41. 再び、東の市にて 3
「『暁の槍』から逃げられる気がしなかった、というのもありますが、一番大きな理由はやはり、幼かった自私がこの世界で保護者がいない状態で生きていくのは不可能に近かったから、でした」
「え?」
「私は転生者ですが、もっている知識はほかの転生者がのこしたものにくらべれば劣りますし、転生者特有の発想を生かそうにも、当時3.4歳だった私を引き取ってくれる場所なんてないでしょう? この世界は力のないものには厳しく、それこそ低辺にいる力のない人間が成り上がるなんて夢のまた夢なんです」
「冒険者なんかになろうとは思わなかったの?」
「冒険者登録は十歳からしかできませんよ」
自分の外観が幼女でさえなければもっとやりようはあったのですが、とルナは溜め息をつく。
「……確かにそうだけど。でも、だからって人を殺す道を選ばなくても……」
メアリは、ルナの後ろ向きな言葉に眉を寄せるも、今言ってもどうしようもないことはメアリ自身よくわかっているので先を続けられない。
「それだけじゃないんです」
「……え?」
「スラムに行けば、時に人の命はパンのひと欠けらより軽いですし、まっとうな人生を歩んでいても、ちょっとしたことで人は簡単に死にます。この世界には、理不尽な死がそこら中にあふれていますよね」
「そう……なのかな」
地球でもそういう場所がないわけではないが、月海の生まれ育った日本ではそういうことは普通に生きていればそういうことはまずなかった。
ルナのように、他の世界の記憶など持っている訳ではないメアリはルナの言葉に実感がわかなさそうではあったが、それでも治安の維持・改善を目指す一族の娘として思うところがあったのだろう、ルナの言葉を吟味するように考えこむ。
「たとえ人を殺さないと決めたところで、年齢一桁の幼女が一人で生きていける方法なんてかぎられていますし、最悪体を売って食いつなげても、確実に早死にしますから。相当な運がなければ、生き残ることはできずに些細な理由で呆気なく死ぬでしょう。……そんなのは絶対にごめんだ」
「……っ!」
突然口調も変わり、ぞっとするような冷たい声で吐きすてるようにつぶやいたルナの言葉にメアリは背筋を凍らせる。
「その点、『暁の槍』にいれば衣食住は保証されますし、たとえ死ぬことがあっても自業自得の結果で、理不尽な理由なんかではないでしょう?」
なにせそれだけのことをしているんですから、とうっすらと笑うルナの目は昏い光をうかべていた。
確かに、ルナが本気で望んで実行に移せば王都のどこかで堅実に目立たず暮らしていくことはできたかもしれないのは事実だ。 しかし、前世で治安のいい日本で刺殺された月海は、3歳で母親に毒を盛られた『ルナ』や『暁の槍』の訓練で自分と同じ境遇の子供達が次々に命を落としていくのを見て、理不尽な死というものに強い忌避感を覚えるようになっていたのだ。
「巫山戯た理由で死ぬのなんてもうたくさんですから。人権なんて立派な概念もほとんどない、命の価値が低くて死にやすい世界ならばせめて、死ぬ理由はそれ相応のものがあって欲しいと、そう思っていたんです」
「ルナ……」
自嘲気味に言うルナに、メアリは掛ける言葉が見つからずに黙り込む。ルナがその目に見て、考えているものがメアリのそれとあまりにも違いすぎたためだ。
「自分が歪んでいる自覚はあるんですけどね。まあ一度死んだ弊害か『暁』の訓練でどこかおかしくなってしまったのか、とにかくこれがまぎれもない本心だったんです」
地球でもトップクラスに治安のいい日本から異世界に転生して以来、常に死がそばにある生活を送っていたルナは、実際以上に死は身近にあるものだと思い込んでしてしまっていた。
そんなルナが『理由のない死』を嫌悪するようになった時点で、ルナは善良に生きる道を自らふさいでいたのだ。
そんな性格以前の『性質』が悪に向いているルナの言葉は、仮にも貴族の令嬢として大切に育てられ、常に命の危機がとなりにある生活など想像もできないメアリの理解の外にあった。
それでも、メアリはこのままだとルナがどこか遠くへ行ってしまうような焦燥感に駆られてどうにか言葉をしぼりだす。
「……でも、『だった』ってことは今は違うんでしょ? 今はどう思っているの?」
現状まだ一応、ルナは仮にも伯爵家であるスーリヤ家に保護されている立場である。ルナがかつて立っていたような、つねに死を身近に感じなければならないような環境ではないはずだ。
ましてや、ルナが暗殺者として磨いてきた能力があれば、そうそう死ぬことなどありえない。
必死な様子のメアリの言葉に苦笑を返し、ルナは伝えたいことをすこしづつ言葉にしていくように、ゆっくりと話しはじめた。
「……私は、ずっと周りにあわせて自分を『作って』いました」
「え?」
月海であった前世から、ルナは周囲にもとめられるがままに自分のキャラを作っていた、とルナはぽつりぽつりと言う。
高校では背が高かったことと、多少男前だったという理由で『王子様』などと呼ばれ、空気をよんだ月海もそれにあわせた言動をしていた。ルナとして転生してからも、暁の槍では『暗殺者』を、孤児院では『頼れるお姉さん』を、というように、それぞれ自分の求められる立場にあった自分を演じていた。
ルナは前世から、まわりの空気や無意識の要求を察して行動するタイプで、結果として、周囲のイメージに合わせて自分のキャラを作ることも多かったのだ。
しかし、この世界にたった一人で転生したルナが本当に欲していたのは、そんな環境が変わればすぐにでも意味をなさなくなる脆いものではなく、素にちかい自分で接することのできるただ一人だった。
「向こうにはいたんだね、そんな人」
「ええ、幼なじみが一人いました。……まあ、私が死んだ遠因も彼女にあるのですが。とにかく小さい頃は何をするにも一緒で、私が彼女を引っ張っていたつもりだったのですが、精神的にかなり助けられていたようです」
言うなれば大空を舞う鳥の『とまり木』あるいは自由奔放な猫の『お気に入りの昼寝場所』と言ったところだろうか。常に何かしらの猫をかぶっていたルナ《月海》にとって、素のままの自分で接することのできた幼馴染の存在は、本人でも気付かないうちに大きな心の支えとなっていたのだ。
「孤児院に入ってやっとそのことに気が付いて、素で接することができて、ずっと一緒にいられる人を探そうと思いました」
「それが私だった……ってこと?」
「ええ、はじめは危なっかしい貴族の令嬢を守らなきゃ、というちょっとした義務感だったのですが、それがいつの間にか、といった感じです」
「やっぱり貴族だってことは最初からわかっていたのね」
「当たり前でしょう。仕草でも一目見てわかりましたし、初対面で『ごきげんよう』と言いかけたのを忘れましたか?」
「そういえばそうだったわね……」
うっ、と声をつまらせてあさっての方向をむくメアリ。メアリの中ではルナとの交流は貴族ということを隠しての大冒険のつもりだったのだ。 初対面から正体がばれていたと知ったメアリはたいぶ落胆した。
次回でこのメアリとのお話は最後になります。




