22. 日常
「おはようございます、お嬢様。朝食の用意ができておりますが、お召し上がりになりますか?」
「ん……おはようルナ。朝ご飯はもう少し待って、まだちょっと眠いから少し庭を散歩したいわ。ルナも一緒に来て」
「かしこまりました。お供いたしましょう」
スーリヤ家の屋敷でメアリに仕え始めてから早一ヶ月、ルナは日々を楽しく過ごしていた。
ルナの朝は早い。陽が昇る少し前に起床して、朝の鍛錬をする。
与えられた使用人棟の自室で魔術で音が漏れるのを防ぎながら、毎朝本来の起床時間まで魔術や柔道をはじめとする体術の反復練習をしている。
本来の起床時間の7時になると、ルナはメイド服に着替えてメアリを起こす準備をする。洗濯されたメアリの服を受け取るなどしてメアリが起きる8時までにメアリの着替えの用意をし、メアリを起こしにいく。
スーリヤ家のメイド服は、飾り気のないロングのワンピースに華美になりすぎない程度にフリルをあしらったエプロン、ホワイトプリムという実用性重視の正統派で、ルナも気に入っている。
ワンピースの裾にスーリヤ家の紋章である蓮の花が金糸で控えめに刺繍されているところもいい。
メイド服は作業服なのだ。過度な飾り気やら色気はいらない、むしろ色気がない故の萌えというものがある。というのがルナの持論である。
それはさておき、この朝のお仕事がルナの一番のお気に入りである。
なにせメアリの寝顔が可愛い。超可愛い。ルナが初めて見た時など、天使がいる!と鼻血をだしそうになったほど可愛かった。
金髪天使の無垢な寝顔を見て1日の元気を貰い、ひとしきり悶えた後にメアリを起こす。
メアリが眼を覚まし、その碧の瞳を眠そうに瞬かせる様子は本当に萌える。ルナは内心の動揺を押し隠してメアリの着替えを手伝い、メアリを食堂に連れていく。
「ルナ、今日の予定は?」
「午前はレンツ伯爵令嬢がいらっしゃいます。午後は刺繍とダンスの練習、残りは自由時間となっております」
ルナはメアリの向かいに座り、料理を口に運ぶ手を止めて返事をする。メアリの両親は仕事や夜会のため多忙で、今もジェフィードは仕事で家におらず、伯爵夫人であるアリスは昨日今日と連続で開催される夜会のために未だ睡眠中である。ルナが雇い入れられた理由の一つに、メアリに寂しい思いをさせたくないという彼らの配慮があるのは間違いない。
メアリはそれをいいことに、今までは一人で食べることの多かった朝食をルナと共に食べることを両親に要求し、粘り強い交渉の結果認めさせていた。ルナもメアリと一緒に食卓につくことは吝かではなかったが、最低限主従としての口調と態度は譲れない、と現在も仕事モードである。
「レンツ……ああ、ジュリアンナ様ね! 楽しみだわ」
そう声を弾ませるメアリ。近ごろは習い事の他に、レンツ伯爵令嬢――ジュリアンナをはじめとして、パーティーで仲良くなったという令嬢の何名かが遊びに来ることも増え、逆にメアリがお屋敷に遊びにいく事もある。
今までルナ以外に友達と呼べる人がいなかったようだし、いい事だ。
「ところでルナ、午後の自由時間についてなんだけど……」
「ダメです」
「まだ何も言ってないのだけど」
「今度の要求は市場ですか? 冒険者ギルドですか?」
「うっ……もちろん商業ギルドよ!」
一瞬目を泳がせたメアリが誤魔化すように胸を張る。
「ダメです。……いい加減諦めてください。お嬢様は婚約なさっているのですよ、一応。婚約者様はアレですが」
「最早貴女達使用人がアルト様へのヘイトを隠さなくなってきたわね」
「お嬢様も感づいていらっしゃるようでしたので」
半眼で指摘するメアリにルナはしれっと答える。メアリはそんな冷静な侍女の仮面をかぶっていても変わらない様子に目を細めた。
「そりゃあね、どこかの誰かさんに一年間人を見る目を鍛えられていたんだもの」
「はて、誰のことでしょうか。私には心当たりはありませんが」
「………まあいいわ。じゃあルナ、ジュリアンナ様をお迎えする用意をして」
「かしこまりました、お嬢様」
ルナの仕事は主にメアリの客にお茶を出したり、メアリが出掛ける際のお供をしたりすることだ。
最近は習い事の他に、パーティーで仲良くなったという令嬢のお屋敷に遊びにいく事も増えた。
現在、メアリは同い年の友人であるレンツ伯爵令嬢、ジュリアンナを家に招いてお茶会の最中である。レンツ伯爵家はスーリヤ家が伯爵位を賜る前からスーリヤ家の活動に賛同しており、伯爵家でありながらも当時子爵家だったスーリヤ家の自警団には幾人ものレンツ家の人間が所属していたという。
ジュリアンナはそんなレンツ家の次女で、薄く青みがかった長い銀髪が印象的な、どこかゆったりとした雰囲気のある令嬢である。
