白頭巾の少女と血に塗れたオオカミ
むかし、むかしのお話。
悪さをすると噂のオオカミがおりました。
男はすべからく、殺してからその肉体を食べつくし、女は服をはぎ取ってから犯して喰らう。
極悪非道。冷徹の悪魔。出会ったら最後生きては帰れない。血に塗れたオオカミ。
それはそれは恐ろしいという噂は、とある王国で広がっていました。
とある親は子供を寝かしつける際に、いい子にしないとオオカミに食われてしまうよと。
寝るときには言い聞かせ。どんな子供もけっして近寄ってはいけないと教えられました。
大人たちも、オオカミには近寄ろうとは、思いもしませんでした
= = = = = = =
「…………」
いつの間にか、すごいことになったなと、オオカミは思った。
最初はちょっとした悪戯から始まった。
いまでは、大の大人たちですら漏らしてしまうようなこの凶悪な顔も
すべてを切り裂かんばかりに磨かれた強靭な爪も慣れてしまった。
もう何十年も前。
昔始めた仲間内でのゲーム。
獲物を早く刈る。それだけだ。最下位には罰ゲームを。
罰ゲームとして、村の人間にいたずらしてする。それだけだ。
別に本当に人間たちを食べてしまった訳ではない。
群れの長曰く、「人間を食うくらいなら、糞を食ったほうがましだった」という。
その真偽はともかく、豚や牛、キツネなど、知能のない動物風情の方が好きだった。
オオカミは、今更人間を食べようとは思わない。
勿論、動物たちを襲っているのは変わりないが、それは捕食の領域を出ず、悪戯で弱者を痛めつけたことなど一度もなかった。不用意に命を刈り取らない。それが人間でも捕食対象でも。
それどころか、奴らに近づこうものなら、銃でバカスカ撃ってくる始末だ。
とてもではないが、自分から近づこうなんて、思いやしない。
強面で、口下手。それがオオカミだ。
話を戻そう。
昔、オオカミが群れの中でまだ新人だったころだ。
仲間内での罰ゲームは近隣の村人に対する、ささやかな悪戯の執行だった。
別に捕って食べようという訳ではない。ゲームは群れで一大ブームとなった。
最初の頃はしょうもないことばかりだった。
夜道に歩く村の女性のパンツを、決して本人のもばれず、風のごとく剥ぎ取るものだった。
今になって思うが、本当にしょうもないなと、オオカミは思った。
だが、当時の彼らにとっては、真剣だった。
狙った獲物自身が気づかぬほど、素早く殺す彼ら闇の種族たちにとって。
誰にも気づかれず相手の衣服を剥ぎ取るという行為は。
自らの素早さ・器用さといった能力の高さを仲間に誇示する絶好の機会だった。
同時にそのばれるか、ばれないかというスリルが彼らを駆り立てた。
剥ぎ取った物は飾った。
ある時は、剥ぎ取った彼女たちの自宅前に。
ある時は、広場に。
ある時はモテない男の家の前に。この男は翌日、捕まった。
彼ら狼たちにとっては、人間の衣服自体に興味はない。その過程が大事なのだ。
翌朝、それに被害者たちが気づき赤面しようがお構いしない。
人の皮を被った男たちは喜んだが。
勿論、スカートを履いている女性限定だったが。
より高度さを競うため狼たちはその行為をエスカレートした。
男たちの衣服にもその魔牙を伸ばしたのである。
だが、パンツだけではない。衣服のすべてをだ。
ユーモアを忘れない彼らは、けっして帽子と靴だけは奪わなかった。
紳士として帽子は欠かせない。人間社会というものは、秩序でできているという。
裸足では獣である。だからこそ、全裸にだけはしなかった。
一夜を越えるたび、猥褻物露出で、多くの男たちは捕まった。
衣服という衣を置いてきた男たちは泣いた。
牢屋がムサイ男たちで一杯になる頃。
やがて、露出者を捕らえるため、町の警備が強化された。
そのころになると、群れも罰ゲームには飽き始めた。
狼たちの群れは、定期的に町や村を移動した。
そのたびに剥ぎ取りをしてきたが、ついにばれてしまうときがきた。
剥ぎ取りに味をしめた群れは、新たなステージに至った。
そのハイディング能力と素早さを存分に活かし、背後に立つ。
振り返った際に驚かすのだ。
これが面白かった。
悲鳴を上げるもの。失禁するもの。立ったまま気絶するもの。恋人を捨て走り去るもの。
実にさまざまだった。
だが同時に調子に乗っていた狼たちは一つのミスをした。
顔を見せたのだ。
警備隊に銃を撃ちまわされるようになり始めた。
