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鉄甲騎モミジブライ(改)  作者: 二瀬幸三郎
機関士少年と蒸気の巨人
1/30

二人の英雄

 

 小さな街が炎に包まれているその光景を、遠くから目撃したものがいるとしたら、寺院の壁面に掲げられる地獄絵図よりも凄惨なものを目の当たりにしたことだろう。


 大きな砂漠に程近く、街道から程よく離れ、大規模な隊商こそ通らないものの、近隣の街や村との交流でそれなりに賑わい、中央広場へと続く大通りに煉瓦造りの建物が並ぶ綺麗な街が、炎に焼かれ、瓦礫と化し、無残な姿をさらしていた。


 それは悪意を込めた人為的所業であった。


 陽炎のように揺らめく[影]どもが、門を破壊して侵入し、手にした武器を振り回して形振り構わず建物の戸を蹴破ると、商店の品物を蹴散らした挙げ句に、逃げ惑う人々に襲いかかる。

 [影]どもは老いも若きも、男も女も関係なく、生きているもの全てを問答無用に殺していく。


 それは、巷に蔓延る兇賊の類なのだろうか――それならば、ここまで殺すことも無かろう。男も女も、捕らえて売れば、一財産は稼げるはずだ。

 それとも、余所の国による侵略目的だろうか――で、あれば尚更、この破壊活動に合点がいかない。何処かへの見せしめであるならば解るが、それはいったい、誰に対してのものなのかは見当も付かない。

 あるいは、地獄から迷い出た妖魔であろうか――それならば、納得が出来るかも知れない。しかし、解らないからと云って、すべてをそのような迷信じみた者たちのせいにしてしまっても良いものだろうか……


 結局の所、正体も目的も不明のままだ。

 奴らが叫ぶのは、崇める神の名か、それとも、奴らの長の名か、はたまた、長を背に乗せた巨大な[龍]の名か……

 確かなことは、その目を不気味に輝かせ、凶刃を振るう[影]が実在すると云う現実と、大勢の人々が逃げ惑い、殺されていくと云う事実だけだ。


 住人も、ただ黙って殺されるわけにはいかない。

 迫り来る驚異に対し、自警団をはじめとする街の男達も立ち上がる。

 剣を手に、銃を構え、棒を振り回し、石を投げる。見栄も格好もない。綺麗事ではなく、形振り構わず、街を守れと叫ぶことで自らを鼓舞し、ただひたすら、がむしゃらに反撃する。

 だが、人々が懸命に戦っても、脅威は去らなかった。抵抗はむしろ[影]どもの怒りを買い、反抗するものは尽く命を散らす。


 そして奴らの連れていた巨大な[龍]が、街の守護神とも云うべき[ブリキの巨人]を言葉通りスクラップに変え、勝利の咆吼を上げる光景を目の当たりにした時、人々は完全に戦意を失った。

 もはや、彼等には逃げ惑う以外に選択の余地はなかった。


 そんな人々の中に、少年はいた。


 歳はまだ十を過ぎた頃だろうか。先ほどまで無邪気に笑い、友と遊んでいたであろう少年は、いまは為す術もなく、群衆の中を翻弄されるままに走り続けるしかなかった……


 ――はぐれた友達は無事だろうか……

 辺りを見渡しても、その姿はない。

 ――近所のおじさんやおばさんは逃げられたのだろうか……

 知るものも知らぬものも、等しく死んでいく。

 ――早く父さんのところに戻らなきゃ!

 少年は無残に破壊された街の中を帰途に着く

 ――そうだ、父さんだ!……父さんは……父さんは……父さんは!?

 瓦礫と化した家に、父の姿はなかった。


 その時だった――

 巨大な存在が、少年の頭上を覆ったのは……

 とてつもなく巨大な……皮の翼を広げて長い首を擡げ、自ら吐く光球により引き起こした炎で炙られた、紅い鱗をてらてらと光らせる怪物……

 この世の災厄そのものが形を成したとしか思えない存在……大木のような尾を振り回し建物を薙ぎ払い、両手両足の鋭い爪で人々を引き裂いた[龍]が、他の犠牲者同様小さな少年をひと飲みにしてくれようと、巨大な角を持つ顔を近づけ、何人をかみ砕いたであろう顎門を大きく開き、迫る。


 ――ダメだ 死ぬ!!