ジュリアンナは出された紅茶を口に含み、その翠の瞳を僅かに驚いたように見開く。
「この紅茶は美味しいわね」
「ええ、私の自慢のメイドが淹れたものなのよ。ルナっていうの」
これも社交の一環である。普段より丁寧な口調のメアリの紹介に、ルナはジュリアンナに一礼する。ルナの礼を見たジュリアンナは感嘆の息を吐いた。
「能力も作法も一流なのね、王宮勤めもできるのではないかしら。うちに欲しいくらいだわ」
「むう……だめよジュリアンナ様。ルナは私のものなんだから」
「あら、メアリ様がそんな表情をなさるなんて珍しいわね」
「この子は私が拾った子なのだから、私のものなのよ」
ルナは元孤児ということもあって、ジェフィードの指示によりごく限られた一部の親しい人間にしか紹介されていない。理由はそれだけではない筈だが、ジェフィードに質問しても答えてはもらえなかった。
そんなルナを紹介されたジュリアンナは、何が基準かはわからないが、ジェフィードに認められたのだろう。
そんなジュリアンナは、ルナを取られまいと威嚇するメアリに苦笑していた。
「冗談よ、私の侍女も優秀なの。友達のメイドを欲しがったりはしないわ」
「全く……からかわないで」
「まあまあ……それよりメアリ様、最近アルト様とはどうしているの?」
「あら、あのような方知らないわ」
「一応貴女の婚約者でしょうに……。気持ちはわかるけれど」
ジュリアンナも、社交界では弱冠12歳にしてモテまくっているアルトの実態を知っている一部の人間の一人だ。
意外にも、アミアン侯爵家の三男であるアルトの本性、というより身分による差別意識や性格はうまく隠されているようであまり知られておらず、家が傾きかけているにも関わらずアルトは普通にモテるのだ。
差別や女癖の悪さは貴族としては特筆するほど珍しいものではないのだが、平民とも普通に接し、平民の為の組織である自警団を持つスーリヤ家とは相いれない。
ジェフィードとしても婚約破棄に持っていきたいのは山々だが相手は恩のある侯爵家、それができないのが貴族である。
「あんなクズの話は置いておいて、ジュリアンナ様は来年から王立学院に入るのよね? 何科に入るのかはもう決めたの?」
「クズって……私は魔術科にしようかと思っているの。普通科は魔術科の試験に落ちたら行くことになるわ。メアリ様は確かもう一年遅れてしまうのよね?」
「ええ、家がまだ落ち着いていないみたいだから……」
スーリヤ家は、伯爵位を賜ったことによる諸々の準備のせいで、自警団の再編作業が3年経った今でもまだ終了していないという多忙さで、メアリの入学は予定から一年遅れることになっている。
王立学院は10歳のお披露目を終えた貴族の子弟、および試験を突破した平民が集って3年間学ぶ場所であり、貴族しか入れない普通科、試験の模擬戦で優秀な成績を取ったものが入る騎士科、魔力が豊富なものが入る魔術科の3つの科がある。
親が貴族の者は卒業と同時に貴族として正式に認められるため、貴族の子女にとって学園に入ることは実質的に義務であり、そんな子女たちとお近づきになりたい成り上がり志向の商人をはじめとする優秀な平民も多く集まる国内最大の教育機関だ。
「早く入学するぶんにはいいけど、遅れて入学するのはちょっと……」
「気にしなくてもいいんじゃないかしら? 一つ下の学年にも同い年の人はいるでしょうし」
「ジュリアンナ様達と一緒に講義を受けることができないのが残念で……」
「あら、ありがとう。でも、メアリ様なら飛び級できるんじゃないかしら」
「飛び級……そのようなものがあるの?」
飛び級制度とは、地球と同じようにもうその学年で教えることはないと認められた成績優秀な生徒を、1学年飛ばして進級させることができる制度だ。
普通は同級生との親睦を深めるのに支障がでる為、コネを作るのが目的の者はほとんどそんなことはしない。
スーリヤ家はほとんど貴族社会には関係していないし、メアリが優秀でさえあれば飛び級もできるだろう。
「成績が優秀なら……ね。滅多にそんな人はいないのだけど、聡明なメアリ様なら大丈夫だと思うわ」
「わかったわ、お父様とお母様に相談してみるわね。ありがとう」
「お役に立てたのなら嬉しいわ。もう家格は同格、これからは対等にお付き合いしましょうね」
そういって微笑むジュリアンナに「そうね」とメアリも笑顔を返した。
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8/8 メアリとジュリアンナの会話文について、いくつかご指摘をいただきましたので修正しました。