6 隠れた場所は
白神はユシロを抱えたまま、息を殺して身を潜めていた。
ジャリ、ジャリ、と。
遠くから、舗装が完全に吹き飛ばされた地面を歩く複数の足音が聞こえてくる。それは、確実にこちらへと向かってきていた。
「大将さん、いくらなんでもこれはやりすぎやないですか?」
この場に似合わない、緊張感が全く感じられないその声は、まだ若いであろう男のもの。今まで白神が聞いたことのない声。こちらから覗けば見つかるため、その姿を見ることはできないが、誰かが誰かに話しかけているらしい。
それに対し、
「ここまでしなければ仕留めきれないと思ったのでな。これでも守り手自体は捉え損なっている。消滅したとも思えないが・・・しかし、私が雷槌を撃った瞬間に死霊兵どもが湧いてきたとなると、他の組織に奪われた可能性も考えなければならないだろう」
答えたのは先ほどの声とは違う、威厳と重みのある男の声。
声の雰囲気や大将さんと呼ばれているところを聞く限り、どうやらこの男がリーダー格らしい。そして話からすると、この破壊を引き起こしたのもこの男のようだった。
あの時の爆発、その威力を思い出し、あまりの緊張に体が強張っていく。
「現に守り手も『護石』も見つからない。まさか、我々3人がかりでも失敗するとはな。付近に死霊兵の使い手がいるのは確かなのだが・・・さて、どう動くべきか」
「今すぐ範囲を広げて徹底的に捜索すべきね。近くにいるはずの死霊兵使いなら、何か情報を持っているに違いないわ。急がないと逃げられてしまうもの」
その声には聞き覚えがあった。
それは間違いなくあの時に出会った、制服姿の少女のもの。つまり、すぐそこにいるのはあの制服姿の少女とその仲間とみて間違いないだろう。話の流れからして、制服姿の少女を含め3人だけのようだった。徐々にこちらへと迫ってくる話し声。
「おいおい雛っちゃん、目的が入れ替わってるで? まず優先せなあかんのは守り手の持つ『護石』の確保やろ。やっぱ、まだこの辺に潜んでるって方が有り得ると思うんやけど」
その言葉にびくりと体を震わせる白神。冷や汗が背中を流れていく。それでも狭い空間の中、必死に気配を殺す。
白神が隠れているのは、爆発で半分ほどが吹き飛んだ食堂、そこに辛うじて残っていた自販機の裏だった。普通ならまず気づかないであろう、あのウォータークーラーの設置されている空間。あの少女が本当に新入生ならば、おそらくは知らないはずの場所。
そこは白神の思いつく限り、最善の隠れ場所だった。何も知らない人間が気づく可能性がほとんど無いはずの場所。しかし、虱潰しに調べられればどうしようもないのだ。
ぐったりとしたユシロを抱いたまま、ただひたすらに時が過ぎるのを待つ。あとは、運を天に任せるしかないのだ。
対して雛っちゃん、と呼ばれた少女は苛立ったように言う。
「なら教えて頂戴。あの一撃を受けた守り手がどこに、どうやって隠れているのか」
「守り手がその気になったら、気配を完全に消すくらいお手のもんやろ? だいたい、死霊兵ごときがこっちの目を盗んで守り手を連れ出せたんなら、そっちのほうが問題やろうし。まずは可能性のありそうなトコから潰してくのがセオリーちゃう?」
「そんな時間があると思うの? そんなことをしていたら情報を持っているかもしれない死霊兵使いに逃げられるわ。大体、いくらあの守り手でも、あれだけの一撃を受けてすぐに動けるはずがないもの。そうでしょう?」
「確かにそうだ、命中こそしていないが確実にダメージは与えた。『力』を使い果たしている守り手がすぐに動けるとは思えないが・・・しかし、我々以外の他の勢力が関わっているのもまた事実だ」
威厳のある男の声が仲裁するように答える。
