窓を閉ざす…そんな夜に、男が力なく路地に倒れこんだ。「逃げたぞ!捕まえろ!」「生きて返すんじゃねぇ!」背後から響く罵声に男は静かに目を瞑った。…諦め、虚しさ…、そして、ひと時の安らぎ。捕らえられればまた殴られ、顔が歪むまで蹴られるのだろう。…何度目なのかなどという問いは既に虚しい。産まれて此の方、殴られなかった日など無い。人に会えば嫌悪され、言葉を掛ければ殴られ、逃げれば…いたぶられた。そう、これは世界から憎まれる定めを持った男の物語。訳なき憎しみは…その果てに何を産むのだろうか。
ぼろぼろになった体を引摺り、男は寝床に倒れこんだ。家というのもおこがましい、崩れ落ちたレンガの壁から細く光が差す。あぁ、夜は明けたのか。体中が重く、熱っぽい。私が一体何をした。思考は痛みにさらわれ、目蓋が降りてゆく。行かねばならない約束が有るのに、レジスタンス…痛みばかりの人生に差し込んだ朝日、手を差し伸べてくれた友よ。国を憂い、悪を絶とうと言った言葉、信じている…。あぁ、しとしとと降る雨が辛い。体が冷えて堪らない。…もう少し眠ってしまおう。
眼下の群衆、口々に浴びせられる罵声…「殺せ!」「殺せ!」「こいつのせいで……は死んだんだ!」「酷い…」「あんな奴死んで当然だわ!!」「早く消し去って頂戴っ!!」次第に熱を帯び、うねりを増す憎しみの声…そこに執行人の声が響く。「裁きを!!悪を敷くものに裁きを!!」かつての友の顔はあまりの憎悪に黒く歪んでいた。…ここが終わりの場所か。絞首台、垂らされた輪の先は抜けるような青空で…。目を瞑ると怒声も遠く、小さくなってゆく。体は鉛のように重かったが、心は凪いでいた。…ただ、一筋の涙が頬を伝う理由なぞ誰も知る由もなく。
さぁ、此方へおいでなさい、愛し子よ…。我等が眷族にして統べる者よ。その水袋のような肉体を脱ぎ去り、痛みばかりの世界に別れを告げよ。空の向こうから魔の者共が囁く声がする。我等が赤子よ。生まれ出し魔王よ。祝福せよ…。憎しみに蝕まれし魂を、我等が愛してやろう!さぁ、この手をお取りなさい。
そして…最後の時が訪れるだろう…群衆は彼の首をくくり、背を蹴り飛ばすだろう。故なき憎悪、…喝采…、これはただの運命に弄ばれた男の話である。そして歴史は起点へと戻って行く。世界に憎まれる定めを持った者は…魔王としての零日目を迎えようとしていた。