 少年はそう思った。

 誰もがそう思うことだろう。

 だが、[龍]は少年の悲鳴に今更思惑うのか、それともより恐怖を与えるためか、はたまた人を食い飽きただけなのか、その動きを止めた。


 暫くの間、少年と[龍]は互いを正面から見ていた。

 おそらくはわずかな間だったのだろうが、少年にとっては[長い一瞬]となった。


 再び時が――そして龍が動いた。背中の[影]が急かすような言葉を投げたのだ。

 瞬間――それこそ少年が死を覚悟する暇もなく不意に体が浮かび上がった。誰かが持ち上げ、年のわりには小さな体躯を、路地裏に向けて思い切り投げ飛ばしたのだ。

 ――父さん!?

 地面に倒れ転がる直前、少年は見た。

 少年に向け、必死に何かを叫ぶ父を……

 そして少年は認識した。父が自分を庇ったことを……

 後に少年は知った。父は[龍]に喰われたことを……

 更に少年は感じた。自分の危機は、去っていないことを……

 怪物の、狂気に支配された眼は再び、そして確実に少年を捕らえていた。[龍]の背に乗る[影]も、少年を喰らってしまえと煽り立てる。

 ――今度こそ、もうだめだ!!

 少年は今度こそ訪れる死に恐怖した。


 そう思った刹那、少年の頭上を、再び巨大な何かが覆う。

 それは、人の形をしていた。

 だが、人ではない。

 人であれば、[龍]と同じ大きさの筈がない。また、全身から蒸気を漏らし、喧しい絡繰りの音を立てるはずはない。

 その人の形を模した[機械巨人]はその右手に、身体に比例する巨大な剣を構え、少年を、そして街を守るように、敢然と[龍]に挑み掛かる。


 少年は、それが何であるかを知っていた。


 その名は〈鉄甲騎〉

 炎の石にて生み出された蒸気で動く、鋼鉄で造られた機械仕掛けの巨人。

 それは、破壊された[ブリキの巨人]とは比べものにならない逸品。

 そして、この世界で最も強く、高価な武具をその身に[纏う]のは、数多の戦を勝ち抜いた戦士。

 [龍]の吐き出す光球にも怯まぬ、重厚堅固な鎧を纏う人造の巨人は、けたたましい駆動音と勇ましい雄叫びを上げ、何者をも砕く剣を振るい[龍]と戦う。

 人々は、その姿に希望を持った。

 歴戦の戦士が操る巨人は、名工と謳われた、少年の父が修理したものだ。決して負けるわけがない。事実、振るわれる剛の剣は[龍]の鱗を傷つけ、重厚な鎧による体当たりは[龍]の巨体を吹き飛ばし、その戦意を挫く。

 [龍]を執拗に攻め、追い詰める巨人の猛攻に、[影]どもは恐れおののき、人々は戦意を取り戻す。

 

 だが、少年は気付いていた。その巨人には、ある大事なものが欠けていたことを。


 背中を預かる〈機関士〉がいない――


 戦士が父に漏らしていた言葉を少年が思い出したとき、巨人は地に膝を付く。[龍]の尾による一撃を受けた瞬間、優勢だったはずのそれが、バランスを崩し、左腕をもがれ、蒸気を噴き出し、まるで血のごとく油を流し続けたのだ。

