4話
魔王を倒す旅でございましたが、途中から、私はもう魔王なんてものはどうでもよくなっていたのでございます。
思い返せば当時の私は、外側からは誰よりも勇者らしく見え、しかし実際のところ、その内心はまったく正反対のものでございました。
つねに恐怖を抱いていたのです。
強いモンスターを山ほど倒しました。勇者しか抜けないという伝説の剣を抜きました。みな私を勇者だとおっしゃってくださいます。しかし私は己の内心が、みなさまの語る『勇者』から全然かけ離れているのを知っているもんですから、勇者だ勇者だと言われるたびに、『なんにもわかっちゃいねェんだ』というひねくれた気持ちばかりわき上がるのでございます。
私は無私の英雄と呼ばれました。
きっとどのような危険な相手を前にしても、己を顧みることなく立ち向かうように見えたから、そう呼ばれたのでございましょう。
私は無欲の聖者と呼ばれました。
おそらく多くの人々を貴賤なく、また報酬さえない時にも変わらぬ全力をもって救ったことが理由なのでございましょう。
他にも様々な呼び名がございました。勇者だ勇者だと人々は私をもてはやします。
しかし私は恐怖していただけなのです。少しでも我欲を出して『勇者らしからぬ』と言われることが怖かったのです。人々を立場で差別して『本当の勇者はこうじゃないはずだ』と疑われることが怖かったのです。
誰が想像できましょう?
我欲がないと思われていた私の行動すべてが、『勇者たらん』という我欲に満ちたものだったとは!
そしてよりにもよって、私が勇者たらんとしていた一番の理由が、お姫様を手に入れたいという、それこそ大凡人のような、ありふれたものだったとは。
とても預言書にある勇者のようではない性質の私が、それでも勇者たろうと努力を続けるのは、並大抵のことではございませんでした。
私は本来、英雄でもなんでもない、先祖代々の農民気質なのでございます。
旅路は退屈ではありませんでした。つらいだけでした。魔王退治を終えればこの努力はようやく報われ、自分は勇者であるという実感をようやく得られるものと信じておりました。
早く終われ、早く終われとそればかり考えていたような気がします。
じれったい手順を急き込むように終え、魔王城への道を一足飛びで駆け抜け、私たちはようやく魔王の待つ城にたどりつきます。
そこまでいくともう発狂寸前、周囲からは『魔王を目の前にして奮い立つその姿は、まさに勇者そのものだ』と言われましたが、事実はただ、勇者たろうという不断の努力のせいで摩耗しきった精神が壊れる前にどうにか魔王を倒しちまおうという、薬の切れたかけた中毒者の禁断症状状態も同然だったのでございます。
お陰でその大一番を、私はさっぱり覚えていないのです。
勇者ならば魔王を倒すことにこそ注力すべきで、魔王を倒した勇者の話は子々孫々語り継がれるものだとは思います。けれど、私は語り継ぐべき言葉を持ちません。夢中だっただけなのです。必死だっただけなのです。魔王退治は私にとって、ただのこなすべきつらい作業でしかありませんでした。
魔王を倒し凱旋すると、私は約束通り、次期国王に任命されることとなりました。
人々も魔王を倒した英雄が次の玉座におさまるってんで、だいぶ歓迎してくれていたようでした。
けれど私は、懇願しました。
「どうか、私を田舎に帰してください。私はもうこれ以上、勇者ではいられません。望まれた勇者である王になることは叶いません。どうか、どうか、お願いいたします」
のちに考えれば、それはお姫様をあきらめるという意味をも含んだ懇願だったのです。
けれどこの当時の私は、とにかく必死でした。勇者をやめたい。これ以上人々の描く勇者像を体現できない。これ以上続ければきっと心が壊れてしまう。早くこの苦痛から逃れたい。一刻も早く!