次第に近づいてくる足音に、白神の心臓は破裂してしまいそうだった。話の流れからして、この辺りを捜すか否か、それを決めているらしい。それによってもしこの辺りを捜すと決まれば、どうすることもできないままに見つけられ、そしておそらくはーーー殺される。
ユシロを強く抱きしめる。今の白神はただ、息を殺して祈るように待つことしかできないのだ。
相手の組織のことは全く知らないが、それでもこのリーダー格であろう男が決定権を握っているのだと推測できる。つまり、その判断によって白神とユシロの運命は決まるのだ。
自販機の向こう、すぐ傍で足音が止まり、そのまま物音が消える。それは、永遠にも感じられる時間。
そして。
「・・・今は捜索を中断し、後詰めの者たちと合流するべきだな。敵の戦力、意図が分からない以上、我々だけで闇雲に捜すのは愚策だ。まずは情報を共有し、再度作戦を練り直す」
威厳のある声が、そうきっぱりと告げる。
「それでは敵に時間をーーー」
「敵の拠点さえわかれば奇襲も強襲もかけられる。焦るな、居場所もわからん死霊兵の使い手一人を、主力総出で捜すのは戦力の無駄使いだ」
少女の言葉をぴしゃりと遮る、威厳のある声。
「っ」
あの制服姿の少女がその言葉を聞いて、何も言わないままに引き下がるのが気配からわかる。それだけでこの男の持つ力が理解できた。
「異論がないのなら撤退するぞ。一度結界を解き、索敵からやり直す。いいな?」
「りょーかい。そんじゃあ、帰りますか」
「・・・わかったわ」
緊張感のない若い男の声と、渋々といった感じの少女の声が答える。そしてすぐに響くのは地面を蹴って跳ぶ音。そして、それはすぐに遠ざかっていった。思わず止めていた息を大きく吐き出す白神。
すぐそこまで、ほんの5メートルほどの距離まで迫っていた危機はようやく去ったのだ。安堵のあまり座り込みそうになりながらも、白神はとりあえず確認のために外を覗こうとする。
すると、ちょうどそのタイミングで、
「こほっ」
白神に抱えられたまま、ずっとぐったりとしていたユシロが急に咳き込む。そして、僅かながらに動く手足。それを見て、白神は慌ててユシロを揺さぶる。
「おい、大丈夫か!」
白神の呼び掛けにゆっくりとその瞳が開く。
そしてこちらを見て、状況が飲み込めないといった風に辺りを見回すユシロ。
「あなたが、どうして・・・それに、追っ手は・・・」
「辛いなら無理に喋るな。お前を狙っていた奴らなら、もういなくなったよ。だから安心しろ」
「それは、どういうーーーっ、結界が、解けた」
ユシロがそう呟いた途端、突如として周囲に変化が起きる。
自販機の裏にまで飛び散っていた幾つものコンクリート片が、まるで透明になっていくかのように薄れ、そして消えていく。無数のヒビが入っていた床が、まるで修復されていくかのように綺麗になっていく。まるで世界が元通りに塗り替えられていくような、そんな感覚。
そして、変化はそれだけでは終わらない。
「っ!?」
自販機の向こうから聞こえてきたのは人の声。それも何人かの友達と騒ぐような、普段の学校で聞き慣れている雑音。警戒しながらも、とにかく外を窺ってみた白神は己の目を疑った。
「どういう、ことだ?」
そこは、いつもの食堂だった。
爆発の衝撃で半分が吹き飛び、曇り空まで見渡せていたはずの食堂は完全に普段の姿に戻っていた。穴どころか傷さえ見つけられない、いつも通りの小綺麗な食堂。
まるで時間が巻き戻ったかのような錯覚に陥る白神。
そんな白神へと、通りがかったラグビー部の集団が訝しむような視線を向けてくる。自販機の裏から顔を出して、きょろきょろと辺りを見回している人間を見て不審に思うのは当然のことなのだが、今の白神にとってそんなことはどうでも良かった。