 [龍]が、そして[影]どもが勢いを取り戻し、殺戮の続きが始まった。

 それでも巨人は諦めなかった。

 再び立ち上がり、果敢に戦った。

 鎧が砕けても、首が落ちても……それでも巨人は戦ったのだ。

 自らの後ろに、守るべき者がいる限り……


 戦士の執念か、巨人の剣が[龍]の左目を突いたのを、少年は見た。


 不意に終わりは訪れた。。

 巨人の猛攻に目を潰され[龍]が音を上げたのか、それとも影達が殺戮に飽きたのか、気が付くと、すべての驚異は街から去っていた。

 少年の視界に街はなかった。

 目の前にあるものは、[影]と[龍]によって焼かれ、破壊され尽くした瓦礫の山と、殺され尽くした死体の山……

 そして、乗り手の戦士を失って尚、ボロボロの剣を突き出し、戦う意志を最後まで示し続け、少年を守りぬいた鋼鉄の巨人……

 何のことはない。奴らは獲物がいなくなったから、立ち去っただけだ。

 あの[影]は何者なのか……

 この街の人々が、知人が、友人が、そして、父がどうして殺されなければならないのか……


 あまりにも無慈悲……

 あまりにも理不尽……


 救いを求める人々の祈りは信じたはずの神に届くことはなく、運命は人々に甘んじて死を受け入れ、犠牲になるよう命じるだけ……


 ――こんな事は間違っている!

 だが、起きた出来事は覆らない。

 ――全て嘘に決まっている!

 そうであれば、街は滅んでいない。

 ――こんなの、悪夢じゃなきゃ何だって云うんだ!

 少年はその場から逃げるように走り出す。

 ――そうだ、これは夢だ。夢に違いない!

 少年が躓いたものは、瓦礫か、死体か……

 ――夢なら、醒めてくれ!!



 少年が目を覚ますと、そこは暗い部屋だった。

 体を起こし、閉ざされた鎧戸に目を向ける。隙間から光が差し込まない。まだ日が昇ってはいないのだ。

「夢?……」

 だが、少年の顔に安堵の表情は見られない。

「また、あのときの夢だ……」

 寧ろ、苦々しく思う。

 少年は、その首に提げ、片時も離さない護符を手に乗せ、静かに見つめる。

「(父さん……)」

 今年、十三なった少年にとって、先刻の夢は全て、二年前に体験した[現実]であった。ジマリの街で起きた惨劇の生存者は、少年だけだった。気を失った少年を誰かが地下室に隠したのだ。

 少年が今いる場所は、宿屋でもなければ商家でもない。紛れもなく、軍隊の施設である。

 通りがかりの隊商に保護され、一年ほど放浪した後、少年はこの地に留まった。父をはじめとする、[龍]に殺された者たちの仇を取るため……

 そのための[力]を得るために……


 本来、軍隊に見ず知らずの――市民権を持たない上に成人を迎えていない少年を入隊させるなどあり得ない。門前払いならまだ良い方、場合によっては間者と疑われて投獄される危険性もある。

 ここで、父の名声が役に立った。

 父バドがかつて鉄甲騎技師として広く知られた一廉の人物であったことが幸いし、守備隊大隊長の判断で、見習いとして特別に雇用されることになったのだ。実際にはそんな簡単に決まったわけではないが、ともかく入隊を許されたのだ。

 少年の父は、死して尚、息子を助けたことになるのだろうか。


 この〈ウーゴ砦〉に雇われ、機関士見習いとして訓練に励んでから一年ほどが過ぎた今でも、時々、あの日の夢を見る。

 殺戮の光景が今尚、鮮明に蘇るのだ。

 だが、襲ってきた者たちの姿は、何故か、全てが黒く染まっている。

 [影]と形容したのも、このためである。

 街を滅ぼした[影]が、本当はどんな姿をしているのか、あるいは襲ってきた脅威が本当に[龍]だったのか、少年の記憶が思い出すことを拒んでいるためか、鮮明に思い出すことは出来ない。いや、思い出せないのは、今のところ幸いと呼べるかも知れない。少なくとも、それによって恐怖を軽減させていられるのだから。


 少年は壁に埋め込まれた小部屋、と云うより寧ろ戸棚のそれに近い寝台からゆっくりと体を起こし、這い出る。そこは中部屋で、西方式の二段寝具が二つ並び、それぞれに人――先輩達が眠っている。

