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南海戦史  作者: 黒じょか
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episode 1   融通の利かぬ男

知勇兼備な武人、長曾我部兼序。

彼は、父・雄元の死後に守護・細川京兆家より任ぜられた代官になった。

主家を盛り立て、土佐で威を放ち、任務遂行のために忠義を尽くす。


永正元年、細川家家臣に名を連ねる阿波守護・小笠原氏末裔の三好家を通じて土佐小笠原・豊永家より室となった姫が男子を産む。これが後の国親である。

幼名・千雄丸。


これは国親の父、兼序のお話。

「先の長雨により、田畑の損壊は悉く酷く、納める年貢にも苦労するだろう。よって、今季は前年の半分とする――もって、村に戻り欠けることなく収めるがよい。くれぐれも、無理をせず事を成すがよい」

 二段も高い頭の上から優しい声が庄屋の肩に届く。土佐守護・細川家名代にして代官である長曾我部兼序である。

 浅黒い肌は南国育ちを想起させ、優しい瞳はその人格を顕す。どことなく日本人離れした容姿は彼らがかつて《秦》渡来人をルーツとした一族の名残であるという。


 文献・土佐物語はいふ《武勇才幹衆に越へ、大敵を見てはあざむき、小敵を侮らず、寡を以って衆に勝ち、柔を以って堅きを挫く事孫呉が妙術を得たる大将》なりと。

 将器をもって生まれた傑物であり、内政においてもその辣腕を大いに奮ったという。彼は特に衆人から絶大な人気を誇った。


 時に代官職は長曾我部、安芸、大平と天竺が主・細川京兆家より任ぜられていた。内、特に実直というか甚だ真面目に任務遂行に励んでいたのが兼序だった。

 毎年の年貢は升目の如く、きっちりとしたものを要求し、叶わぬ場合は貫高制を用いて国人諸侯を大いに困らせた。



 今季は例年よりも雨足が長く続き、田畑が水に浸かり過ぎた。生産者の難儀は押して図るべくもなく困窮し苦しかろうと判断し、これの年貢率を下げるという判断に至る。

 不足分は領主が肩代わりをすれば済む話で、聊か懐の寒い話となるが、領民が来季に励むよう導くのもまた、領主の務めと考えていた。


「民を慈しむことは良き領主の行いでしょうが、甘やかす事ではありませんぞ。辛いのは皆、誰もが辛いのです。国人衆を怒らせ、敵を作るは愚の策でござる」

 耳の痛い換言を吐く老体がある。

 吉田則弘、国親の知恵袋・吉田孝頼の父であり、長曾我部家の忠臣のひとりである。彼の小言は常に耳の痛い物ばかりであった。

 それだけに信ずるに値するといってもいい。

 しかしこの度の年貢率に兼序は頑として自らの下知を曲げようとはせず、吉田老翁をほとほと困らせた。


「戦を招くは、愚かな領主にありますぞ。民の幸福は年貢の施しを受ける事ではなく、親、子、孫の代まで戦に召されて命を散らす事のない平和な時を過ごすことにあるのです。御館様の考え違いで散らす必要のない命が散るのです!」


「・・・」

 苦虫を噛み潰したような兼序が微動だにせずしてじっと鎮座している。まるで鋳物の置物のように。


「戦に取られる親の命、息子の命、孫の命。今一度、お考えなさい。御館様の裁可で次の手が決まるのです」

 吉田老翁が坐する惣領の目の前にいつかの認可状が置かれた。庄屋や地主らが一度村へと持ち帰ったそれがひと欠片も欠けることなく返却されたのは、香美郡の山田氏、香宗我部氏の不穏な動きに突き動かされたからに他ならない。


 隣村から流れるきな臭さはわりと早く広まる。寧ろ、戦を回避したい衆人、或は小豪族たちが故意に流布して落としどころを模索できるようにしている。


 もはや、突き返された認可状を改めて発布するほど愚かなことはないと理解して不器用な兼序はその書を破り捨てた。

 恨めしそうに則弘を一瞥して、


「儂は負けぬぞ?」


「ええ、侮らなければ負けはしないでしょう。しかし、一度失った国力、生産力、兵力の回復には膨大な時間を要します。たとえ勝ったとしても被害を最小限にできなければやはり、負けでしょうな」

 老翁の咳ばらいがひとつ。

 眉根を寄せ、酷く濁った湖の様な瞳をのぞかせて。

「戦を始めるのは簡単。しかし、始めた戦を終わらせるのは難しいのです。その為の根回しが必要です。御館様の徳あるお考えを支える方を御作りなさい。衆人の目が気になるなら、先ずは国人衆の評価を気にするべきです」


 膝を叩く。

「なるほど一理ある」

 兼序の顔に険しさがすっと消えた。

 しかし再び難しい顔に戻ると、


「儂はやはり人を転がすのは苦手だ」


「存じております。それ故に我ら家臣がおるのです。何なりとお申し付けくだされば、御館様の意を汲んで働きまする」

 深々に平伏して見せて兼序を安心させた。




 奥より火急の報せ――『若君、ご誕生!!』


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