22 迫る悪夢
「ぼく、死体にならない?」
「ならない。殺したりしないから。そこは安心していいよ」
「村にも帰れる?」
「それはダメ。しばらくは無理だね」
「母さんに……あいたい。妹たちにもあいたい」
パスの甘えた言葉に、シエラは舌打ちをした。
そのついでに、冷たく言い放つ。
「泣くな。殺すよ。」
パスは、大きな瞳から落ちそうになる涙を必死にとめた。優しい母親に、誰かにすがりついて大泣きできたら、どれだけ楽になれるだろう。氷のような誘拐者にあらがうように、手の甲で口をおさえ、むせび泣こうとする声を押しとどめる。死にたくない。
小さく震える肩を見下ろしながら、シエラもまた戸惑っている。これだから子供は嫌いだ。感情の振幅の広い相手は手にあまるのだ。邪魔になるだけなら殺してしまいが、今回は公爵じきじきの重大な依頼。無事に届けるまでがお仕事だ。殴りたくなる衝動を堪えて、軽く希望を与えることにした。
「帰れる時がくるかもしれないよ。王都までいけば、知りあいがいるだろうし」
「おうと?」
リーゼライやフェアバールが旅立った目的地だ。村では何人も、数年おきに王都へ行く人がいるのだと母親から聞かされたことがある。そこへいけば誰かがいる。フェアにも会えるかもしれない。会ったら、村に返してもらえるかも。パスは小さな望みを胸に仕舞いこんだ。
パスのむせび泣きが収まると、シエラの顔からも剣呑さが消えていた。とりあえず、子供が治癒魔法を使えることの確認がとれたのだ。目的をひとつ果たせた安堵が、二十二歳相応の顔つきに戻した。
モリグスは、水に薄まった床の血を拭き終えたところだ。
意外にマメである。
「腹がへった。喰えそうな獣でも狩ってくるとするか」
つぶやいたモリグズに、シエラもうなずく。
「賛成。売り物の乾物ばっかりだったからね。新鮮なお肉が恋しいと思ってたんだ」
「適当なのを狩ってくる。煮炊きの用意をしとけ」
「貴族のあたしに、料理しろと?」
「またそれか。貴族はお互いさまだ。オレが狩り役を引き受けるんだから、お前は料理役。それくらいできるんだろう?」
モリグズは、街道脇に停止させてある馬車から、森のしげみへと飛び降りた。
モニターに映った男の後ろ姿を見送りながら、十勝川は頭を抱える。またタイミングを失ったなと。
パスの治療魔法の批評なんかしてないで、とっとと介入すればよかったのだ。「よかったら、治してあげようか? オレ? 通りすがりのウィルさ!」とでも言いながら……。
いつになったら、シエラと話すことができるのか。
そればかり考えている数日だった。
うらぶれた四畳半に一生くすぶっているのは性でない。殺人者だろうとなんだろうと、シエラとコンタクトを取らないことに、異世界生活は前進しないのだ。そう分かってはいるのだが、接触が失敗して自分を否定されるのもツラい。プルカーンで被ったような、悲惨な事態は避けたいという思いがいっぽうにあり、あと一歩が踏み出せないでいる。
相手を探ることに関して、この世にウィル以上の適任者はいないだろう。メルアドを暴くとか、住所を突き止めるとかいう、外的レベルに留まらない。本人の内部に深く滞在し、24時間、人知れず行動を共にできるのだ。寄生虫みないなものであり、最強のストーカーだ。そんな怪しい、存在をどうやって信じさせるようか。「きみとぼくは、一心一体なんだよ」と言えばいいのか。もやもや感がとまらない。
女心を相手にもやもやするのも、何年ぶりだかな。
(いっそ、怪現象でもおこしてやろうか)
我ながらいい思いつきだ。半ば投げやりなアイデアを実行するため該当しそうなスキルを探しているとき、畳敷きのコックピットにアラートが響いた。何か、敵対するものが近くに迫っている。
(これは、なんだ?)
芝桜のような〔マッピング〕をしてない十勝川だが、周囲を探ることくらいはやっていた。炭屋のときに対応できなかった教訓が活きてる。
〔索敵 常時 2〕
位置情報がモニターに映すと、半径150メートルにある生物の状態が示された。20匹以上確認されている生命体の大部分は、敵意のないブルー。または、人間を警戒しているイエローで表示されている。どれも小動物か驚異のない魔物だ。危険度にするば2以下。間違って襲ってきたとしても軽くいなせるほど弱い。モリグズが、狩ると言ったのも、そうした生き物を指していた。
ただし、その中に一つだけ。危険レベル5の生き物が確認された。
『こいつはやばい。敵だ!』
「誰?」
シエラが反応したことに驚いた。
〔心話〕をみればアクティブされたまま。思わず声がでていたらしい。意図せずして、ファーストコンタクトが実現したかたちになったが、感動の出会いに酔っているヒマなどない。
『味方だ。シエラ、敵がくるぞ!でかい魔物だ。逃げたほうがいい。すぐ逃げろ!モリグズを馬車を戻せ』
「う?声が頭に響く。いったいどこからしゃべってんの?」
「……?」
空気にむかって語り始めたシエラ。そんな彼女の態度に、パスが困惑している。
草原ならば視認できるが森は深い。うっそう生い茂る薄暗い緑に阻まれて、見えない敵が距離を詰めてくる。差し迫った異変を感じて馬がいなないた。あと20メートル余り。速い。
馬車の中で実をかがめ警戒するシエラだが、仮想敵は、魔物でなく声の主のほう。モリグズを呼び戻すつもりがないようだ。くそっ。十勝川は〔外部スピーカー 1〕にカーソルを当て、Aボタンをクリック。叫び声をあげる。
「でかい敵だ! モリグズ逃げろォ!!」
自称貴族サマまで声が届いたかどうかわからない。パスは首をまわしていることから、声は外部にでているのだろう。わけ分からないといった風のシエラが、再び問いかける。
「あんたは、いったい……」
だが、疑問の言葉をいい切る前に、それは現れた。
冷気を漂わせた真白をベースに漆黒の縞模様をあしらった体表。オスのヒグマよりも太い四股。アーヴァングさえひと噛みで殺せそうな口。巨体に似つかわしくない、しなやかに流れる身のこなし。
凶悪な牙を生やしたこの生物は、数日前、シエラたちが追い払えたと信じていた悪夢だった。
「……氷虎?なんで? ま、さか? 追ってきたの?」