 ――もうすぐ日の出だ。日が昇れば、すぐに動かなければならない。

 そう思った途端、起床ラッパが鳴り響いた。

 直後、寝台の男達が一斉に飛び起き、衣類掛けに掛けてある作業衣のような前袷の装束と、革で出来た防具を手慣れた感じで着込んでいく。彼等よりも早く起きたはずの少年は、その一連の動きに圧倒されつつも、自分も、先輩とは異なる前袷の作務衣と、包袋がぶら下がる腰帯を締める。

 腰帯の尾錠飾りが、少年にとって唯一の、軍属としての証であった。

 少年は夢のことを一時忘れ、先輩達の後を必死に追いかける。それは、集合に向かう背中を指すと同時に、技術、姿勢、心構えなど全ての面に於いてでもある。

 少年は、彼等の後ろ姿から、全てを学ばねばならないのだ。

 それは、いつか[力]を得て、父の敵を討つためでもあり、あの夢で起きた出来事を繰り返さないためでもある。


 兵舎の廊下を走り、蛇口から流れ出す冷たい水道水でさっと顔を洗い、短く切りそろえた、茶色がかった黒髪を軽く整える。

 そのとき、少年は板鏡に写る自分の顔を見た。

 ――僕は、自分の目的を見失っていないだろうか……

 砦に来たばかりの頃、その顔はあどけなさを失っていた。眦は鋭くつり上がり、口元は常に緊張のためか、きつく閉じられたものだ。だが今は、少しではあるが少年らしさを取り戻し、砦の人たち、新たな友人達と談笑することさえある

 ここのところ激務が続き、疲れが顔に表われているものの、以前の緊張感を失いつつある自分の顔……

「ダメだ……目的を見失っちゃ、いけない!」

 声を出して自らの目的を再確認した少年は、もう一度冷水で顔を洗い直す。

 我に返り、状況を思い出して、先輩達の後を追って駆け出す少年を、鎧下を着用した、騎士風の男が見送る。歳は二十代中頃から後半くらいだろうか。

「イバン大隊長、おはようございます」

「おう、遅れているぞ、急げ、ナラン」

「すいません!」

 そう言って少年は、大急ぎで先輩達の後を追った。


 少年の名はナラン。

 この日、運命的な出会いを歴て、遠い将来、歴史にその名を残すことになる人物の、少年時代の姿である。



 人々の間で〈ゴンドア〉と呼ばれている大陸がある。


 西方暦八〇八年当時――。

 大陸の中央を占める中原――通称〈中原国家群〉と呼ばれる地。

 ここは樹海や山々、大河や砂漠など自然の難所に囲まれる中、大小様々な独立国家が連立し、時に交易、時に戦を繰り返す、絶えず混沌とした場所であった。

 ナランの在籍していたウーゴ砦のある〈ウライバ藩王国〉も、その中にある小国の一つである。

 中原国家群を取り巻く周辺は、決して穏やかではなく、〈クメーラ王国〉をはじめとする西方列強諸国、特殊な宗教勢力の威光が広がる東方の〈ラ諸国連合〉、そして北の軍事大帝国〈グランバキナ〉が三方を取り囲み、勢力拡大のため、この地を伺っていると云われていた。

 この時代は、各国とも互いの動向を探り合っている状態であり、また、中原国家群の北方に位置する〈ウル山脈〉や、東に広がる〈ボナ砂漠〉などの難所もあるため、うかつな侵攻を控えてはいるものの、これらの大国が牙をむいたら、小国の集まりでしかないこの地は、ひとたまりもなく蹂躙されることは間違いなく、国王や太守、族長などの支配者達はそんな状況に怯えながら統治していたと思われる。

 列強の驚異に対しては、国家群の各々が、東西北の大国や、それぞれの小国家同士との同盟関係、あるいは緩やかな支配下に入りながらも、自らの独立と尊厳を守り続けているのが現状であった。


 そして中原国家群、いや、ゴンドアに住まう人々全てに襲い来る驚異は、人的なものばかりではない。


 この大陸は、太古の時代に存在した科学文明が滅びて以来、様々な異常気象、様々な怪異、巨獣などが発生、出現するようになり、更に、人々から〈前文明〉と呼ばれる時代には存在しなかった亜人勢力の拡大、台頭もあり、加えて、戦で破れた敗残兵などが徒党を組み、兇賊となって絶えず人々の生活圏を脅かしている。


