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3 ウィル



 リーゼライは、その女の子から目を離すことができないでいた。

 ここは自分の部屋。女の子が占めているベッドは、自分のベッドだ。


 そこに座っているフェアバールは、泣きじゃくっていた。自分の顔をこれでもかこれでもかと撫でる。


 女の子にとって顔は命だという。男だって顔は大切だが、傷を自慢する猛者だっている。嘆いたり恥じたりすることがあるとすれば、戦で逃げたり、仕事で頑張れなかったときの仲間からの侮りだろう。顔のキズよりプライドのほうが心には痛いのだ。


 五年という長い間、額上に君臨していた、醜い火傷痕。それが本当に消えたことを確かめるように。何度も何度も、涙で濡れきった手で触っているのだ。


 フェアバールの顔の傷は、心の奥の奥まで深くえぐっていたのだろう。男であるリーゼライが思っているよりも深くまで。


 二度と治ることがない。そう断言されていた痕が、きれいさっぱり無くなってる。

 触って確かめるの悪くないが、それよりも二つの目で直に見てみたいのではないか。


「フェア。鏡でも見てみたら? その方が、ずっと納得できる」


 サリサがそこに口をはさむ。


「何いってんの。鏡なんて高いものこの村にない事ぐらい、知ってるでしょう」


 もっともだ。そんなぜいたく品はこの村長の家にすらない。でもリーゼライは知っている。魔法の練習に毎日のように付き合っていたのだ。フェアは、光幻惑魔法に限ればリーゼライを凌いでいる。


 アッと、小さく洩らしたフェアは、すぐに呪文を唱えた。


「我が手に完全なる光を返す板を。ミラージュスクエア」


 空気を集約させた幻の鏡が手の中に現れた。ほんの短い時間で消えるのだが、この場では、高価な本物よりもずっと価値があった。


 鏡に反射した顔には、最初から火傷なんか無かったかのように、十一歳のつるんとしたおデコがあるだけだ。


 髪をかき上げたフェアはじっと鏡を見つめている。さっきから顔は涙でクシャクシャ。そして意味はわからないが、同じ言葉を呪文のように繰り返していた。


「モコトありがとう・・・ありがとう・・・」





 鏡が消えて、フェアは泣き止んだ。

 いつもは快活なサリサが、声をかけることを躊躇っている。沈黙を破ったのは、またリーゼライだった。


「なんだかわからないけど。傷が無くなっておめでとう。ゴブリンが攻めてきたという小さな事件もあったようだけど、無事に撃退できたし誰一人死んでない。今日は、良い日としておこうか」


 からかい調子で使っているいつもの敬語が、いまは出てこない。軽いノリを混ぜた言葉だったが、いつもの毒舌と軽快さは失われていた。それでも、サリサが横目で睨んでくるが、無視して続けていく。


「フェア。聞きたいことがあるんだけどなぁ。ほんの100個ほど」


 フェアの髪の毛は薄いブルーだ。しかしどうしたものか、その半分が赤くなっている。潤んだままの黒い瞳。真っ直ぐな視線。いつもとは違う雰囲気を纏っていた。

 リーゼライはどきりとして、言葉が尻すぼみになる。


「……後のほうが……いい……かな?」

「ううん。あたしも知りたいから。おばさん。リーゼ。ウィルってわかる?」


 リーゼライは聞き覚えがなかったが、サリサが反応した。


「ウィル? 精霊の一種だと聞いたことがあるわ」

「精霊?生霊じゃないの?」

「うん精霊。元々、人や妖精だった魂が、ウィルになるんだと聞いた」

「ウィルって、珍しいの?」

「珍しいけど、居ないわけじゃない。昔、村長がウィルにあったと言ってたから」


 いつもは、誰と話してもぎこちないフェアが、サリサと普通に話し合ってる。実に自然なやり取りだと、リーゼライは感じた。見た目以上の変容がフェアの中で起こったようだ。それが何かわからないけど、前向きな変化は歓迎したい。


「僕が村長を呼んできます。ふたりはそのまま、話してて」


 扉を開けて部屋を出ようとして、ぎょっとする。いつの間に来たのか、すぐそこに村長が立っていた。


「おう、どうした? フェアは目を覚ましたか?」

「丁度よかった。呼びにいくところでした」


 フェアが大人の男と話すことは、ほとんどない。あからさまに怖がるのだ。リーゼライや仲間たちやサリサなどは、なるべく近づけないように気をつけていた。村長はなんとか話せる一人だ。


 サリサがイスを並べる。

 3人がイスにフェアがベッドに腰掛けて、会話が始まった。


「そ、村長。ウィルに合ったことがあるんですか?」


 みんなが何から始めようかと思っていた中、最初に口を開いたのはフェアだった。キッカケを作ろうと構えていたリーゼライとサリサがそれぞれ驚く。


「なんの話しをしてたんだ? まぁいいが。昔、会ったことがあるぞ」

「ウィルってなんなんです?精霊?」


「精霊っていう言い方がいいのかわからんが、とてつもない力をもった意識の存在ってところか。ヤドカリが貝殻にこもるように、人間の中に入って、そいつを助けるって話しだ」


 フェアが、そこで黙る。

 いや小声で独り言を言ってるようだ。


「ウィルがどうかしたか?」

「もっと、聞かせてください。村長が出会ったウィルって、どういう人でした?」


「ウィルってのは、魔法を使えない普通の人間に宿る。そんで、即席の熟練魔法使いみたいになっちまうんだ。俺が会ったそいつは火のウィルだって言ってたな。自由に炎を繰り出して、たくさんの魔物を1人で焼き倒してたぜ。防御も炎、治癒も炎、まさに無敵ってヤツだった」


 スゴイ話しをことをさらりと言う。魔法使いだって、一人前になるにはそれなりの訓練が必要だ。普通の人間が、そんなカンタンに攻撃も防御も1人でできてしまうなら、魔法使いは必要なくなる。


「ただなぁ、ウィルは気まぐれだ。一つの体に二つの人間がいるようなもんだ。よぉく、独り言でケンカしてたぜ」

「ケンカですか? は・・・ははは」


「フェアよぉ。いきなりなんで、ウィルってヤツを気にしだした?」


 それはそうだ。村の中では読書好きで物知りとされてるリーゼライ。その彼すら知らなかったウィルのことを、なんでフェアが知っているのか。しかも、このタイミングで。


「ウィルのことはそれ以上知らねぇ。けど、何にでも例外ってのがあるだろう」

「うん……そうだね。一人じゃ解決できそうにないし、相談に乗ってください。あたしが例外みたいです」


 その部屋にいた全員の頭の中に、声が響いた。


『はじめまして、私がヤドカリで例外的なウィル。芝桜藻琴っていいます』



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