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2,5 ジュースの対価  



 慌てて教室から飛び出す白神。



 しかし、白神が廊下に出た時にはすでに、クラスの生徒たちの姿はなかった。静かで誰もいない廊下。完全に置いていかれたのだ。



(あいつら、図ったな! ということは、俺のノルマは最後まで残るはずの無駄に分厚い現代文の教科書・・・いや、歴史系の資料集か)



 薄情なクラスメイト達を恨んだところですでに手遅れなのだ。がっくりと肩を落とす白神。


 新たに決まった白神のクラスは二号棟の最上階、四階にある。そして教務部の部屋は一号棟の一階、職員室の隣にあるのだ。誰だってわざわざ重たいものを持って階段を上りたいとは思わないため、必然的に薄くて軽い教科書は早い者勝ちとなる。



 つまり、出遅れた白神は残り物の分厚い、要するに重たい教科書の束を運ぶしかないのだ。



 肩を落としたまま、とぼとぼと教務部の部屋へと向かう。長い廊下に他の生徒の姿は全く見えない。もう他のクラスは教科書を運び終えているのだろうか。


 今日は本当にツイてないな、なんてため息をつきながら歩いていると。



「おっ、白神も教科書運びさせられてるのか」



 突然、背後からそんな言葉をかけられる。それは聞き覚えのある声。というより、わざわざ白神に話しかけてくるような人間なんてこの学校では限られているため、間違いようがないのだ。


 今さらだけど俺って友達少ないよな、なんて事実を痛く実感した白神はもう一度ため息をつき、そして声の主へと視線を向ける。



「寝てたら他の奴らに置いていかれたんだよ。お前は急がなくていいのか、矢田?」



 声の主は隣のクラスの生徒、矢田だった。ちなみに矢田は剣道部の主将でもあり、当然その地位に恥じることなくその腕前も相当なものだったりする。


 ・・・結局、俺じゃほとんど勝てなかったしな、と密かに暗い笑みを浮かべる白神。


 そう、白神もかつては同じ部活、剣道部に所属していたのだ。2年で退部してからは花の帰宅部として良く言えば悠々自適、正確に言えば堕落した生活を送っているのだが。



 軽く走ってきて隣に並ぶ矢田。



 矢田とは中学から一緒だったため、そこそこ仲も良いのだ。だが白神が部活を辞め、クラスも別れてしまってからは会うことも少なくなってしまっていた。なんだかえらく久しぶりに会ったような気がするな、なんてことを思いながら、矢田と歩く速度を合わせる白神。



「べつに急いでも仕方ないだろ。それよりさ、せっかくだから食堂行こうぜ」



 ニヤリと笑って矢田は階段を指差す。要するに、こっそり買い食いしようと言っているのだろう。その表情は悪巧みをしている小学生そのものだった。いやいや無理無理、と首を振る白神。



「俺のクラスの担任は尾鷲(おわせ)なんだよ、ばれたらヤバいから遠慮しとく」


「ばれないって。だいたい、俺らはクラスのために無償で働かされてるんだから、このくらいは許されるさ」



 そう言ってさっさと階段を下りていく矢田。さすがにこのまま放っていくわけにもいかないので、白神も慌ててその後ろ姿を追いかける。



「おい待てよ、まったく。これでばれたら責任とってもらうからな」


「ちゃんと骨は拾ってやるよ」


「死後限定かよ! 呼び出し食らったら、絶対お前も道連れにしてやるからな!」



 部活をしていた頃のような感覚で軽口を叩く。こんな馬鹿なことばかりしていたなぁ、と少し懐かしい気持ちになる白神。そんな他愛ない話ばかりをしながら矢田を追いかけて階段を駆け下り、廊下を歩いて食堂へと続くガラス扉にたどり着く。



 中に教師がいないか、少しハラハラしながら白神は中を覗いてみる。



 しかし、まだ二時間目にあたる時間帯のためか、生徒はおろか教師の姿もなかった。授業中には受け持ちの授業がない教師たちが昼食を取っていたりするのだが、さすがにこんな時間から昼食は取らないのだろう。そこまで考えていたのなら見事としか言いようがない。


 昼休みの喧騒が想像できないほどに静かな食堂。もう昼の混雑に備えているのか、奥から聞こえてくるのは食器を並べるような音だけだった。



(せっかくだし、俺も何か買おうかな)



 パン専用の自販機にお金を突っ込み、堂々とパンを買う矢田を見ながらポケットに手を突っ込む白神。だが、どちらのポケットに手を突っ込んでみても、指には何も触れなかった。そこでようやく、白神は財布を教室の鞄に入れてきたことを思い出す。


 思わずがっくりと肩を落とす白神。今日は午前中までなのでパンを買う必要はないのだが、わざわざ食堂まで来たからにはせめて飲み物くらい買いたいというのが本音だった。



(来た意味がねぇ・・・矢田に借りてもいいけど、返しに行くのも面倒くさいしな・・・)