 何時の世も、命は、黄金よりも重く、貴重なものであり、それでいて、羽根のごとき軽さと、脆さを持つものでもある。


 そんな中でも、人は生きることを放棄することはない。

 そんな中だからこそ、人々は自分たちの尊厳を守ろうとする。


 人々は生き残るための手段を、〈前文明〉の英知に求めた。

 〈前文明〉――それは、西方の大国により西方暦が制定される遙か以前に存在した、正式名称不明の科学文明時代に付けられた俗称である。

 かつてそれが如何なる国であったか、前文明と西方暦の間がどれほど離れているのか、殆どの者が興味を示さない。今を生き抜く人々にとって重要なのは、その遺産を如何に有効活用するかと云う部分だけである。

 人々は迫り来る脅威に対抗するべく、前文明の遺跡を掘り起こし、残されていた科学力を手本に様々な機械を作り出し、それでも作り出せぬ、足りぬものは、[魔術][火薬]といった、代用のもの、新たなるものを生みだし、補った。

 それらのものを蘇らせ、研究し、普及させた研究機関はやがて〈独立工房都市〉と呼ばれるようになり、中原国家群の中で最も栄え、最も力を持ち、そして、最も中立な存在として知られるようになる。

 だが、それらの工房都市を以てしても、古き技術を完全再現することは叶わない。彼等が作る自慢の[機械巨人]も、前文明のそれとは比べものにならず、かつては星々まで手の届く高さを飛んだ[空飛ぶ船]も、今では大地に聳え横たわる山々さえ越えることが困難な代物でしかない。

 例え[魔術]を以てしても、失われた科学技術にはとうてい及ばないのだ。


 ウーゴ砦の周囲に聳え取り巻く、ウル山脈に連なる峰の一つに、その優れた古代の英知のひとつが人知れず存在していた。

 それは、過ぎ行く時の中に忘れられ、置き去りにされた遺産であり、誰に知られることなくひっそりと隠れていた。


 いや、それは本当に前文明の遺産なのだろうか……

 そう思いたくなるほど、その存在は異質なのだ。


 この地には、一人の少女が暮らしていた。

 そして、彼女もまた、後の歴史に名を残すことになる。


 少女は、樹林の間に突き出た、決して高いとは云えない標高の、岩肌が露出した山頂にある遺跡を住処としていた。正確には、山頂に突き刺さる、とてつもなく巨大な[方舟]に似た建物の傍らに建てられた、石造りの山小屋に住んでいるのだが。


 連なる山々に朝の光が照らすころ、白い布に包まれた少女は簡素な寝台から這い出るように起き上がる。山小屋の中にも朝日が差し込み、小さな木箱がいくつか置かれた机と、その傍らにある水平織機が照らし出される。

「ふぁ……ん~~!」

 欠伸をし、両腕を上げて背伸びしつつ、下半身をずらし、寝台から両足を降ろして腰掛ける姿勢となる少女は、壁掛けの暦らしき液晶表示に目を向け、

「そうだ、今日は[市の日]だったっけ……」

 と、呟きながら寝台から立ち上がり、人目もはばからず、(そも、誰もいないのだが)薄褐色の裸身を初夏の陽光に晒す。

 紅色に染まる長い髪が、さらさらと揺れた。

 年の頃十七……と云う割には十分成熟したとも云える高い頭身と、それに比例してすらりと伸びた背、まあまあ発育した胸に程よく引き締まった腰つき、全体的に良くまとめられた、例えて云えばモデル体型といった姿。それでいて、丸みを帯びた顔立ちに、これまた、赤く丸い瞳が、彼女を幼く見せている。

