2,5,5 出会った少女は天然で
白神は真っ白な少女を見つめたまま、一人呆然としていた。
少女の白くて長い、とても綺麗な髪が風にそよそよと揺れる。思わず見入ってしまいそうなほどに隙がなく、整った顔立ち。まるでこの世のモノではないのではないか、そう思ってしまうほどにその少女は綺麗だった。
(寝てる、のか?)
白神は距離を保ったまま、目をつむっているその少女を遠目に観察してみる。小学生くらいだろうか、なんだか陰陽師が着ていそうな、日本史の教科書にでも出てきそうな服装をした少女。
狩衣って言うんだっけ、と白神は日本史の授業で詰めこんだ知識を引っ張り出してみる。ただ、少女が着ているのは上下共に真っ白なものなので、本当に狩衣なる物なのかはわからなかった。というより、専門家でもマニアでもない白神がそんな古めかしい服のちゃんとした見分け方なんて知ってるはずがないのだ。
とりあえずは現代人が普段着として着るような代物ではないので、コスプレか何かなのだろう。
黒ずくめならぬ白ずくめだ、と一人心の中で呟く白神。
真っ白な服装に白く流れるように綺麗な髪、そして透き通るような白い肌と、本当にその少女は白一色なのだ。
そんな白ずくめの少女は猫のように丸くなったまま、動くことなくずっと瞳を閉じている。その容姿からして、まるで色を塗り忘れた一枚の絵でも見せられているかのようだった。
恐る恐る、一歩だけ近づいてみる白神。
まさか死んでいる、なんてことはありえないだろうが、さすがにこんな時間にこんな所で寝ているのは見過ごせないだろう。風邪をひくかもしれないし、そもそも勝手に入ってきたのなら色々と問題がある。どこか近くに保護者とかがいるんじゃないか、と辺りを見回してみるが、辺りに人影はなかった。
迷子っぽい謎のコスプレ少女に遭遇するなんて、どんな笹川好みのシュチエーションだよ、と心の中で一人ツッコむ白神。
とりあえず放っておく訳にもいかないので、まだ幼いであろうその少女にゆっくりと近づいていく。すると、微かに聞こえてくるのは穏やかな寝息。どうやら本当に寝ているらしい。
髪や肌の色などからすると、外国人なのかもしれなかった。それで迷い込んだのかな、なんてことを一人考えながら、膝を曲げて少女のすぐ前で屈む白神。寝ているところを悪いとは思うのだが、とりあえず声をかけてみた。
「おーい、こんな所でどうしたんだ?」
その声に反応して少女の体がぴくり、と動く。そして、少女は丸まった体勢からむくりと体を起こす。その小さな顔がこちらを向き、そしてゆっくりと両の瞳が開く。
(うっ!)
分かってはいたのだが、その少女の顔立ちは整っていた。幼さを残した、それでいて全く隙のないその容姿はなんというのだろうか、近寄りがたい雰囲気を纏っている。可愛い、ではなく綺麗、そう言われる人たち独特の、あの話しかけにくい雰囲気を強化したような感じ。
氷のような雰囲気、というのが一番近いかもしれない。
対して、お世辞にも女の子と話した経験が多いとは言えない白神は、自分から話しかけておきながら動揺してしまう。というより、そんな経験が多くあったならもっと楽しい青春を送れていただろう。自分よりも年下であろう少女の前で、一人たじたじとしてしまう白神。
対して、少女は無表情のままじっとこちらを見つめてくる。交差する視線。意外なことに、こちらを見つめてくるその瞳の色は綺麗な黒だった。
無言のまま見つめあう少女と白神。
どう話しかければいいのか、そもそも日本語が通じるのか、などといったことが頭の中でぐるぐると回る。はっきり言って、今の白神はテンパっていた。何も言えないままにおろおろとする白神。
流れる沈黙。
話しかけたのが白神である以上、このまま無言で見つめ合っているのは非常に気まずい。というより、目の前の少女との距離は50センチも離れていないのだ。まさに額を付き合わせて、みたいな状況だったりする。
(とりあえず何か会話を! というか、この状況だと寝込みを襲う変質者に間違われかねないし!)
