幕間 霧の巨人
百年ちかい昔のこと。
大陸のずっと深い森の奥に、霧が生まれた。
そこは四方を小高い山に囲まれた、谷というには平らな地だった。風も吹かずあまり日も差さず、人間どころか、魔物すら寄り付かない、穏やかに見捨てられた空間。霧は、何物にも邪魔をされることなく、いつまでも晴れることがなかった。
霧が生まれて三年と三ヶ月の時がが刻まれたころ、霧の内部に変化がおこる。精霊の悪戯か凝縮された時間の重みなのか、理由はわからない。自然の浮遊物にすぎないはずの霧に自我が芽生えたのだ。
数年の歳月を費やし、霧は人の赤子の姿へと形状を変えていく。季節のない谷のゆりかごに揺られた霧は、赤子の姿で際限ない眠りをむさぼった。
目を覚ましているときは、いつも霧の姿ですごした。拡がったり縮んだりして自由に大きさを変え、枝や葉の隙間を濡らし、移動したり触ってみたりした。
そんな時間が数年。無風だった地に突風が吹き荒れた。
霧は争がうが、経験したことのない厄害に抵抗する術がない。その風は、どこにでも吹くふつうの旋風だ。赤子の姿で木の根元にでもいれば楽に防げる風だった。だが、霧は慌てて霧の姿でいたため、簡単に吹き飛ばされてしまった。
自我を持ち、赤子と霧の姿を自由を往き来できる霧は、霧の姿であっても風で四散することはなかった。別の森まで飛ばされたところで風が止んだ。元の場所に戻りたかったが、方法がわからない。そのまま疲れて眠ってしまった。
赤子の姿で眠っていると、大人の人間に拾われた。拾っていったのは、子供のいない夫婦だった。夫婦は大喜びで、自分たちの子として育てようと決心する。寝たままでなかなか起きない赤子だが、クラウディと名前をつけて大切にした。
動けない赤子は突然いなくなることがあった。夫婦は驚いて探すが、すぐ近くの林の中で見つかるといった騒ぎを何度か繰り返す。変わった赤子だと決め付けて、安らかな寝顔をみては目を細める能天気夫婦だった。
一年たち二年が過ぎても、クラウディは赤子のまま成長しなかった。さすがに気味が悪くなるが、愛らしい赤子をいまさら捨てることはできない。捨て子だったのだから、人間ではい可能性もあった。例えばエルフのような長寿種族ならそういうこともあるかと、自分たちを励ます。
食が細く乳も飲まず、たいていは眠っているクラウディ。金銭や食べ物の負担がないこともあり、夫婦はかいがいしく世話を焼く。魔法使いの二人は人里離れても不便なく暮らしていた。人恋しさはあったのかも知れないが、どこまでも能天気な夫婦だった。
元々が霧であったクラウディは極端に成長が遅い子供だった。寝返りをしてハイハイができるようになったのは、夫婦の髪が真っ白くなったころ。立って歩き出したときには、二人とも笑いシワの似合う老夫婦になっていた。
「我はお前のことが、心配じゃ。お前は特別なようじゃからな。人間の中で生きていけるだろうか。かとゆうて、ここに死ぬまで一人でおれとも言えん。好きに生きろ」
夫婦は死ぬ間際まで、クラウディの身を案じた。
夫婦が亡くなってからしばらく、喪失感が心を埋め尽くして何もできなくなっていた。人間というのはいつか死ぬのだ。では自分はどうだろうか。人に育てられたクラウディは人の傍で生きたいと願う。里に降りようと決心した。
クラウディは霧と人の姿とを自由に往き来できるようになっていた。風に乗れば、長い距離も、速く移動できることも知った。少しづつ自分という存在を自覚していく。眠る時間が長いのは相変わらずだったが。
雲と同じ高さの空を流れていると、小さな村を森の端にみつけた。ふわりと地上に降りて幼児の姿になると、かつて拾われたときと同じように、村近くで寝て過ごす。しばらくすると畑仕事をしていた人間の女がやってきて揺り起こした。
「どこの子?名前は、言える?」
子供の言葉使いをしらないクラウディは、夫婦の話し方を真似て答える。
「クラウディじゃ」
その言い草が可笑しいと女がくすりと笑った。どことなく愛嬌もある。
「誰かと一緒?」
「我は一人じゃ」