警戒度は跳ね上がり、怪我を負うことも増えた。
ある日、群れの長が撃たれた。
場所が悪かったのか、アジトに帰るなり、息を引き取った。
その顔は、実に穏やかだった。
群れは解散することになった。
所詮は、一匹狼たちが群れたもの。だがパンツから始まった繋がりが長く、彼らを繋ぎとめていたのだ。
解散の日は、おおいに笑い、泣いた。
パンツを被り、町からくすねてきたスモークや魚を齧り、彼らは多くを語り合った。
いつの間にか、人間と同等の頭脳を持ち、強靭な体と速さを得た彼らだがそんなことはどうでも良かった。
狼たちは分かれていった。
ある者は、北の雪を見に。ある者は南国を目指し。
そして、オオカミは、西へ向かった。
特に意味はない。夜空に輝く星々の中、なんとなく大きな月を追いかけていただけだ。
= = = = = = =
あの頃は、若かったのだ。オオカミはそう思った。
彼らは、元気だろうか。今は知るすべはない。だがそれでいい。狼とは孤独の獣なのだから。
時とは、残酷だ。
パンツを剥ぎ、人々を驚かす。
そんなバカをやっていたあの頃はとうに過ぎて。
残った噂には、どんどん根も葉もない尾びれがついてしまった。どうしてこうなったのか。
もう慣れたのだが。
最近の、オオカミなど、食事と日光浴をエンジョイするぐらいしかしていない。
楽しみだど、特にない刺激のない日々。
たった一つのことを除いてーー
オオカミは、最近1つのことに夢中だ。
オオカミが生息するとされる森。だれも近づこうとはしない森の最奥には綺麗な花畑の手入れは、オオカミにとっては、癒しで楽しみであった。
その楽園に最近訪れる、小さな影があった。
近くの木々から、時には地面に伏せ、その姿を窺う。
赤、白、青、黄色の様々な花々に囲まれ、少女は満面の笑みを浮かべていた。
白い頭巾を頭に被り、片手に籠を下げている。呑気に鼻歌も歌っている少女だ。
籠には摘んだと思われる花が何輪か入っていた。
季節が春頃になると、少女は、花畑を訪れれていた。
毎日、毎日オオカミは少女を見ていた。不思議なことに、少女と花畑を見ていると心が癒された。
あの頃のスリルとは違う暖かな気持ちだった。
彼女と話ができたらなとオオカミは思った。だが同時に無理だろうなとも、思った。
顔を見せれば怖がられるだろう。きっと自分を恐れて二度とここには来ないだろう。
だから、こうやって近くから彼女を見ていられればそれでいい。
そう思った。
その日は厄日か、運命だったかオオカミには分からない。
くしゃみをしてしまった。同時にお腹もなった
ブエックショイッ!という掛け声にクゥ~ッという音が鳴り響いた。
慌てて鼻と腹を抑えたが遅かった。
気づくなよ、そう願って木陰から顔を見せ様子を窺うよりも早く、少女が顔を覗かせてきた。
木陰を挟み、目と目が合う瞬間。
オオカミは悲しかった。
この楽園が破綻したことに、今日以降彼女が訪れることもないだろう。
少女は驚いた顔を見せると、あるモノを籠から取り出してオオカミに差し出した。
いい香りのする、茶色い物体。丸いパンだった。
呆然とするオオカミに少女は、微笑んだ。
「お腹空いているんでしょ?パンをあげるね」
出されたパンを思わず受け取ってしまう。柔らかい。
それを、少女はにこにこと見てくる。
オオカミは固まってしまった。このパンをどうすればいいのか。それ以前にこの状況に頭が追い付かなかった。
「行きつけのパン屋のおじさんが作っているのよ、おいしいよ」
促されるまま、パンを一口。
中には何も入っていなかったが香りがよくフワッとした歯ごたえがとてもおいしかった。
大きな口で一息に食べつくすと、少女はまだ笑顔のままでこちらを見ていた。
オオカミにはどうすればいいか、分からなかったがせめて何かを伝えたかった。
「お、おいしかった」
「本当!よかったよー」
花が咲いたように、明るい笑顔にオオカミはようやく安堵した。
「お嬢さん、俺が怖くないのかい?」
「村の人たちはオオカミが怖いって言うけど、でも実際に誰も人を食べたところなんて誰も見ていないよ」
「見ていないだけで、本当は怖ーい奴かもよ」
「でも貴方は、今お腹が空いていたのに私ではなくてパンを食べたわ。噂は噂なのよ」
人間でオオカミが人を食べないと信じている者など初めて見た。
彼女の明るく無邪気な笑顔にオオカミは、吸い込まれた。