 違和感があるとすれば、額に生えている、小さな半透明の[ツノ]くらいであろうか。

「久しぶりの人里だから、身支度はきちんとしないと……」

 そう言いながら少女は外に出て、小屋の片隅にある水瓶から手桶一杯の水を汲み出し、それを少しずつ体に掛け、髪も身も清める。

 ざばあ……

 彼女が掬い上げ、体に掛けた水は、まるで大きな風呂桶でもひっくり返したような音を立てて地面に落ちる。

 大きめの布でしっかりと全身を拭った後、水瓶の隣に置かれていた、掌大の樽から香油をほんのわずか手に垂らし、それを髪や肌へと丁寧に擦り込んでいく。

 ――付けすぎると、匂いが強すぎてヒト里で嫌われてしまいますよ……

 母が生前に残した言葉を思い出す。

「(かあさま……)」

 不意に悲しくなる。

 そんな思いを振り切るように、膝立ちのまま、櫛で髪を梳く。

 朝日に照らされ、水滴と香油で濡れた赤い髪と裸体が反射して輝く美しい女性の姿は、見るものが見れば、女神のように見えるかも知れないが、彼女のそれは、どちらかと言えば、[可愛い]という方が正しいような気がする。

 その上、少女は自分の[美]を意識どころか自覚さえしていない節がある。

 体の手入れを欠かさないのは、自分がいろいろな意味で[目立つ]存在であることを意識し、悪印象を与えないためであろう。

 ふと、少女の瞳に、朝日に包まれたウルの峰が飛び込んできた。

「……今日も、お山が綺麗」

 少女は、山を見上げるのが好きだった。雄大な自然の姿は、自分の大きさを忘れさせてくれる。

 ――自分は、世界から見たらちっぽけな存在……

 遙か頭上にそびえるウル山脈の山々を見上げながら、少女は自分が決して[大きい存在]ではないことを、こうして確認し、安心することが日常となっている。

 流れゆく雲の多さが、雨期が間もなく訪れることを知らせていた。


 爽やかな朝の風で髪と体を乾かしたモミジは、小屋に戻り、簡素な上下の下着を身につけ、その上から、刺繍で彩られた膝上ほどの長さの貫頭衣を頭からストンと被り、長髪を背中に垂らし、帯を締める。

 普段ならこれで仕舞いなのだが、今日は三ヶ月振りに人里に出掛けるため、袖の短い羽織、腰布を纏い、指が出る長手袋と、膝下を覆う脚絆を着ける。

「さて、準備の前に[熱補給]、と……」

 少女が頑丈そうな鉄箱を棚から下ろし、その蓋を開けると、中には豆粒ほどの赤黒い石が、箱の底を敷き詰める程度に入っている。

「……そろそろ〈焔石〉も少なくなってきちゃったな……」

 残量を気にして溜息をつく少女は、その石を小さな鉄匙で一掬いすると、それを窓際の机に置き、傍に置いてある火打ち石を手に取る。

「……えいっ」

 女の細腕とは思えない力と勢いで叩かれた火打ち石から、豪快に火花が散り、小さな綿花に火を起こす。それを少女が火をものともせずに摘み上げ、匙に乗せられた石の上に被せると、石は火を吸収し、やがて綿花が燃え尽きたころには、石自らが赤い光を伴う高熱を発していた。

 その灼熱の石を乗せた匙が再び持上げられ、少女の口元に近づけられていく。そして……

「いただきます。あーん……」

 少女は、あろう事かその匙を……あまりの熱のために陽炎さえ見える、真っ赤に焼けた石が乗せられた鉄の匙を、なんの躊躇もなく口に含んだのだ。

「ん~~~~~~!!」

 あまりの熱さに悶えたのか……いや、そうではない。

「……あったまる~~~」

 無論、やけど一つ無い。

 灼熱の石を呑み込み、全身に行き渡る十分な熱量に満足した少女は、その後、街に持参するものを準備する。

 まずは、机の上に載せられていた木箱の確認である。中身は、種類別に分けられた植物や種子、茸類、果実が入っている。全て付近で採れたものを天日にて乾燥させたもので、人里に持って行けば、いろいろ必要なものと交換してくれる。

