3 職員室へのお呼び出し
「きり~つ、きをつけ~、れい」
聞き慣れたチャイムが鳴り、ほとんど時間を持て余していただけのロングホームルームがようやく終わる。高校生活も三年目になると大体のことは分かっているため、教師が説明することはほとんどないのだ。
そのまま机に突っ伏す白神。
思わずため息が出る。睡魔との長く辛い戦いは、チャイムという名のゴングによってようやく終了したのだ。
特に話すことがないなら早く帰らせてくれてもいいんじゃないかと思うのだが、それはできない決まりらしい。なんとも型にはまったというか、融通のきかないというか、まるで日本社会の縮図だよな、と真剣に思う。・・・白神は日本社会の現状なんてかじったくらいにしか知らないのだが。
「腕が痛い・・・」
学生カバンに顔を埋めながら呟く。
あの後、顔が隠れそうなほど山盛りの教科書を抱え、四階まで上がった白神は疲れ果てていた。少しだけ引っ越し屋さんの人たちの辛さがわかった気がする。
はあ、ともう一度ため息をつく白神。
絶対にパンと飲み物以上の労働をさせられたよな、なんて今さらながらに思う。そんな白神のため息を聞き取ったのか、1つ前の席にいる笹川がこちらへと振り返る。
「お疲れみたいだな。とりあえず早く帰ろうぜ、残る用事もないだろ?」
「そうだな、帰るか」
笹川の言葉に白神は顔を上げる。教科書運びの報酬であるパンを持ってはいるが、わざわざ教室に残って食べる必要性もないのだ。学生鞄にパンと飲みかけの炭酸ジュースを突っ込む。親がおらず、祖父母とも離れて一人暮らしている白神には、家で昼御飯を作ってくれるような人はいないのだ。なのでパンはそこそこ便利な昼御飯だったりする。
机の中から、名前を書いたばかりの新しい教科書の山を引っ張り出す白神。
カバンを机に置き、単語帳や薄っぺらい参考書だけを選んで入れていく。白神はこれだけの教科書全てを持って帰るほど意識高い系の人間ではないのだ。というより、馬鹿みたいな量の教科書を毎日持って帰る奴らはいつも徹夜で勉強してるのかよ、と真剣にツッコみたくなる。
そんな白神を尻目に、荷物をまとめた部活生たちがさっさと教室を出ていく。その背中には3年になって引退が近いためか、少しピリピリとした空気が漂っていた。
大変そうだな、と現在は帰宅部の白神はその姿を眺めながらぼんやりと思う。部活のメンバー争いは今が一番白熱する時期なのだろう。
それに対して、クラスに残っている帰宅部の面々は和やかそのものだった。クラス替えもなく、入試もまだまだ遠いものとしか思えていない今の状況では、緊張感を持てというほうが難しいのだ。
当然、笹川もその例に漏れず、中身のほとんど入ってなさそうな薄っぺらいカバンを抱え、帰る準備万端といった姿でこちらを向く。
「帰りにコンビニ行こうぜ、ついでに本屋にも寄りたい」
「いいよ、そこで参考書でも買うんだろ?」
試しに冗談めかして言ってみる白神。もちろん本気で言ったわけではないのだが、笹川はよくぞ聞いてくれた、みたいな顔をして大きく頷く。
「もちろん、俺が買うのは人生の参考書だからな! やっぱりNTRこそが愛と人間関係の参考書でーーー」
「お前に振った俺が間違いだった、それ以上は喋るな、周りの視線が痛い」
テンション高く語ろうとする笹川を慌てて制する白神。
このままだと白神のクラスにおける評価がさらに下がりかねない。ブレることのない、まさに鋼のメンタルを持つ笹川とは違って、白神の和紙のように薄いメンタルではクラスから冷たい目で見られるのには耐えられないのだ。
ある意味、周りのことを気にせず生きていけるっていうのは才能だよな、と密かにため息をつく白神。
これ以上、笹川が馬鹿なことを言い出す前に帰るべきだ、そう判断した白神は手早く荷物をまとめる。とりあえず笹川に付き合ってコンビニと本屋にでも行った後、さっさと帰って寝るのが一番だろう。
よっこらせ、とカバンを担いで立ち上がる。
そこで、ふとあの白い少女のことを思い出す。放ってきたこともあり、今どうしてるのかな、と少し気になったのだ。
僅かに悩む白神。