「オオカミさんは、よくここに来るの?」
「あぁ。ここに来ると心が落ち着くよ」
「いいところだもんね」
誰かと話をしたのは、いつ以来だろう。
オオカミは名残惜しいと思いながら、立ち上がった。用事を思い出した。
「オオカミさん、行っちゃうの?」
「あぁ」
「そっか、またね」
白頭巾の少女そう言って、一輪の赤い花を差し出した。
オオカミがそれを受け取るのをみて、少女は再び微笑んだ。
白頭巾の少女と別れ、オオカミは森の入り口付近に向かう。
そこには一軒の家が建ち、オオカミはそこの住人に呼び出されていた。
オオカミが家のドアを叩くと、中から返事がありオオカミは家の中に入った。
見た目とは裏腹にしっかりとした内装。
奥に向かうと小さなベッドがあって、そこに1人の老婆が眠っていた。
オオカミを呼び出したのは、お婆さんだった。
「遅いじゃないか」
お婆さんは遅れてやってきたオオカミを睨みつけた。
「すまなかった」
その視線にオオカミは頭を下げた。
お婆さんに頭を下げるオオカミ。
傍目から見てその力関係はおかしなように思えた。しかし間違ってはいない。
なぜなら、このお婆さんは悪名高い魔女だった。
そんな魔女は年を取り、潜伏先としてもともといたお婆さんを魔法で消し、お婆さんと入れ替わったのである。
「それで俺に何の用だ」
オオカミが訊ねると、魔女は薄く嗤いながら言った。
「わざわざ悪名高いと噂のあんたを読んだのはね、仕事を頼みたいのさ。お礼は何でも用意しよう」
「内容は?」
「簡単さ。餓鬼を一人食い殺してほしいのさ」
お婆さんの皮を被った魔女曰く、本来いたお婆さんには孫がいて、その孫が邪魔らしい。
お婆さんに化けたように、次は若い肉体に化けようというのだ。
お婆さんが隠していた財産だけでなく、新しく若い体も手に入れようとする。
実に残忍な魔女らしい。
「つまり、その子供を食べろというのだな」
「そうじゃよ。もう孫は呼び出している。その餓鬼の皮さえあれば、化けることができる。ある程度さえ残して食っちまって構わんよ」
「……で、どんな子供なんだ」
「いつも白い頭巾を被った小娘だよ。何が楽しいのか、いつもにこにこして。わざわざパンだの、汚い花だのモテくるね」
窓際に飾ってある花を睨みつけ、忌々しげに言う。花瓶に入ったその花はやや萎れていたがそれでも白く美しく咲きわいていた。
「さて、そろそろ来るはずだがやってくれる、ね?」
老いた魔女は嗤う。ケタケタケタケタと響くその声は耳障りで、オオカミはニヤリと口角を上げた。
それを了承と受け取った魔女がそっとベッドに戻る。
その一瞬の油断をついて、
「愚かな魔女よ、俺にその話をしたことがお前の死因だ」
首を切り裂いた。
魔女はこわばった顔をオオカミに向け、何かを言おうとしてピクリとも動かなくなった。
オオカミは初めてやった殺人にこのあとどうするか、途方に暮れる。
と、誰かが家に入る気配がして、
「イヤァァァァァァァァァッ!!」
オオカミが振り返ると、部屋の入口に座りこんだ白い頭巾の少女が目に入った。
彼女は呆然とベッドに倒れた魔女を見ていた。手から零れ落ちた籠からパンが転げ落ちたが、気づいた様子はなかった。
魔女は、死しても尚、お婆さんの姿を保っていた。これでは、お婆さんをオオカミが切り裂いてしまったという現場にしか見えない。
どうすればいいのか分からず、オオカミは少女に近づいた。足元に広がった血だまりがピチャリ、ピチャリと音を立てた。
その音で始めたオオカミに気づいたのか、白い少女は大きな瞳から大粒の涙をこぼした。
その涙をオオカミは綺麗だと場違いなことを考えた。
「なんで……」
「…………」
(これは君のお婆さんじゃない、魔女なんだ)
「噂は噂だったんじゃ……」
「違うんだよ……」
「やっぱり、貴方は人を食べるの?」
「違うんだっ!」
彼女の泣き顔にどうしたいいか分からないオオカミの大声が響き渡る。
「誰かいるのかっ!」
硬直した場に新たな人影が入ってきた。--猟師だ。
猟師は猟銃を持って部屋に入ってきた。
そうして何一つ躊躇うことなく銃口をオオカミに向けた。
その銃口をオオカミが見た瞬間、激しい衝撃と音がオオカミを貫いた。
衝撃で吹き飛び動かなくなったオオカミと、放心状態の白頭巾を通り抜け、猟師はベッドに倒れたお婆さんの死体に近づいた。
