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15 BUTA野郎

『脂ぎったブタ、か』


 十勝川は、画面に映ったカナント子爵を、そう評した。よくある小説にありそうな陳腐な表現だなと思うが、本音だから仕方ない。刑事ドラマの中ボスか、金融マンガの闇金社長か。そのような顔を持つ人間が実在していることに、驚きを隠せないでいた。


「バーンダルシ領ギャズモル男爵の弟君。それに、シエラ・バイグッド名誉騎士。重要任務の達成、ご苦労であった」


 モリグズには無関心を、シエラには漁色の目を同時に向けてくる。


 暑くなくむしろ涼しいくらいの部屋で、止め処ない汗を流し、抑揚なく平坦な口調で語るブタ。左右に立つメイドが流れ続ける汗を、波を模した柄のタオルで、手際よく拭きとっていった。


 屋敷の外観や、この部屋に至るまでの廊下や階段。そして贅沢なしつらえの応接室の装飾は、帝国の権威を余すことなく伝える。招き入れた客を威圧するのが目的なら十分な効果を発揮していた。しかし、それら全部がかすんでしまうほど、強いインパクトを放つブタ。現欲の権化のような体躯は、絢爛豪華な屋敷をちゃちな見世物へ落としめていた。


 子爵の尻の肉は、キングサイズのゆったりした椅子からさえはみ出ている。自分足で立つことがあるのだろうか。十勝川は、ブタの歩く姿を見てみたいという変な興味に駆られた。


「エリザベート・シュベーラー伯爵に成り成り代わって、そなたらに礼を申す。大義であった」


 手を挙げるのさえ大義そうなブタが、大義を口にする滑稽さ。冷徹・強欲・色欲が混じる視線は直視するのがむずかしいほど人の気分を逆なでしてくる。シエラは、目を合わせただけで陵辱された気分になっているかもしれない。わずか動いただけて滴った汗が飛び散るブタ。不快感にもほどがあると、十勝川の鳥肌が語る。


『とっとと、早く、今すぐ、ここから出たいな』


『わかる。珍しく意見が一致したわね』


『そのセリフ。この間、別のヤツから言われたばかりだ』


 モリグスは咳払いする。十勝川とシエラ、二人の〔心話〕への共感を示したものだ。不快感を巧みに隠しながら、ブタ。もとい、カナント子爵との話を始めていった。


「兄、ギャズモルの行方知れずは痛手でしたが、ツェルト村の子供を連れてくることには成功しました」


 シエラの隣にいるパスを、目で示す。


「ふむ。しかし一人だけか。予定では保護する子供は二人と聞いていたのだが」


 保護という言葉を使う子爵。誘拐や拉致を、どのように婉曲すれば「保護」という結論になるのだろう。


「あと少し、というところで、気づかれまして。恥になるのですが、命からがら追手を振り切ったというのが正直なところです」


「お主は、偉業を誇らぬのだな」


「偉業、なのですか?」


「わかっておらぬな。カウウル、ポートベルからいかほどの騎士や冒険者が出払っていると思う? 生半可な戦略家では不可能なことをやってのけたのだよ。もはや、ここにたどりつけぬと考えていたくらいだ。どのような手を使ってやって来たのだ?」


『どのような手、と言われてもなあ』


『あんたのエロ目のほうが、追手より怖かったわ』


『るせー』


 モリグスが苦笑。実際は、騎士や冒険者が通るたび、十勝川の魔法スキルで作り出した林の中に隠れていただけ。たいした苦労はしてない。騒いでいるうちに着いてしまったというのが実感であった。十勝川というウィルのことを話すつもりはない。ブタ子爵に余計な好奇心を芽生えさせるのは、望むところではないのだ。


