11. 東の市にて
「あ、ルナ! 来てくれたんだ!」
「やっほーメアリ、一週間ぶりだね。今日は何するの?」
一週間後、ルナはメアリと東の市で再び会っていた。メアリはルナとまた会えて嬉しそうである。ルナもまんざらではない様子で返事をする。
と、後ろにいた冒険者服のアランが口を開いた。
「じゃあ俺はこの辺りの出店を見て回ってるよ。ルナちゃん、メアリをお願いね」
「任せてください、アランさん」
孤児だという確信を得たのか、ルナへの警戒を解いて雑踏の中に消えるアラン。とは言え、少し離れた所からしっかりとメアリを見まもっていたのだが。
護衛としての職務に忠実なのはいいことだと、尾行に気付いたルナは感心した。
それともよっぽど先週のメアリの迷子がトラウマだったのだろうか。
「ねえルナ、この前一緒に食べたクレープ?をまた一緒に食べようよ。おいしかったから今日はお金も用意してきたの。先週のお礼に奢ってあげるわ」
「気に入ってくれたなら嬉しいよ。それなら今日はちょっと豪華にフルーツも付けて貰おうよ。
あの屋台にはあまり置いてないんだけど、別の所で買ったフルーツを持っていったらトッピングしてくれるのよ」
「わあ! それは楽しみね」
新しいクレープの予感に目を輝かせるメアリにルナは苦笑しながら、二人でバナナを2房購入して先日の屋台に向かう。
バナナはこの国で栽培されていないため、東の海での貿易で南の国から輸入している。海を隔てた南の国は、バナナを自信をもって大量に輸出しているようだが、まだ輸入し始めて日が浅く買い手が少ないため、二束三文で売っていた。
「こんにちはー」
「やあルナちゃん、いらっしゃい。先週の子も一緒みたいね? 悪いけど、今日は忙しくてクリームの余りが少ないからサービスはできないよ。ごめんね」
クレープの屋台の周りには結構な人が集まっていた。昼過ぎのこの時間は、ちょっとしたデザートにちょうどいいクレープの店が最も忙しい時間だ。
気まずそうに言うおばちゃんに、ルナは気にしないでと手をひらひらと振る。
「いや、今日はバナナを持ってきたからトッピングして欲しいなーと思ったの。ちゃんと買う積もりだよ」
「おおバナナかい、いいねぇ。そういうことなら早速……はいできた、一つ中銅貨4枚だよ」
この国が支配する大陸全土では、通貨として大中小の銅貨、銀貨、金貨、白金貨が使われている。
物価が違うために一概にはいえないが、中銅貨一枚で百円程度の価値があり、十倍ごとに貨幣の位が上がっていく。
「うーん、もうちょい安くならない? 一つ中銅貨2枚で」
「何がもうちょっとだい。半額じゃないか。そんな値下げはできないよ。一つ3枚」
「まあまあ、そこをなんとかお願いしますよー。今ならもれなく余ったこのバナナを一房進呈。今日は忙しいんでしょ、二つで5枚でどう?」
「うーん、足下を見てくるわねぇ。わかった、二つで5枚だ、持っていきな」
「うっへっへ、まいどありー」
「立場が逆だねぇ……全く」
屋台でクレープを買い、先週と同じ場所でかぶりつく。と、甘みに顔を綻ばせたメアリが不思議そうに尋ねてきた。
「ねえ、さっきのってなに?」
「ん? さっきのって?」
「さっきルナが屋台のおばちゃんと話てた内容。何をしてたの? クレープが安くなったのはわかったんだけど、最初から二つで中銅貨5枚って言えばよかったんじゃないの? それに足下って何のこと?」
メアリはルナの行った値切り交渉が不思議に思えたらしい。子供らしい純粋に疑問を感じている瞳に苦笑して、ルナは答える。
「ああ、あれね。値切り交渉っていって、メアリが言った通りクレープを安く買うために交渉してたの。最初から決めない訳は……えーと、例えばさ、メアリがクレープを売る側だったら、できるだけ高く売りたいじゃない?」
「うん、そうだね……あ、そうか、買う人が先に低い値段で買いたいって言ってきても、それよりも高く売ろうとするんだ」
「そういうこと、先に譲歩を要求するわけだから、買い手の立場は売り手よりもちょっと低くなるんだよね。だからお互いに値段を言い合って近付けて、最終的に払うお金を決めるのよ」
このとき気をつけることは、当然ながら最初に伝える買い値は目標金額よりもある程度安くすることだ。
徐々に値段を上げ、相手の譲歩を引き出しながら値段を擦り合わせていくのだ、とぽんぽんと進む会話に心地いいものを感じながらルナはメアリに説明した。
メアリは気になったことはルナに何でも質問するが、きちんと自分で考えてもいるので会話が進みやすい。
「でも、売る人は別に買ってくれなくても大丈夫なんじゃなの? 他にもお客さんはいるじゃない、安く売るくらいなら断っちゃえばいいんじゃないの?」
「そうそう、だからその辺の見極めは難しいの。
確かにそのお店が買った物を転売してるような店だったら値切りさせてくれないこともあるけど、店主が直接売り物を採ってたり作ってたりする所は基本的に値引きしてくれるよ」
「なんで?」
「転売するお店、小売店っていうんだけど、小売店は仕入れ値以下で売っちゃうと赤字になるから、一定以上の安売りはしにくいんだよ。
でも農民とか漁師さんみたいな生産者がやってるお店は仕入れ値があまりかからないから、そんなに赤字にはならないの。だから『安くなってもいいから早くこの商品を売ってお金にしたい』って人も多いのよ」
「なるほど……とにかく品物をお金に変えることだけが目的の人もいるんだね」
「うん。それに当たり前だけど、値引きしなくても十分売れてるような店とか、他の店にはないものを扱っている店なんかは値切りしづらいわね。安くしなくても買ってくれるお客さんがいっぱいいるから。
あとはまあいろんなお店を見て適正価格を知ってれば、そのお店が値切りを想定して高く売っているのか、値切りする気がないのかぐらいはわかってくるよ」
そっか、とメアリは納得の声を上げ、もう一つの疑問に思っていたことを改めて尋ねる。
「じゃあさ、ルナがクレープを買う時に見たっていうおばちゃんの足下って何のこと?」
「ああ、あれね。あれはおばちゃんが忙しそうだったし、いつもは屋台に出してあるフルーツ類が少なくなってたから、材料が足りてないのかなって思ったの。だからバナナ一房を交渉材料にしたんだよ。あれだけ賑わってたら買い出しにもいけないだろうしね」
あっけらかんというルナにメアリは感心したように何度も頷いた。
「ふむふむ、相手が望む物を理解していればこちらの有利になるんだね……なるほど」
「そうそう、だから交渉事では情報なんかも結構大事になってくるんだよ。興味あるならメアリもやってみる? メアリなら練習すればすぐできるようになると思うけど」
「え、いいの!? ……でもどうやって? 私、確かに今日はお金を持ってきてるけど、そんなに多く持ってないよ?」
交渉の練習と聞いて嬉しそうにするが、すぐに心配そうな顔になるメアリ。だが、そもそもルナは東の市に夕飯の買い出しに来ているのだ。材料代は値切りを想定していないので、値切れば値切っただけ食費が浮くことになるが、別に値切りしなくともいい。メアリの練習に使うぶんには問題ないのだ。
ついでに、浮いたお金は孤児院の運営費に回されることになる。つまり、メアリが頑張れば頑張っただけ孤児院が楽になるのだ。
そう言うと、メアリは
「ん、そういうことなら私、頑張るわ」
と張りきって買い出しを開始した。