その死体を診て、完全に死んでいるのを確認し、猟師は少女の方に振り返り尋ねた。
「おい、もう済んだのか?」
「……え?」
意味が分からず顔を上げた少女に、猟師は溜息を吐いた。
「だから計画だよ。俺と婆さんの。まぁでも、順番が違うもんな。先に餓鬼を殺して、次に婆さんを殺すんだったよな。その後その狼は殺して俺は売り飛ばす手はずなんだが、破綻したのか」
猟師はオオカミを蹴飛ばした。もの言わぬ獣は少女の傍にゴロリと転がり込んだ。
「それじゃあ……」
「とんだ計算違いだ。噂に比べて対したことなかったな。くだらん正義感でもでたか。どちらにせよ狼も死んだし、あとは嬢ちゃんあんただけだ。計画が狂った以上、この家にある金品だけでもいただくか」
「オオカミさん……」
白頭巾の少女は、動かないオオカミをそっと抱き寄せた。
向けられる銃口にも気にせず少女は、何度も何度も心の中で謝りながら。
(ごめんなさい。ごめんなさい、オオカミさん。貴方を疑って。貴方を信じられなくてごめんなさい。)
「祈りは済んだか?……あばよ」
猟師は笑って簡単に引き金を引いた。
ーーその瞬間、黒い影が少女の前に立ちはだかった。
衝撃が奔り、体に穴が空く
再び衝撃が奔り、新たに空いた穴から血が飛び出る
三度衝撃が奔るが、倒れない
オオカミは、けっして倒れず笑っていた。不敵に。
少女はその背中を見上げた。オオカミの血が、彼女の頭巾を赤く染め上げた。
だが少女は気づきもしない。
「なんなんだ、貴様はっー!」
猟師は銃口をオオカミに向け引き金を引く。だが手が震えうまく定まらない。銃口から発せられる銃弾はオオカミには当たらなかった。その隙をついてオオカミは猟師を押し倒した。
暴れる四肢を容易く抑え込み、オオカミは大きな口を開けた。
オオカミの血で濡れた牙は紅く
ーーそれが猟師の最後の光景だった。
「ーー! オオカミさんっ!」
誰かの叫び声が聞こえ、オオカミはそっと眼を見開いた。
オオカミのすぐ近くに、血で汚れた赤頭巾の少女の姿があった。
少女の頤を伝い、涙がオオカミに零れ落ちた。
暖かい。暖かかった。
うめき声が聞こえた。誰だ? ……あぁ、俺の声か……
体は動かなかったが勝手に動いた。少女がオオカミを抱き寄せた。
「オオカミさんっ! オオカミさんっ!」
少女はどうして俺を抱きしめているのだ? どうしてそんなに悲しい顔をして泣いているのだ?
「オオカミさん!」
そうしてやっと気づいた。オオカミが少女を泣かせていたのだ。
「……あっ……あぁ……」
思い出す。だが体は動かない。
「オオカミさん、ごめんなさい。私っ」
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい
少女は泣いて謝ってくる。
「……いいんだ、もう、いいんだよ」
体は動かずとも声は動いた。
「怪我は……無いかぃ?」
「うん……オオカミさんが守ってくれたから」
そっと安堵の溜息を吐いた。最後に活躍できたことを。こんな薄汚れた獣が少女を守れたことを。
「オオカミさん、大丈夫だよね。こんな怪我大したことないよねっ」
よく見えなくなってきた。さっきから右側がよく見えない。
体にいくつ穴が空いたなんて分からない。体から抜け出る血と共に、生きるために必要な何かが抜けていくのをオオカミは感じた。
諦めたのか、絶望がその瞳によぎる。涙が零れ落ち続ける
彼女の泣き顔はある意味、そそられる。
だけど少女はやはりあの太陽のような輝く笑顔が素敵だ。
自分のせいで、泣いてほしくはない。
だから
「……な、かないで」
「えっ」
「笑ってくれよ……その方が俺もうれしい」
もう声を出すことすらきつくなってきた。瞼が重い。
少女はギュッと目を閉じ、涙を汚れてない袖で拭った。
鼻をすすり、涙の跡が残る顔だったけども。
赤頭巾の少女は笑った。それは、初めて少女と出会った花畑での微笑みと変わらなくて。
オオカミは、そっと息を引き取った。穏やかな顔で動かなくなった。
森の最奥には美しい花畑がある。
赤頭巾の少女は毎日その花畑を訪れる。少女は、花を摘み、更に最奥の場所にむかう。
そこには、小さいけれどもお墓があった。優しいオオカミさんと書かれたお墓に少女は花を手向ける。
お墓を見る少女の眼差しはとても優しく、暖かく。
花を手向ける少女は笑顔。
それはいつか、オオカミが初めて見たあの頃の少女の笑顔だった。