一人でおろおろとする白神をじっと見つめてくる少女。その綺麗な瞳はどこまでも真っ直ぐで、思わず視線を逸らしそうになってしまう。
そう、白神は初対面の少女に自然に話しかけ、フレンドリーな空気を醸し出しつつ、そのまま会話を弾ませるーーーなんていう高度なコミュニケーション能力は保有していない。というか、平均レベルに達しているかも怪しいのだ。
さらに流れる無言の時間。
もはや、白神の焦りは頂点に達し始めていた。
くそっ、こうなったらいつも笹川と話すような感じでいってやる、と自棄になった白神が口を開こうとした、まさにその時。
「あなたは・・・」
それは小さな、注意しないと聞き取れないほどに小さな声。白神はそれが少女の口から漏れた呟きだと気づくのに数秒かかる。唐突すぎて反応できないままの白神に構うことなく、少女は真っ直ぐこちらを見つめたまま、さらにぽつりと呟く。
「・・・敵じゃ、ない」
「?」
ぼそっ、となにやら呟いた少女はすぐに視線を落としてしまう。それはまるで、こちらに対して興味を失ってしまったかのような姿。
それによって、ようやく少女の視線という呪縛から解放される白神。その様子から察するに、とりあえず変質者扱いはされていないらしい。
とりあえずは胸を撫で下ろす。
そして声が小さすぎていまいち内容が分からなかったが、おそらく話した言葉は日本語で間違いないはずだった。とにかく覚悟を決めて、会話を試みてみる。
「ええっと、お前は誰なんだ?」
「・・・私?」
「いや、そりゃそうだろ」
キョトン、とした様子で辺りを見回す少女に対し、思わずツッコミを入れる白神。
どうやら、目の前の少女は天然な子らしい。そもそも白神としても、近くに保護者らしき人がいればわざわざ話しかけたりはしないのだ。
出そうになるため息をなんとか圧し殺す。
なんだかもう、今まで緊張していた自分が馬鹿馬鹿しくなってきていた。心の中でがっくりと肩を落とす白神。対して、白い少女は白神をぼんやりと見つめたまま、
「私は、守り手。白の守り手」
「マモリテって・・・それ、本当に名前なのか?」
「名前?」
首を傾げる少女。白神は思わず頭を抱えていた。
確かに名前を聞いたわけではなかったけれど、普通に考えて『お前は誰だ』と聞かれたら、とりあえずは名前を答えるだろう。というより、名前じゃないなら守り手ってなんだよ、とツッコみたくなるが、今の白神にはそんなに時間があるわけではない。
とにかくそこは無視して話を進める。
「そう、名前。いくらなんでも名前がないわけじゃないだろ?」
「・・・」
その言葉を聞き、少し考え込むような素振りを見せる少女。
まさか、『名前はまだ無い』とか言い出すんじゃないだろうな!? と一人戦慄する白神。確かにどことなく雰囲気が猫に似ている気もするが、そんなところまで合わせられても困るのである。
まず名前を聞かれて速答できない時点で、普通の会話は絶望的なのだろうが。
もう誰か他の人いないのか、とすがるように周囲を見回すが、そんな都合良く誰かいるはずもない。もう気持ち的にも時間的にも限界に近かった。
考え込んだ素振りのまま固まっている少女を見て、もう放っておこうか、と白神が真剣に考え始めた時、ようやく少女が口を開く。
「ーーーユシロ。私はユシロ・・・だった」
「ユシロ、で本当にあってるんだな」
何故に過去形、とツッコみたくなる心を抑え、一応確認をとる。
こくり、と頷く少女。
なんだかもう、会話が成立しているのかわからなくなってきた。外国人ならば少しくらい言葉使いがおかしくても不思議はないのだが、ユシロと名乗った少女の発音は完璧で違和感はない。
そしてユシロ、という名前は日本人にありそうでなさそうな、なんとも判断しにくい微妙なラインだった。顔立ちは日本人ぽいけどなぁ、と一人悩む白神。まあ言語は通じているから問題ないか、と勝手に納得して本題に入ることにする。
「ええっと、ユシロはなんでこんな所にいるんだ? ここは高校だから、勝手に入ったらーーーっておい!」
白神の目の前で、うつらうつらと船をこぐ少女。
その姿は幼い子供そのもので、なんというのだろうか、先ほどまで感じていた冷たい雰囲気が嘘のようだった。
白神の声に一応は起きようとしているのか、少女の目蓋が僅かに開く。だが、それも眠気に負けたのか、またすぐに閉じられてしまう。
よほど眠いのだろうか。つい先ほどまで睡魔と戦っていた白神には、その気持ちがよく分かったりする。なので、無理に起こすのは気が引けた。
(まあ、放っておいても大丈夫か)
もうお手上げだ、と諦めて立ち上がる白神。
ここは教師用の駐車場なので、放っておいてもいつかは教師が見つけてくれるだろう。白神が背負って職員室か保健室にでも連れていってもいいのだが、詳しく発見場所を聞かれでもしたら食堂に寄ったことがばれてしまう。そんなことになれば、事情聴取を兼ねてのお説教は免れないだろう。
はあ、とため息をつく白神。
この天然っぽいコスプレ少女の好感度を上げてフラグを立てよう! みたいなことを考えるほど白神は見境なしではないのだ。それに、もしそんなフラグを立てたならゲームでいうイベントが発生してしまう。それもあの担任、尾鷲の待つ職員室へのお呼びだしという即死級のイベントが。
尾鷲という魔王の待つ魔窟へと突撃できるほど、白神の精神レベルは高くない。白神も命は惜しいのだ。少し罪悪感もあるが、背に腹は代えられなかった。
「それじゃあ俺は用事があるから行くけど、風邪ひかないうちに起きとけよ」
少女が聞いているとは思えないが、一応そう言い訳しておく。春先の風はまだまだ冷たかったりするのだ。少女を気にしながらも、校舎の壁に設置された時計を確認する白神。チャイムが鳴るまで、もうほとんど時間がなかった。
白神はふう、と息を吐き出すと、少し早足で歩き始める。待ち構えている山盛りの教科書を早く運ばなければ、待っているであろうクラスメイトたちに何を言われるかわかったものではないのだ。
歩きながら、それでも一度だけ振り返ってみる。
白い少女は体を起こした体勢のままで眠っている。その光景はとても穏やかで、見ているこちらまで和みそうなほどだった。
しかし、だからこそなのだろうか。その光景はなぜか、とても儚いもののように見えた。