そればかり頭にあり、なんのために冒険し、なんのために勇者たろうとしたのか、ここまでつらい思いをしてまで得たかったものがなんなのか、王の椅子を蹴るということが、それら全部をあきらめるということになるのではないかなんて、さっぱり頭から抜け落ちてしまっていたのでございました。
「そなたの決意は固いようじゃな。わかった。他ならぬ英雄の頼み、聞き入れぬわけにはいかぬ」
王様がそうおっしゃられた時、ようやく人心地ついたんでございましょう、私の中でなにかがプツリと切れて、私は玉座の御前で情けなくも、そして不敬にも、意識を失ってしまったのです。
思い返せば冷や汗もんの大失態でございましたが、おとがめもなく、私が次に目覚めた時には懐かしい王宮のベッドの上でございました。
と、ここらで勇者でなくなることができた私は、サッと青くなります。
ものを考える心の余裕ができたのです。そのお陰で、玉座を蹴る意味、勇者をやめる意味を思い出したのです。
歯がみしました。涙さえ流しました。私はいったいなんのために冒険をしてきたのか! なんのために発狂寸前まで己を追い詰めながら勇者たろうとしたのか! 心と体のすべてを懸けて求めたお姫様を、私はあきらめてしまったのです。よりにもよって、己自身の意思で!
けれど今から王様に『やっぱりなしにしてくれ』と言うわけにもまいりません。それに冷静に考えれば考えるほど勇者として玉座に着くのはとてもできそうもないという結論にたどりつくばかりでございました。
顔を覆って、これからどうしよう、どうしてあんなことをしてしまったんだろう。取り返しはつくか、田舎に帰るとしても、家族は玉座を蹴るなんて大不敬を行なった私を迎え入れてくれるのか? 勇者ならぬただの人として、将来の不安ばかりが頭をよぎるのに、ただただ答えも見つけられぬまま絶望しておりました。
ところがその夜、お姫様が私の部屋にいらっしゃいまして、それらの絶望はすべて希望に転じたのでございます。
彼女は玉座を蹴った私を見捨てず、最初の約定通り、私の妻となってくれるとのことでした。
これには最初わけがわからず、次に夢かと思いましたが、どうにも夢じゃないことがだんだんとわかってきまして、最終的には驚喜いたしました。
こうして王位を捨てはしましたものの、最初の約定通りの黄金と、お姫様を手に入れ、故郷に凱旋とあいなったのでございます。
間違いのない幸福でございました。数年、私は平穏で幸福な日々を過ごしました。今もまだ、幸福の中にございます。こんな状況を不幸だなんだと言っちゃあ、バチがあたるってェもんでございましょう。
けれど、時々思います。
「なァ、お前、お前はなんで、俺の妻になってくれたんだい?」
「私、勇者様のお嫁さんになるんだって、ずっと思っていましたのよ。あなたの妻となるのは、私の小さいころからの夢だったんです」
王宮ではない僻地の生活でございますから、お姫様にはおつらいことでしょう。
それでも彼女はべつだん無理をした様子もなく、芯から幸福そうに、そう語るのです。
そのたびに思います。
『私は本当に勇者だったのか』と。
私が勇者でなくて、たとえばそのへんの、私なんぞよりタチの悪いごろつきが預言書の勇者であったならば、彼女は迷わずそのごろつきの嫁となったのか、と。
近頃また寒い季節になってまいりました。
このへんもだんだん、雪が深くなってきております。魔王は倒れましたが、王都の方ではまた湿った硬い雪が積もり、雪かきを欠かしては通行もままならぬありさまでございましょう。
私は変わらず勇者と呼ばれます。
お姫様もそう呼びますし、村人からも折に触れ勇者様と呼ばれます。
私は勇者となったお陰でずいぶん色んな経験をしてきました。悪いこともありました。狂いそうな時期も、ありました。けれど、人々がうらやむような幸福なできごとは、それ以上に多かったと思うのです。
だから、最近は気になります。
誰が、私を勇者にしたのか?
勇者のことをあいまいで誰でもいいように書いた預言書か?
それとも私を見出した、恋い焦がれたお姫様か?
あるいは人々の期待か? それとも魔王? もしくは、私自身?
歳を重ねましたが、未だに答えは出ません。
だから私は思うのです。
勇者とは、運命という名の瀑布に翻弄された一枚の枯れ葉なのではないかと。
私は最初から運命にもてあそばれていて、お姫様も、私ではなく運命と結婚した運命の奴隷なのではないかと。
口には出せません。
私はまだ、お姫様に勇者と思われなくなることを怖れており、心のどこかで『勇者らしからぬ言動』をとることを怖れています。
この恐怖は一生つきまとい続けるのでしょう。
できうることならば、私を勇者にした何者かの機嫌をとる方法ぐらいは、近いうちに見出したいものです。