事情は知らないが不憫に感じたのだろう。女は、クラウディを村の中に連れて帰ることにした。
「得体の知れない者を村に入れるなど!」
「たかが子供じゃろう」
村に置くことを反対する村人もいたが、幼いということと、拾ってきた女が面倒をみると言い張ったことで、村に住まわせることになった。
何年たってもほとんど成長しないクラウディを不気味に感じた村人もいた。だが大半を寝て過ごし、薬にならないが毒にもならない幼児に無関心になっていく。あまり食を必要とせず、食扶持を圧迫しないことも、気にかけない要素だったろう。
村の子供たちは、同年代の可愛らしい子としてかまいたがり、無理矢理遊びに連れ出したりしていた。実年令四十を越えているクラウディは面倒に思ったが、楽しそうに付き合うこともあった。精神は見た目相応なのだろう。
数年後、女は村の男と所帯をもった。手はかからないからと、女が言い分を通し、クラウディも一緒に住み移ることに決まる。
そんな日常が穏やに過ぎていったある時、災難が村を襲った。
「魔法使い狩りだ!」
クレセントは国力の弱い王国だった。痩せた土地に魅力はないが魔法使いを多く輩出することで知られていた。そこに目をつけた周辺の国が魔法使いを連れ去っていくことが古来より繰り返されてきた。筆頭はドリーヨーコ帝国だが、現れたのはドットシュガー共和国の騎士団だった。
「ここにある我れらは、秩序ある騎士である。無意味な殺略は望むところではない。魔法使いがおれば我れらに従え。国の庇護のもと、穏やかな暮らしをさせてやろう」
隊長が高々に口上を述べると、すぐさま男の罵声が飛んだ。
「俺は昨年まで、となり村にいたものだ! 他人の女房を奪いやがって、いますぐ出て行きやがれ!」
それは、引き離された恋人や家族、抵抗して殺された者たちの怒りがこもった反抗の言葉。攫われた魔法使いたちが帰ってくることは二度となかったのだ。
罵声が合図となり村人たちからの魔法が一斉に放たれる。
炎、水、土、風の魔法攻撃が、色とりどりに飛び出す。魔法の使えないものは、持っているものを何でも投げつけた。攻撃は騎士を痛めつけていく。
騎士団がいくら戦闘に長けているとはいえ、自分たちには魔法使いが多い。隣村の男からの情報もあって、必ずや追い返せると信じていた。
「いけるぞ! 皆殺しにしてやれ!」
一人づつ打ち倒されていく騎士ら。もう勝利は目の前だ。村人たちの歓声があがった。しかしそんな希望をもてたのはほんの短い時間だった。放った魔法攻撃が敵に届かなくなりはじめると、戦況はいとも簡単に不利になる。
「どうして?」
「こちらには、ウィル持ちがおるからな。その辺の魔法など取るに足らぬ。ドットシュガー騎士の力見せてくれよう!」
魔法使いの集団に突っ込んだ騎士団は、投げ縄を使って魔法使いたちを片はしから捕縛しだした。
「わが国で働け!抵抗するな。悪いようにはしない!」
「きゃー!」
「ぐっ、くそ」
村中が怒声と悲鳴で埋め尽くされていく。流石のクラウディも、この騒動目を覚ました。家から外に出る。目に飛び込んできたのは、自分の家族といっていい女が騎士の縄に絡み摂られて連れていかれるところだった。
「やー離してー!」
目の前の出来事を理解したわけでない。ただ、放っておけば自分を大事にしてくれている女がいなくなってしまう。そんな子供っぽい純粋な恐怖が心に湧きでてきた。
無我夢中。たちまち霧となったクラウディは、一帯を覆い尽くし、女を捕まえている騎士にすがりつく。
「ぐ、あ……」
全神経を集中し持てる力を込めると、その騎士はあっけなく潰れてしまった。
ぐしゃり。
断末魔を上げる時さえ与えず、イモムシでも摘んだ程度の数秒の感触で、人間が一匹死んだ。このとき、ただの霧だった幼児クラウディの中で何かが弾け飛んだ。
霧による人間の蹂躙が開始された。
手の届くまま、あるいは、生まれて初めて感じた狂気か狂喜のままに、手当たり次第に掴んでは潰れていく感触を楽しんだ。
「面白い、面白いぞ!!」
生き物とは人間とはかくも弱いものであったか。我の村に土足で上がりこんだ奴らをすべて掴みつぶすのじゃ!