 だが、それにしては小さな種類のものが目立つ。茸にしても、果実にしても、彼女の指先より大きなものは一つもないのだ。

 また、少女は金銭ではなく、物々交換を望んでいるようだ。まぁ、こんな山奥に住んでいるのだから、現金収入など無意味なのだろう。

 続いて少女は、水平織機の傍に重ねてある布地を手に取り、ひとつずつ丁寧に丸めていく。全て少女がこの織機を用いて織り上げたものであり、大きさは、少女にとっては手ぬぐい程度のものから、膝掛けほどのもの、上半身を覆う、外套ほどの大きさを持つものまである。

 そして、そのどれもが美しい文様を織り込んである逸品で、これも人里では人気が高い。

 今回は、そのうち四枚ほどを持参する。

「今日辺りは、チュウガインさんが来るはずだから、うまくすれば焔石と糸に交換してもらえるかも……また値切られるかも知れないけど……」

 それにしても、自分以外に誰もいないというのに、良く喋る。

 ある有名作家の作品からの受け売りで申し訳ないが、[ひとりごと]は、孤独が[おのずから声となって、発せられるもの]らしい。だとしたら、この少女は寂しいのだろう。


 期待と不安をふくらませながら、少女はそれらの荷物に護身用の鉈を加え、背負子にまとめて縛り付ける。

「さて、と」

 荷物の準備を終えた少女は、邪魔にならないよう長い髪を総髪(そうがみ)に纏め、筒型の帽子を頭に被り、背負子を背負うと、「よしっ」と、小さく気合いを入れ、外に出る。

 小屋の扉を閉めた少女は、急に何かを思い出し、[方舟]の傍に向かう。そして扉と思われる場所に立ち、材質不明の壁にそっと手で触れる……

 [方舟]は、少女が生まれた場所であり、その中には、自身を認識したころの記憶が残されていた。

 不意に蘇る記憶に思いを寄せ、少女は目を閉じた……



 少女が目を開くと、そこは暗い部屋……透明な円柱型の容器の中で、自身は温かい液体の中を漂っていた。

 それが、初めて少女が目覚め、そして、初めて見た風景だった。

 その容器は、暗い部屋の中、沢山の機械に囲まれており、周囲には、他にも円柱容器が設置されていた。その中で稼働しているのは、まだ赤子である少女の居るものだけのようではあるが。

 手足を動かそうとしても、まだ成熟していないそれは、液体の中でわずかに藻搔くだけである。その中で少女は、しばし睡眠と覚醒を繰り返す内に、身体はやがて手足がしっかり形作られ、自分を覆う容器に触れることも出来るようになり、覚醒している時間も徐々に長くなっていった。

 そしてその間、常に外から誰かが覗き、話し掛けていた気がするが、それがどのような姿なのかを認識できるようになった頃には、その存在が何者で、何を語りかけているかを理解できるようになっていた。

 少女がいる円柱容器を見つめているのは、後の少女と同じ顔を持つ女性だった。違いがあるとすれば、透き通るような白い肌と、美しい桜色の髪を持つことくらいか。彼女は、容器の中で手を伸ばす少女の手を、硝子越しに触れながら、優しく話しかける。


「決めた。あなたの名前は……モミジ!」

「か・あ・さ・ま?」


 モミジと名付けられた少女が、最初に話した言葉である。

 それからどのくらい経過したのだろうか、モミジは容器から出されたときには五歳程度に成長していた。

 初めて地面に降ろされたとき、力が入らず、思わず転んでしまったことは、今でもはっきりと憶えている。

 機械の中で過ごし、成長していく内、最低限の知識は頭の中に入ってはいた。だが、その殆どは言語や身体的なことばかりで、この世界のことはおろか、生きていくための手段と云ったことは、何一つわからない。生まれたばかりのモミジにとって、あらゆるものが興味の対象となっており、それは、成長した今でも変わらない。

