3話
私の旅は王都が雪で閉ざされるかける直前の、それはそれは寒い時期に始まりました。
雪ってェのは厄介なモンでございます。私の故郷はさほど寒さの厳しくない土地でございましたから、雪が降ったって多少大人の苦労が増えて子供と犬が喜ぶ程度のもんでございましたが、このへんの雪は本格的で、毎日掻かないことには道を歩くのもままなりません。
その当時よくないことはだいたい魔王のせいとされてましたもんで、人々はこの心までふさいじまうような重くて硬い雪を降らせてるのも魔王だってんで、勇者として王都を出る際にはみなさまから『この雪を止めてくれ』みたいなことをよく言われたもんでございます。
ところが私は雪が悪いもんだっていうイメージのなかった田舎者でございますから、旅立ちに際してみなさまに『雪を止めろ』と言われても『そいつァ無理でしょう。なんたって自然現象なんだから。そうなんでもかんでも責任を押しつけられちゃあ魔王だって迷惑でしょうよ』なんて思って、きょとんとしておりました。
こういう時も如才なかったのがお姫様でございます。
彼女の魅力はなんといってもそのお優しい微笑みでございますが、この美しいお方は、表情を引き締めるとずいぶん凜々しいお顔立ちにも見えます。
その凜々しいお顔で真剣に『魔王を倒しみなさんの苦労を少しでも減らしてみせます』などとおっしゃいますもんで、民衆は声をそろえてお姫様に声援を送りますし、その隣で私なんかもお姫様がんばってください、と言いかけたもんでございます。
そうなんです。彼女は勇者として旅立つ私の隣にいました。
旅立つ際に私は王様よりだいぶ色んなモンをいただきました。立派な鎧に、立派な剣。二頭立ての馬車とそれをひく馬。忠実で信頼できる御者に、土地でも買えそうな賃金。それから関所のすべてを抜けるための通行手形。
どれもこれも私が一生を農夫で終えていればお目にかかる機会さえなかったような代物ばかりでございます。
それでも、今述べたどれより気高く尊い贈り物があるとすれば(それを『贈り物』なんぞと言ってしまうのははなはだ無礼なことでございますが)、お姫様その人でございました。
旅に花が添えられた、どころではございません。
魔法使いとして一流で、礼儀作法をわきまえ、さらには『仲間』と『伝説の剣』を捜すのに重要な預言書に書かれている古代文字を読み取るという、学者様みたいなことまでこなしてしまわれるのです。むしろ私の方が添え物のようでございました。
それでも一応、名目上、この旅の中心人物は私なのでした。
お姫様の隣にいる冴えない私を見るみなさまの中には、『なんであんなのが』とか『あいつでいいなら自分だって』といったやっかみの視線もございましたし、そのやっかみは妄想ではなく、旅の中で何度か直接陳情として、私に直接、あるいは御者やお姫様を通してぶつけられたものでもございます。
実際のところ、私も客観的に自分を見て、そういった厳しいご意見には『イヤ、まったく』とうなずくばかりでございます。
ひと目見てそう思える通り、旅の内容もまた、勇者が私でなくともつとまるようなものでございました。
お姫様には『預言書』がございます。どうにも私もその預言書をもとに見出された勇者のようなのでございますが、これがまァ預言書らしい預言書というか、書いてある内容がとりとめもない、夢でも書き記したのかという具体性のないものなのでございます。
私も勇者と呼ばれておいて、ただの添え物のまま旅をするのは気が引けたもんで、剣技をより磨き、知識を身につけ、古文書の解読なんかもお姫様にばかりお任せしなくともよいように旅の先々で暇を見つけては学んでいき、どうにか簡単な古代語なら翻訳できるようにしたわけですが、預言書は内容を読めてもなにが書いてあるかわからない代物でございました。
一例を記すとこんなことが書いてあります。
『勇者は金色なる絨毯の中にいる。彼の者は、なりをひそめ、その運命に気付くことなく、日々を大凡人として過ごす者である』
たしかに私に当てはまります。故郷は農村でございますから、作物が実るころには一面が黄金の絨毯のようになりますし、私は目立つような個性の持ち主ではございませんので、当然勇者だなんていう運命に気付くこともなく、ただの人として過ごしておりました。
ですが果たして本当にこれは私なのでしょうか?
同じ条件に当てはまる人が他にいないものなのでしょうか?
この疑問は私の中で日に日に大きくなっていきまして、それでも口にして『やっぱり違った』と言われるのは大変怖ろしいことでございましたから、口にも出せず、どうにか勇者たらんと腕を磨き、知識を身につけ、向上の努力を重ねました。
思い返せば気の休まる日のなかった旅でございます。
私はお姫様に見限られるのが怖ろしかったのです。この誰でも当てはまりそうな『預言にある勇者』が本当は私でなかったと発覚することを怖れていたのです。なによりお姫様に失望の、あるいは裏切り者を見るような視線を向けられることを想像するだけで、胸がつぶれそうになり、夜も眠れないほどだったのです。
その恐怖は仲間が集まり、敵が強くなり、魔王に近付くにつれて強くなっていきました。
集まった仲間たちは本当に非の打ち所のない煌びやかな方々でございました。放浪の剣士がおりました。学会から追放された魔法使いがおりました。先祖代々の使命に燃える貴族様がいらっしゃいました。
みな強く、あるいは賢く、あるいは高貴な方々でございました。容姿や出自、培ってきた経験などもふくめて、私がみなさまに『勝てる』と思えるようなところは、一つもなかったのでございます。
劣等感と戦いながらの旅路でございました。
みなさまその道の一流の方々ではありましたが、差別などなく、農民出身で剣技は剣士に及ばず、魔法は魔法使いに及ばず、血の尊さや精神の気高さでは貴族様に及ばぬ私を差別することなく、平等に、時には見上げるように接してくださいました。
勇者だから。
最初は望外の喜びとして迎え入れた呼称でございました。
王宮での修行の日々は、折れそうな心を支える誇れる称号でございました。
しかし後年になると、その尊称は呪いとなっていったのでございます。
勇者だから、みなさん、私を敬い、頼ってくださいます。
けれどもし私が勇者ではなかったら、どうなるのでございましょうか?
勇者とは、なんなのでございましょう?
私は次第にそのことばかり考え、『お前は本当は勇者ではない』と言われないため、モンスターを殺し、知識を身につけ、技を磨いていきます。
思い返せばこの当時、私はたしかに勇者でございました。
勇者であるという自信が持てないために、勇者以上に、勇者たろうと邁進していたのでございます。