今から見に行ってもいいのだが、笹川を連れていくのは少女にとっては色々と危険だろう。なにしろ、『俺のストライクゾーンは揺りかごから墓場までです!!』なんてことを授業中に堂々と宣言するような奴なのだ。けっこう気になっていたりするのだが、少女の身の安全のためにもここは帰るべきだな、と白神は一人結論を出す。
まだ寝てたりするのかなぁ、もしかしたら職員室で怒られてたりして、なんてことをぼんやり考えながら、笹川に続いて教室を出ようとすると、
「おい、白神。お前に話がある。この後、職員室まで来い」
担任、尾鷲に突然声をかけられる。
その言葉にざわめく教室。何やらかしたんだよ、という視線がクラス中から集中する。凍りつく白神。思い当たることなど1つしかない。
・・・どうやら、怒られるのは少女ではなく白神のようだった。
食堂に寄ったことがばれたのなら仕方がなかった。このくらいのことで本気で怒られることはないと信じたいが、尾鷲の機嫌次第ではそうなるリスクもあるかもしれない。
矢田の野郎、と恨んだところで時はすでに遅かった。こうなったら言い訳をせず素直に謝るしかない、と覚悟を決める白神。対して、尾鷲は言葉を続ける。
「別に身構えなくていい、お前の進路調査についてだ。家庭の事情もあるからな、一度詳しく話しておきたい。この後は会議があるから・・・そうだな、1時半くらいに職員室まで来てくれ」
その言葉に周囲のクラスメイトの視線がなんだ、という残念そうなものに変わる。お前らなに期待してるんだよ、と全員にツッコミを入れたくなる白神。他人の不幸は蜜の味、というやつなのだろう。
それは置いておくとして、白神が一人暮らしをしていることはなぜかクラスに知られている。とくに話した訳でもないのだが、いつの間にか広まっていたのだ。まあ、隠していたわけでもなく、知られてなにか変わる訳でもないので一切気にしていないのだが。
白神としてもこの面談は予想外だったので、とりあえず返事を返す。
「あ、はい、わかりました。1時半くらいに行きます」
「ああ、遅れるなよ」
そう言って、のっしのっしと教室を出ていく尾鷲。どうやら、食堂に寄ったことがばれた訳ではないらしい。とりあえずは命がつながったようで、ひと安心だった。
「というわけで、用事ができたから先に帰ってくれ」
白神は大きく息を吐き出してから振り返り、笹川に言う。
1時半からということは、ほぼ間違いなく長くなるのだろう。短くてすむのなら会議とやらの前にさっさと終わらせるはずなのだ。正直言って面倒くさいのだが、特に用事もない以上断るわけにもいかない。そんな白神に対し、笹川が可哀想なものでも見るような目を向けてくる。
「面談なんてお前、今日は厄日なんじゃないのか? 可哀想に。まあ頑張れよ、気が向いたらちょっとだけ思い出してやるから」
「そんな何の役にも立たない憐れみはいらねーよ。まあ、お説教じゃなかっただけマシだけどな。とりあえず、またな」
「おう、またな」
手を振る笹川と別れ、また自分の席へと戻る白神。
帰る準備を済ませていたカバンをもう一度開け、矢田に貰ったパンを取り出す。部活前で混んでいるであろう食堂まで、わざわざ食料を買いにいかなくても良いのはラッキーだった。まさか、このパンがこんなところで役に立つとは思わなかったのだ。
(まあ、これで少しは教科書を運んだ意味があったってことになるかな)
教科書を運ぶ時に無理やりポケットに入れていたので、少し形が変わってしまっているクロワッサンを口に運ぶ。育ち盛りの男子学生にとっては少し物足りない量。それでも、何も無いよりはマシだろう。
一人パンをかじりながら、することもない白神は窓から空を眺める。灰色の雲に覆われた空。雨が降りそうで降っていないような、そんな中途半端で微妙な色。
(あいつ、ちゃんと誰かに保護されたのかな?)
そんな空を見ながら、白神はまたあの白い少女のことを思い出す。
今日、初めて会ったばかりの少女。どことなく天然なあの少女は、ちゃんと家に帰ったのだろうか。降っていたかもしれない雨に当たってたりしないだろうな、なんてことを今さらながらに心配する白神。
まあ大丈夫だとは思うけど、時間があれば帰りにでも一応見るだけ見とくか、と白神はクロワッサンをかじりながら、一人そんなことを思っていた。