 そんなモミジに、母は一つ一つ、丁寧に教えてくれた。

 今あるモミジの知識――薬草の種類や加工法、水平織機の使い方は全て、母が自分で教えてくれたものである。

 誕生してしばらく経ち、初めて人里に連れて行かれたとき、生まれて初めて出会った母以外の他人――ヒトが自分たちと違う存在であることに、モミジは驚いたものだ。

「違う……私たちがヒトとは違う存在なの」

 母の言葉である。

 それでも、母はヒトが好きだった。

 そんな母を、人々は好いていた。

 そして母もまた、好かれるための努力を惜しまなかった。

 その中には、大事な友人達を守るための武技の鍛錬も含まれていた。実際に人を襲う巨獣や兇賊と戦ったこともあった。

 母は少女にも、身を守る術として……そして、愛する誰かを守るために、厳しく武技を教えてくれた。

 母は娘に語る。

「私たちの仲間は、多分だけど、もう私とあなただけなの。だから、他の人とは仲良くしなくてはいけないのよ……

 隠れて住むことも出来るかも知れないけど、私たちも、ヒトも、他の生き物も、決して一人じゃ生きてはいけないから……」

 モミジは母に尋ねる。

「どうして、ヒトと私たちは違うの?」

「どうして、ヒトは他の生き物を殺すの?」

「どうして、ヒトは誰かを愛するの?」

「どうして、ヒトは死んじゃうの?」

「どうして……私を[創った]の?」

 母は、娘の疑問に丁寧に答えていった。

 娘も、ヒトを理解していく。

 そして最後の質問に、母は慈しむように娘を抱き寄せて答えた。

「……寂しかったから、かな……」


 モミジが十五になる頃――自分が母と区別がしにくいほど、瓜二つの姿に成長したその頃、母との別れが訪れた。

 それは不意に、唐突に、突然に訪れたのだ。

 母は、モミジが考えていた以上に[永く]生きていたらしい。そして、若々しい外見とはうらはらに、その体には限界が来ていたようであった。

 自分の死期を悟った母は、[方舟]の中へと隠れた。そして娘モミジが生まれた円筒容器の中に身を投じたのだ。

 母はモミジに、自分たちも[死]を迎える存在であることを、身を以て教えたのである。

「モミジは、もう一人で大丈夫。もし、あなたの身に何かがあったら、此処に戻ってらっしゃい……」

 その言葉を残し、母は円柱の中、眠りについた。

「いや……まだ私は、かあさまからもっといっぱい、いろんな事を教えて貰いたい!……かあさまがいなくなったら、私はひとりぼっち……まだお別れしたく、ない!!」

 円柱の傍に縋り付くモミジに、母は何も答えなかった。

 答えることは、もはや出来なかった……

 翌日には、円柱の中に母の姿はなかった。


 母の死は、親交のあった人々にも悲しまれた。

 ――皆が、かあさまのために泣いてくれた。

 それが、モミジにとっての救いだった。



「さて、ヒトの里に繰り出しますか!」

 気を取り直したモミジは、元気よく走り出す。

 [方舟]と小屋のある山頂を下り、岩場を軽々と乗り越え、人里に向かう狭い道に出る。元気がありすぎるためか、それとも背負う荷物が重いのか、モミジが走り、飛び降りる度に大地が鳴り、木々が揺れ、羽虫のような鳥の群れが一斉に飛び立ち、ネズミほどの鹿やイノシシが驚いて飛び出してくる。

 ――ヒトの里では、静かに歩かなきゃダメでしょ!

 亡き母に窘められた記憶が蘇る。

 少しだけ歩む速度を落としたモミジだが、それでも、沸き起こる感動は止まらない。

 ――ヒトの里には知らないことがまだまだある!

 少し早足になる。

 ――今日は、どんな異国のお話が聞けるかな……

 ぐんぐん速度は上がる。

 ――今日は、布が高く売れると、いいなぁ……

 やはり、走ることを止められない。

 モミジは、はやる気持ちに自らを委ねて、街に向かって走っていく。

 そしてモミジは知らなかった。

 この日、運命を変えることになる出会いがあることを……



 ナランとモミジ――


 共に英雄と呼ばれる事になる――そしてそれでいて、いろいろな意味で対照的な二人が出会うのは、もう少し先になる。



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