誰もいなかったはずの学校に、当然のように生徒たちがいるのだ。あの足軽や刀を手にした少女、そして連続して起きた爆発なんて微塵も存在していなかったかのような、どこまでもいつも通りの光景。あれだけ走り回って命まで狙われたのに、それら全てが夢だったと思ってしまいそうなほどに普段通りの光景だった。
「知らないのなら、驚くのも無理ない。今は、現実の世界だから」
白神の腕に抱えられたままのユシロが身をよじりながら言う。どうやら、降ろしてほしいらしい。
とりあえずそっと少女を降ろしてみると、ユシロは自販機に手をつきながらも必死に一人で動こうとする。ふらつくその小さな体で、なんとか自力で歩こうとしているのだ。
それはこちらから見ても、明らかに無理をしているとわかる姿。すぐによろめいて倒れそうになるユシロを白神は慌てて支える。
「無理するなって、怪我してるんだから安静にしないとーーー」
「私は、大丈夫だから・・・これは一時的に、体が麻痺してるだけ。すぐに戻る、から。これ以上、あなたを巻き込むわけには、いかない」
それでもなお一人で歩こうとするユシロ。そこから感じられるのは、迷惑をかけまいとする強い意思。本当は辛いはずなのに、それでも強がって。
白神はその姿を見てため息をつく。
この真っ白な少女は、なぜ白神がここにいるのかわかっていないらしい。廊下で別れた時と同じく、今なお自分一人で全てを背負い込もうとしているのだ。ここまで頑固な奴はそういないよな、と白神は呆れながらもユシロをまた抱き上げる。
「っ、どうしてーーー」
軽いため、あっけなく持ち上げられてしまうユシロ。
抵抗しようとしているようだが、白神から見れば力なく手足を揺らしているようにしか見えない。こちらを見つめる瞳は、戸惑いを隠せずにいた。
「あんな目に遭ったのに、どうして・・・私に関わったら、あなたはーーー」
「もう充分巻き込まれてるし、関わりすぎてるよ。それに、お前と別れた後にはもっと酷い目に遭ってるんだ。ここまで来て、今さら関わるなっていうほうが無理だ。ほら、諦めて大人しくしろって」
「でもーーー」
「あのな、お前は俺を巻き込みたくないと思ってても、俺はお前を放っておけないんだよ。今はユシロがなんと言おうと、俺は俺で勝手にやらせてもらうからな? あと、せめて今までのことくらいは説明してくれ、じゃないと頭がおかしくなりそうだ」
その言葉に、ユシロは目を見開く。
ずっと無表情のユシロにしては、あまりにもわかりやすい表情の変化。それほどまでに白神の言葉が驚きだったのだろう。
信じられない、そう言わんばかりにこちらを見つめてくるユシロ。それでも白神には、これが正しい選択だという確信があった。
もしかしたら今、とても危険なことに足を突っ込んでしまっているのかもしれない。もしかしたら今、自分の未来に関わるかもしれない重大な選択をしているのかもしれない。
それでも。
それでも、この不器用な少女を見捨てるような真似をするくらいなら、強引にでも踏み込んでしまったほうが良いに決まっているのだから。
白神は固まったままのユシロを抱え、立ち上がる。
「もうあいつらもいないし、たぶん動いても大丈夫だろ。とりあえずここから出るか」
外を窺い、生徒たちが歩き去るのを待つ白神。
さすがに部外者であるユシロを抱えているのが見つかったら、怪しまれてしまうのは間違いない。それでも幸運なことに、外にはラグビー部の集団以外に人通りはほとんどなかった。
ラグビー部の集団がいなくなるタイミングを見計らう白神。その腕の中で、ユシロは戸惑ったような瞳でこちらを見上げたまま、
「・・・ありがとう」
それでも、そう小さく呟いた。