 お金の貸し借りは極力避ける主義の白神は、諦めてウォータークーラーへと向かう。お金のない学生にとって、無料(ただ)で冷たい水が飲めるウォータークーラーはまさに学校のオアシスなのだ。


 白神は飲み物やパンの自販機が並ぶスペースの裏、埃っぽい配線だらけの通路へと足を踏み入れる。



 この食堂の機材配置は少し特殊で、自販機の裏にウォータークーラーが設置されている。自販機の裏側に配線が何本も走った細い通路があり、その奥にウォータークーラーが一台、寂しげに置かれているのだ。


 配線とスペースの関係からそんな訳のわからない場所に設置されたらしいのだが、いくらなんでも自販機の裏にそんなものがあるとは普通思わない。部活をやっている生徒でも、ごく少数しか知らないだろう。


 その挙げ句に、食堂まで来てウォータークーラーを使う生徒はほとんどいないという不遇ぶりだったりする。



 完全に費用の無駄遣いなのだ。



 ボタンを押し、独特な音を立てて跳び出てくる水を口に含む。冷たい水を喉に流し込み、まだ残っている眠気を覚ましていく。教室に戻ってから始まるであろう睡魔との第二ラウンドに備えなければならないのだ。・・・勝てるか否かは五分五分なのだが。


 はあ、とため息をつく白神。


 するとそこに、



「おーい、こんな所にいたのか。ほら、これやるよ」


「っ?」



 突然に矢田の顔がひょこっと出てきたと思うと、いきなり何かを投げつけられる。


 顔面めがけて飛来してくる細長い物体。


 慌てながらもぱしっ、と我ながら見事にキャッチする。おいおい、危ないなと思いながらも見てみると、それは冷たいペットボトルだった。見慣れた赤いラベルの、あの有名な炭酸ジュース。


 もし落としていたら、ちょっとした悲劇が起こっていたところだった。



「おいおい、炭酸は投げるなよ。それよりいいのか? いつ返せるかわからないぞ」


「そんなのいいって。おごりだよ、おごり」


「なんか裏がありそうな気もするけど・・・とりあえず、ありがとな」



 疑り深い白神はそのペットボトルをよく観察してみるが、何か別の飲み物が混ぜられている、なんてことはなさそうだった。



 とりあえず薄暗い自販機裏から出る。



 怪しいのは確かだが、せっかくおごってくれると言っているのに疑っていても仕方がない。吹き出す可能性も考えながら、慎重にキャップを開けてみる。


 プシュ、と軽い音を立てた炭酸ジュースは少し溢れそうになるが、特に問題なく開く。昔コーヒーを混ぜるのが流行ったな、なんてことを思い出し、少し警戒しながら口に含んでみるが、普通に飲み慣れたあの炭酸の味だった。



「・・・普通の炭酸だな」



 警戒していただけに、少し拍子抜けしてしまう。


 その様子を見て、小さくガッツポーズをする矢田。それを見た白神の脳裏に嫌な予感がはしる。そして、こういう時の予感は外れた試しがない。



「えっとな、ここで白神に1つ頼みがあるんだが」



 そうきたか、と思わず硬直する白神。今までの経験上、厄介事なのは間違いない。頼みと言われても先に飲んでしまった以上、断りにくいことは確かだった。白神は少し身構えながらも、一応尋ねてみる。



「・・・なんだよ」


「悪いんだけど、俺の分の教科書も一緒に運んでーーー」


「断る」



 迷うことなく即答する白神。


 炭酸ジュースを飲んでしまった、なんてことはもはや関係なかった。少しくらいのことならば引き受けてやろうとは思っていたが、いくらなんでもジュース一本の恩で山盛りの教科書を抱えて四階まで上るのは、いくらなんでも割りに合わない。


 それを分かっているのか、矢田は拝むように手を合わせてくる。



「そこをなんとか、これもつけるから! 腕がパンパンで重いもの持てないんだよ!」



 パンだけに、と言いながら先ほど買ったものであろうクロワッサンを押し付けてくる矢田。受け取ってしまうと教科書まで引き受けることになりかねないので、とりあえず白神はしっしと手で追い払う。



「教科書つきならいらねぇよ! それにそのギャグ、くっそしょうもないし! というかお前が筋肉痛になるなんて珍しいな、部活でなにかやらかしたのか?」



 矢田は剣道部の主将なのだ。当然、キツい練習にも慣れており、ちょっとやそっとのことでは筋肉痛になったりなどしないだろう。そのため、部活で何かやらかして相当キツい練習をさせられたと考えるのが自然だった。


 案の定、



「そうだよ、一昨日(おととい)に招待試合があってな、色々あって現在進行形で顧問がお怒りなんだよ!」


「招待試合ってことは団体戦か。一回戦負けでもしたのか?」


「いや、一応ブロックは抜けたからな。抜けたまでは良かったけど、勝てるはずの相手に本数負けだ」



 高校剣道の団体戦は五人対五人が基本となっている。一人づつ試合をして、勝者数の多い方が勝ちとなるのだが、引き分けを挟んでどちらも勝った人数が同じ場合などは取った一本の数で勝ち負けを決めるのだ。ちなみに勝者数と取得本数が並んだ場合は代表戦をする場合が多い。