「逃げて、隠れていただけです」


「そこも、誇らぬか」


「事実ですので」


「ふむ。正直者は好きだ」


 カナント子爵は、垂れまぶたで細くなった目をパスへ向けた。


「名は何と言う?」


 ぎゅっと、シエラにつかまり無言のパス。代わりに、シエラが名前を教える。


「パスといいます」


「よい名だな」


 カナントはメイド何かを命じる。一礼して下がったメイドは、紅茶セットを載せるような、銀のプレートを持って再び現れた。プレートに載っていたのは鞘のないナイフ。柄には蔦模様が彫ってあり、名のある職人が作った逸品であると素人目ににわかる。子爵の前にでたメイドは、プレート上のナイフを恭しく差し出した。


 うなずいた子爵は手を伸ばすと、まずはナイフでなく、プレートを携えるメイドの華奢な手を、ぬちゃっとした手の平で握りしめた。不安そうな目を向けてくるメイドを無視し、反対の手でプレートのナイフを取った。何かを感じ、離れようとしたメイドだがブタがそれを許さない。握ったほうの手を引き寄せた子爵は、ナイフで、メイドの顔をスパッと切り裂いた。


「っ!」


「何をっ」


 おびただしい鮮血がほとばしる頰。止まりそうもない出血を、それでもどうにか止めようと、メイドは自身の顔に両手を押し当てた。ほかのメイドも慌てて近寄っり、持っていたタオルを押し当てるのだが、傷は深く、出血の治まる気配がない。


 ブタを除いて応接室の時間が凍った。一品モノの絨毯を染めていく赤い血だけが、時が動いてることを主張している。


「実証してみんことには、正直者かどうかわからんだろうが。パスとやら、回復魔法を使って、こやつの傷を治してみせよ」


 カナントの凶行に驚いたいたパスは、怒りの込もった目で子爵を睨み返した。隠れていたシエラの後ろから出ていき、血まみれでしゃがみこんでいるメイドに寄り添うと、その顔を、小さな手で優しく包み込む。


「ひどいことする。いま治すからね。……ヒール」


 短い呪文。出血がみるみる止まる。頬にぱっくり開いていた傷があっという間に塞がっていく。


「おおっ」


「大丈夫? お姉さん」


「……ええ、ええ。痛くなくなったわ。ありがとう」


 ヒール慣れしてるのか、意外に冷静なメイド。だが立とうとしても、足にふんばりが効かない。流した血が多かったらしく仲間のメイドにささえられても立ち上がれなかった。


「体力も治さないとね。レストレーション」


 また短い呪文。血の気を失っていたメイドの顔色に赤身が差してきた。指先には力が戻り、足と腰をまとわり着いていた虚脱感も消え、立ち上がれるようになった。助け起こそうとしたメイド仲間が、目を丸くする。


「あ、ありがとう」


 メイドが流した感謝の涙、真っ赤になっていたタオルの色が少しだけにじむ。パスにか子爵にか、わずかだけ頭をさげると、仲間に付き添われれて部屋を退出していった。


「ふむ。貴様が正直者だと判明したわけだ。まさかこれほどとは思わなかったが。伯爵殿下もさぞお喜びになるであろう。さっそく知らせねばな」


 なにかを耳元でささやかれた側近が、メイドに続いて部屋をでる。


 ここまでの一連の出来事を、十勝川が客観視できたのは、画像というメディアが仲介してるからだろう。しかしこれはドラマではない。彼は傍観者であるとともに、確かな存在としてここにある意識なのだ。


『おい、シエラ』


『……』


『この世界のことは、オレは分からないから、答えてくれ。お前、オレに湯浴みを見られて恥ずかしいといったな』


『……言った』


『顔ってのは、女にとって大事なんだよな?』


『そうだね』


『切られたり傷つけられた顔は、恥ずかしいと感じるのか』


『感じる』


『それは、裸よりもか?』


『……場合による』


『雇い主ってのは、自分のメイドに何をやってもいいのか?』


『貴族には殺傷与奪の権利がある。でも通常は、モラルのほうが勝る』


『最後の質問だ。……こいつの行為に殺意を抱いてしまったオレは、異常なのか?』


『異常……ではないわ』


 ぶわん。

 シエラの金色の髪が少し逆立って、身体に緑色の薄い空気がまとわれた。

 十勝川が魔法を使うときの兆候である。




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