文字通り、村を手中に収めた霧は、触れた生き物をひとつひとつ愛でていく。
いつまでも続くかと感じられた娯楽の時間だったが、唐突に終わりがやってくる。一切の動きまわる気配が消えたのだ。人の姿にもどったクラウディ。風をおこして立ち込めていた霧を晴らしていくと、やはり立っている者がないことが見て取れた。
ほとんどの者が命を落としており、生きている者がいたとしても、手足が曲がり肋骨が折られ、体が潰れていた。あちこちから聞こえてくる、うめき声。
「これをやったのは、我か?」
クラウディが助けようとしていた女も倒れていた。とりすがって揺らしてみるが、すでに息はしていなかった。首に縄がかかっていた。身体に撒きついていた縄が引っ張られて首を絞めたのだろう。縄は騎士が握ったままになっていた。
「なんてことを。我は、我はただ……」
誰にともなくつぶやくと、答えてくる声があった。
「我が騎士団を……。貴様は何奴だ? 」
「我が何者かと? まだ生きているお主こそ何者だ」
「ドットシュガー共和騎士団、クレセント方面隊長……だった男だ。我がウィルが護ってくれたのだ」
「お主が、災いを運んできたのだな?」
「災い? 幸福のが間違いであろう。魔法使い狩りのことか? 奴らは我が国でこそ、有意義に活躍できるのだからな。もっとも全て貴様が殺してしまったが。話が過ぎたか。して、貴様は何者か?」
女が死んだのは、我のせいだったかもしれない。
「死なぬのなら、ドットなんとかに伝えろ。穏やかな村を襲うなと、我の平穏を奪うなと」
クラウディが霧へと身体を変えるのを見た騎士は、翻って逃げようとする。霧はそれを軽く捕まえると力の限りに握りこんだ。しかし、何かの防御が働いてるらしく、苦しい顔をしている騎士をそれ以上潰すことは叶わなかった。
最大限に身体を大きくすると、あらん限りの力をもって騎士を放り投げる。どこまでも飛んでいく騎士。どこまで飛んだか生きたのか死んだのか興味が無かった。
一度だけ女の姿を確かめると、風にのって村を後にしたのだった。
その後。クラウディは人の温もりを求めながらも、積極的に人に関わることはなかった。
ときおり、寝ている間に誰かに拾われることはあったが気づいた翌日には姿を消した。人攫いに捕まって売られそうになったこともあったが、人を恨むことはなかった。誰かが捕まる場面に出くわしたときだけは、助けることに決めていた。
群れからはぐれた幼い氷虎と出会ってからは、一緒に旅をした。気まぐれでエサをやったところ、付いてくるようになったというのが正しい。成長の遅いクラウディと比べ、氷虎は見る見る大きくなっていく。
氷虎にはクレストという名前をつけると、いつしか、大きくなった背に乗って移動するのが当たり前になった。
そしてあるとき、偶然に馬車を見つける。
「こんな森の奥に馬車か。一度乗ってみたかった」
馬車に乗り込んだクラウディは、いつものように寝むりこむ。
どさりと荷物が載る音がして、すぐあとから男と女の声が聞こえた。
「あれ? 先客がいるよー」
「なにっ」
「子供が寝てるよ。ツェルト村の迷子かな?」
氷虎が声の男に襲いかかる音がすると、逃げるように馬車が走り出した。
クレストが追い払われ気配があったが、あれしきで殺られる相棒ではない。馬車の揺れが心地よく、再び眠りはいった。
霧の巨人クラウディと氷虎クレストは、こうして、この物語に関わることになる。
一話に納めたかったので、無理に詰め込んだ感がありますね。。。。
そのうち修正するかもしれません。