 そのため、団体戦ではチームのことも考えて試合しなければならなかったりする。相手のチームと力が拮抗しているほど、一本の重みというのが後に響いてくるのだ。



「俺は中堅で出たんだけど、なんせその負け方がな。先鋒がいきなり二本負けするわ、引き分け挟んで俺ともう一人で一本づつ返して繋いだのに、最後の最後で大将が取られるわ、とやらかしたおかげで顧問がぶちギレ、昨日は相掛かりを休みなく30分近くもやらされて、もう全身がヤバいんだよ!」


「あー、それは御愁傷様だな」



 要するに大将が引き分け以上で勝ち、というところで負けたのだろう。


 白神も良く知っている剣道部顧問の怒り顔が目に浮かぶ。主将の矢田がこの様子では、後輩部員たちはもっと悲惨なことになっているのだろう。可哀想に、と心の中で手を合わせる白神。試合にも、やってはいけない負け方というものがあるのだ。



「だから、な? 頼むよ、顧問がまだお怒りで今日もなにやらされるか分からないのに、余計な体力を使う訳にはいかないんだよ!」



 矢田の声色から必死さが伝わってくる。クロワッサンを差し出しながら拝むようにして頼んでくる矢田を見て、白神は大きくため息を吐いた。元部員としてはその気持ちがわからないこともないのだ。



「・・・はぁ。わかったよ、運んでやるよ。でも貸し1だからな」


「サンキュー、恩に着るよ!」



 矢田からクロワッサンを受け取る。情に流されてしまったが、今から気合いを入れないと持てないくらいの量の教科書を運ばなければならないのだ。何が悲しくて働きアリの気持ちを疑似体験しなきゃならないんだよ、とため息をつきながらも、とりあえず矢田に連れられるがままに食堂を出る。



 空を覆うのは灰色の曇。



 食堂から出てきたのを誰かに見られてないだろうな、と周囲を見回してみるが、辺りには誰もいなかった。


 吹き抜けていくのは春先の少し肌寒い風。ポケットに忍ばせている携帯で時刻を確認すると、そろそろ帰りが遅いと怪しまれそうな時間になっていた。急がないといけないな、なんて思っていると。



「あっ、部室に置いてた予定表のこと忘れてた! 悪い、先に行っててくれ!」



 矢田はそう言うや否や、いきなりもと来た道を走り出す。



「あっ、おい」



 止める間もなく矢田は通路を走り抜け、その姿はすぐに見えなくなる。


 なんともせわしない奴だな、と白神は呆れ半分諦め半分で見送る。今、矢田を追いかけても意味はないのだ。結局、矢田の分の教科書を運ぶのも白神なのだから。ふう、と大きく息を吐き出し、曇り空の下、アスファルトで舗装された道を一人歩いていく。


 グラウンドと校舎の間にあるこのアスファルトの通路は正門とも繋がっており、すぐそこには教師や来客者用の第二駐車場がある。道路に沿ってつくられたこの第二駐車場は、正門のすぐ近くにあるもう1つの第一駐車場の方が便利なために車の出入りがそこまで多くない。そのため、駐車してある車はほとんどなかった。



(静かだな・・・)

 


 そんな閑散とした駐車場の前を歩いていく白神。


 今日はどの学年も始業式 & ホームルームなので体育の授業もなく、グラウンドにも人気(ひとけ)がなかった。校舎から小さく響いてくる教師の声も相まって、まるで自分一人だけが外に取り残されているような、そんな錯覚に囚われそうになる。



(とりあえず急ぐか)



 少し歩く速度を上げ、曇り空を見上げて雨降ったりしないだろうな、なんてことを考えていると。


 ふと、視界の隅に白い物体が映る。



(ん?)



 見てみると一台だけぽつん、と駐車してある教師のものであろうシルバーの車の隣、そこに白い校舎の壁に溶け込むようにして白い塊があった。長年の雨風によって薄汚れている校舎とは対照的に、その白一色の物体はまさに純白で逆に目立ってしまっている。



 気になったので近づいてみる白神。



 サッカー部とバレーボール部が白いクラブバッグだったはずなので、そういった(たぐ)いの忘れ物なのだろうか。さすがに体育館で練習しているバレーボール部がこんな所に置くとは思えないので、サッカー部かな、と一人推測してみる。


 別にサッカー部に仲の良い奴がいるわけでもないのだが、とりあえず雨でも降りそうな天気なので一応確認だけでもしてやろうかな、なんて思ったのだ。ごく稀に沸き起こる、親切心というやつである。


 そして。



「うわっ!?」



 近づき、その塊が何なのかを理解した白神は思わず後ずさってしまう。そこにあったのはカバンなどではなかったのだ。



 吹き抜けていく風。






 そこにあったのは、真っ白なーーーまさに純白としか言えないような姿をした、小さな少女だった。







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